23時間父親1時間自分
空手、親離れ、子離れ。アル中脱出のために始めた空手。しかし、相変わらずお酒は飲み続けている。ただ、ゆるみだした僕の肉体は、少し引き締まってきた。人間やる気になるとすごいもので、時々職場まで1時間ほどかけてランニング出勤することもある。しかもこの空手というもの、かなり本気の内容。中でも「組み手」というものがある、ちょっとしたサポータをつけただけで、相手と「突き」や「蹴り」を出し合うのである。「始まりがダイエット」な僕にとっては、「けり」などは絶好のエクササイズ、くらいの気持ちで「1,2,3…」とやっていたものだから、かなりのカルチャーショック。ならっている小学生もたくさんいるが、小学生同士の組み手となると、またすごい。大人同士であると、お互いの力量を見極め、それなりの力とポイントでせめる。しかし小学生同士だと、だんだんむきになってくる。お互いにじょじょにあつくなる。そしてほぼ公認の「けんか」のようになって来る。2分間の組み手。この現場を見たら必ず賛否両論が出ることだろう。僕は賛成派。最初は心が痛んだが「この経験が僕にはほしかった。」と思う。兄貴と6歳離れている二人兄弟の僕は、「兄弟げんか」というものをしたことがない。そして友人ともあまりけんかをしたことのない平和主義者だった。実際、未知の世界が怖かった。リトルはひとりっこ。まだ経験の浅いリトルは、黒帯の師範相手に遊んでもらう。遊ぶと言ってもそこは「黒帯」。てや!といや!てな感じでけりや突きを出すリトルの頭をおさえて、床に投げ飛ばす。ほんとに、「投げ飛ばす」て感じ。そんなしかり方を僕がしたことがないので、リトルにとっては初めての体験だったろう。半分べそをかきながら師範に向かっていく。向かっていく。投げ飛ばされる。向かっていく。投げ飛ばされる。向かっていく。投げ飛ばされる。この間ずっと半べそ。でも感心したのは途中でやめなかったこと。「やめ」の声がかかるまでずっと向かっていった。僕のもとに戻ってきて、抱っこしてほしそうに近寄ってくるリトルを、心を鬼にしてとなりに座らせる。しかし、ひざから体までぴったりと寄り添う。リトルにとっても貴重な体験だが、僕にとっても貴重な体験。「5歳の子どもにそこまでさせなくても。」と思う気持ちが先行する。その気持ちを抑えながら、無言でほかの人の組み手を見る。「この経験をさせてくれるのは、ここだけかも?」とふと思う。今はかわいいリトルもいつかは男として、世の中で戦ってくことになる。いつまでも「かわいい」では通じないし、気持ち悪い。「親離れ、子離れ」そんな言葉が頭の中を行き来する。「子どもは3歳までに一生分の親孝行をしてくれる。」そんな言葉を思い出す。リトルは3歳以降も親孝行を継続してくれて、5歳まで来ている。だから今でも「抱っこ」が大好きだし、僕もリトルが、まだ赤ちゃんのときの感覚で見てた。そうあの、ミルクを飲んだ後、抱っこしてのとんとんで、肩越しに耳元で「けほ」てげっぷするやつ。あのときのかわいさのまま。自分の意識を変えるときがきたのか?でもまだこの感覚でいたい。練習の最後の師範の訓示。「ここは、普段できないことをする場所。大きな声を出し、思い切り体を動かす。ここにきたら思い切りやりなさい。」人とけんかする、でも「やめ」の合図で相手と握手する。それって、自分のかっとなった心を自制する気持ちを育てることなのかも。親も成長させてくれる。師範の仕事は警察官。僕が中学生の頃「ポリ公」と言ってごめんなさい。