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カテゴリ:(小説)『天空の黒 大地の白』
日が沈み、空には宵星がかかり始める。 救護所で手当てを受ける負傷兵たちを慰問したグストーは、城外へと足をのばす。 西側の一画に、戦没者たちが整然と並べられていた。 彼の中を吹き抜ける、茫漠とした風――救えるはずの命を見送るときは、いつもそうだ。 隣接した天幕の一つにおもむく。 中には小柄な骸が、横たえられていた。 グストーは器にくまれた水で布をしぼると、彼女の顔に付着した血をぬぐう。 丁重に、繰り返し・・・ 穢れを清め終えると、彼は亡き同胞に黙祷をささげる。 信仰を持たないグストーの、静かな葬送の儀式。 「すまなかった・・・お前を、みとってやれずに。」 天幕を出ると、外で待機していたジャンに後を任せ、彼はフィアノーヴァ城内へ向かった。 城の一室を議場として、人々は既に集っていた。 ノルベルト・クロイツァー長官とリヒャルト、宰相の軍を指揮してきた連隊長たち。 その中に、怪我を押して参席するユベールの姿もあった。 遅れて着座したグストーが、人々をねぎらう言葉を短く述べた後は、王都の混乱を収めて諸侯を再掌握するための、喫緊の課題について話し合われた。 一人として、戦勝を祝う者はいない。 アルブレヒトの死―― まだ一般の将兵には伝えられていないが、宰相を支える高官たちにとっても、あまりに衝撃的な、耳を疑う出来事だったのだ。 女王を即日、王都へ移すという当初の計画も、見直さざるを得なかった ――アルブレヒトに取りすがる彼女を、誰も引き離すことができないのだから。 フライハルトの地図を指しながら行軍ルートを説明するノルベルトの言葉を、ユベールはどこか虚(うつ)ろに聞いていた。 いまレティシアには、レオンハルトが付いているだろう。 ・・・アルブレヒトは、みずから銃で命を絶った。 キリストの教えにおいて、神から与えられた生命を否定することは大罪。 自死した者には葬儀をあげることも、埋葬することも許されない。 主君のために剣をもって戦い抜き、戦場で命を散らすことは騎士の誉(ほま)れ。 その信条を曲げて、自決するなど―― おもむろに議場が静まり返った。 ユベールが視線を上げると、部屋の入口に女王がたたずんでいる。 血の気を失い、青ざめた肌。 国主としての威厳は保っているが、唇は引き結ばれ、挑むような眼で人々を睥睨(へいげい)している。 ノルベルト長官が判断をあおぐようにグストーへ視線をやったが、そうする合間にレティシアは、自分の席を用意させて座ってしまった。 宰相は再び、淡々と議事を進行しはじめる。 「陛下には明朝、宮廷にお戻りいただく。陛下のご無事と、騒乱が終息したことを知らしめねばなりません。」 グストーが各人の役割を指示していく間、かろうじて気丈な様子でレティシアは顔を上げていた。 やがて話は、捕虜の処遇に及ぶ――ノルベルトは慎重に言葉を選んだ。 「騎士の方々の扱いは、特に検討を要する事案です・・・並みの戦争捕虜と同じにはできません。諸侯や民衆の感情を刺激しては――」 彼の発言を、グストーは遮った。 「ノルベルト長官、我らは過去の体制が終焉したことを、示さねばならんのだ。謀反には慣習法をもとに、厳正に対処する。たとえ、その首謀者が――」 「・・・やめて!!」 悲鳴にも似た叫びに、周囲は凍りついた。 「やめて・・・謀反・・・謀反ですって?ならアルブレヒトは謀反の首謀者だというの?!」 立ち上がったレティシアが、グストーに詰め寄る。 「貴方は何も分かっていない!」 「陛下、私的な感情は排していただきたい。」 蒼白な面持ちで唇を震わせるレティシアに対し、グストーの口調は冷ややかだ。 「国法に照らして、公正に処遇すると申し上げている。」 嗚咽(おえつ)を必死にこらえる女王の瞳から、涙がこぼれ頬を伝う。 「グストー、あなた彼を、彼の亡骸を・・・市中にさらせというの?!そのようなこと、絶対に許しません!」 「あの男のしたことの、結果を見ろ。黒獅子だから赦免しろと?それで治まるはずがない。この一件で、どれほどの犠牲が出たと思っている!」 「――宰相殿、陛下に対してお言葉が過ぎます!」 慌てたノルベルトが制止に入るが、グストーはなお強硬な態度を崩さない。 「・・・そのように狼狽されていては困る。第一あの男の真意を、陛下こそよく理解されているのではないか?」 「・・・っ」 立ち上がったまま、もはや体を支えるのも危ういレティシア。 内側で渦巻く、行き所のない悲しみと怒りのすべてを、彼女はグストーに投げつける。 「貴方なら戦いを避けられると思った!だから・・・っ」 だから、指輪を託したのに。 「陛下!」 ユベールは女王の手を取って、彼女の体を受け止める。 これ以上、レティシアをこの場にいさせてはならない。 「――アルブレヒト様のご遺体は、私の部隊で警護させていただきたい。」 彼は周囲の重臣たちを見まわし、こう付け加える。 「王都も混乱している現況、亡骸を奪い利用をたくらむ者が現れるやもしれません。陛下のご裁断があるまで、衆人の目にさらさぬよう守護いたします。よろしいですか。」 力なくユベールを見つめていたレティシアが肯首すると、彼は女王を支え、議場を後にした。 「・・・ひどいところを、皆に見せてしまったわね。」 