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火曜日、母の葬儀が終わり
水曜日は挨拶回りや片付けをあわただしく済ませ 夜相模原の自宅に戻ってきました。 庭の芝が伸び放題で、ペンペン草やらタンポポが 元気に咲いていました。 イチゴとスナップエンドウは枯れることなく 必死に頑張ってくれていました。 よかった~。 4月28日の夜慌てて出発し、 その日の夜作ったカレーもそのままだったし もしも亡くなった場合、喪服も持ってきていない、 そんなわけで小康状態だった土曜日の朝、 私たち家族は相模原に一度戻ってきました。 家に着いてまずカレーを処理し(思っていたより ヒドイ状態ではなかったので安心)、 ポストの中を片付け、着物のタンスをごそごそかき回し 母の作ってくれた喪服をそろえ終わった矢先、 父からの電話で「母の脈と血圧が一気に下がった」と知らせがきました。 15分後、亡くなったと知らされました。 結局私は母が倒れた瞬間もなくなった瞬間も 一緒にいられませんでした。 でも荷物を取りに相模原に戻ることを決意した時 こうなっても仕方ないと覚悟をきめて出かけたので 後悔はありませんでした。 結婚する時あつらえてくれた喪服をこんなに早く着ることになるとは 思いもしませんでしたが、葬儀の時、袖を通して帯を固く締めて 「きちんとしっかり送ってあげよう」と背筋を伸ばして しっかり母を送ることができました。 きっと母はこの喪服を着てほしかったのでしょう。 だから荷物を取りに行くまで頑張ってくれたのかな、 とも思いました。 葬儀には本当に多くの方が駆けつけて下さいました。 友達を大切にした彼女、本当に多くの方に 「料理がおいしかったよ」とのお言葉を頂きました。 彼女の料理、パンがもう食べられないのかと思うと やっぱりさびしいです。 また、趣味でやっていたハーモニカのつながりで、 プロ演奏家の山口牧さんも駆けつけてくださって、 「アメイジンググレース」と「千の風になって」を演奏してくださいました。 素晴らしい演奏に送られて、母もうれしかったことでしょう。 (山口さんのHPで聴けますのでよかったら試聴してみてね) 入院から葬儀までの14日間、ムスコはパパとずっと一緒に 実家で留守番してくれました。 いろんな公園に行き、いろんな子と遊んでもらい 一生懸命我慢し耐えて、大きく成長してくれました。 パパはムスコの世話以外に実家の家事を全部引き受け、 父と私と妹が心おきなく看病できるように送り出してくれました。 二人の頑張りには本当に感謝感謝でした。 この二人のためにも早くいつもの生活を取り戻さなくては。 そう思い、今日から相模原のいつもの生活を再開しました。 ムスコは喜んで幼児村のバスに乗り込んでいきました。 パパも久し振りの仕事にアタフタしながら出かけて行きました。 私も野原になってしまった庭を手入れし、少しずつ部屋を片付けています。 母の死を通し、自分はひとりの力で生きているのではない みんなに生かされているんだということを 改めて強く強く感じました。 感謝の気持ちを忘れず、自分のできることを精一杯 心をつくしてやっていこう そんなことを思いました。 お見舞いメールを下さった皆さん、本当にありがとうございました。 お返事はなかなかできませんが、 どれだけ励まされたことか。 一緒に泣いてくださった方、ありがとう。 次にこんな体験をしなくてはならない方に 私も温かい心を送ることができるかな。 こんな重たい話をブログにUPするのは 皆さんにとってヘビーすぎると思いましたが、 ここに心境を吐露することで 冷静に自分を見て、穏やかな心になれました。 偽りのない気持ちを表現できる場があって 本当によかったです。 本当に皆さん、ありがとうございました。 少しずつ日常にもどって、ハンドメイドの事や ムスコのことなど 今まで通りのブログが 書けるようになると思いますので またこれまで通りのお付き合い、よろしくお願いします。 BlackOliveナカヤマジュンコ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
May 14, 2009 01:16:19 PM
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