居室に戻ったレティシアは、ドレスの裾を散らして寝台に伏す。 「私の側にいなくていいのよ。貴方こそ休まなければ、傷にさわるでしょう。」 「お側にいたいのです。私が。」 レティシアが差し出した右手を握って、ユベールは彼女の側に腰かけた。 互いの温もりの優しさに、彼女の心はわずかに均衡を取り戻したようだ。 「本当に私、愚かなことを・・・貴方たちの働きを、否定するつもりはなかった。」 「分かっています。私は構いません。ですが皆には、改めて陛下からお言葉を。」 「・・・そうします。」 自分が揺らぐことは許されない。 よくやったと言うのだ。 よく我が意を汲(く)んで、危難を乗り越えてくれたと。 ――それでも目を閉じると、レオンハルトの姿を思い起こしてしまった。 白い布に覆われた亡骸の前で、レオはうつむいたまま、唇を噛みしめていた。 大柄な彼が少年のようにうなだれて、涙を見せまいと堪えている。 気の毒なレオ・・・彼は兄を失ったのだ。 だが彼に、かける言葉など見つからなかった。 「・・・私が、アルブレヒトを死なせた。」 「レティシア様・・・」 「彼は、行ってしまった・・・神の救いすら拒んで、魂が永遠の業火に焼かれてしまう。祈りすら届かない場所へ、たった一人で・・・っ」 ユベールは力ずくで、レティシアを抱き寄せた。 その熱が、震える吐息がすぐ側にあるのに、彼女の意識はどこか遠くに向いているようで、ユベールの腕に力が込もる。 彼は、ようやく思い当った。 主君にも神の掟にも背(そむ)き、騎士の崇高な徳を穢した逆臣として――黒獅子の名を貶(おとし)めた、忌まわしい過去として封じられること。 そうして人々の希望が、レティシアの新しい御代へと向かうこと。 それこそが、アルブレヒトの望みだったのだ。 アルブレヒト様・・・だがそれでは、あまりに残酷だ。 貴方の願いは、陛下の心を砕いてしまう―― どれほどの時間が過ぎただろう。 ユベールの胸に額を押し当てるようにして、レティシアは横たわっている。 彼女が目覚めている気配に、ユベールは小声で言う。 「部隊に、指示をして参ります。」 明朝の女王の出立に向けて、手配しなければならないことは多い。 ユベールは起き上がり、レティシアの顔を振り返る。 「――また戻ります。」 廊下に出て薄闇に包まれた城内を歩くと、簡易の指令所から、チラチラと明かりが洩れている。 ノックの後で入室すると予想通り、指示書の束を気だるげに処理するグストーがいた。 いつもならば側で控えているレオンハルトは、姿がない。 彼はユベールを一瞥すると、再び紙片に視線を落とす。 「レティシアの様子は。」 「今は、落ち着いています。ですが・・・陛下はご自分を責めていらっしゃる。アルブレヒト様が、永遠に救いを得られないと。」 あまりに絶対的であった、二人の絆。 「杞憂であればよいが、恐ろしいのです。このまま陛下のお心が、あの方に囚われてしまうのではと。」 グストーはペンをインク壺に浸す手をとめ、彼に向き直った。 「――自ら死を選んだ者が、永劫の地獄で苦しむというのは、教会が流布した解釈に過ぎない。」 「え・・・」 「たとえ煉獄(れんごく)の炎に魂が焼かれようとも・・・罪の償いを終えるとき、救済の望みは残されている――神はみずから地上に堕としたアダムにさえ、キリストを遣(つか)わし冥府から救いだした。罪の赦しを、誰も約束はできない。だが希望を捨てることもない。神の恩寵は、人知を超えているのだから。」 そう語る男の声音に、慈悲にも似た響きすら感じ、ユベールは言葉を失う。 あぁ、この男はかつて司祭であったか。 「レティシアに、そう伝えてやれ。少しは慰めになるだろう。」 「・・・ご自分で、お伝えにならないのですか。」 グストーは喉奥で、皮肉な笑みをかみ殺す。 「無神論者の俺が言ったところで、説得力があるまい。」 再びペン先をインクに浸し、グストーは己の仕事に戻る。 「あれは存外、強い女だ。」 しばしユベールは、宰相の静かに文字を綴る様子を見つめていた。 「驚きました・・・貴方は、陛下を・・・」 小さく首を振ると、ユベールは指令所を後にしたのだった。 ~~~~~~~~~~~~ 作者から一言: 物語も、ラストまであと数回(?)の予定。 あともう一息・・・完走がんばります。ヽ(=´▽`=)ノ よろしかったら、ポチっと応援お願いいたします。(↓投票) ![]() にほんブログ村 *地上に堕とされたアダム: キリスト教で、神に創られた最初の人間アダムは、神の命令に背いて天から地上に堕とされます。そのためアダムの子孫であるすべての人間は、神の教えを守りきれない、生まれながら罪を抱えた存在と考えられています。 死の前に告解(神父に信仰や罪を告白し、罪の赦しを乞うたりする儀式)をするわけですが、イエス・キリストより以前の人間は(教会も神父もいないので)告解ができず、自動的に冥府(ハデス)行きだったと。(汗) そこで彼らを救うために、キリストは冥府へおもむいた、という。 宗派によっても様々に解釈される説話ですが、グストーは「神の愛は人間の発想を超えるものだから」と言いたいのでしょうね。 本人はぜんぜん、信じてないですが。 グストーって突然、作者の予定にないことを喋りだすんですよね。 Σ(・ω・ノ)ノ!
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