2005/12/09(金)08:18
L'amour fou ~私を最も愛した男~ 2
L'amour fou ~私を最も愛した男~ 1 の続きです。
横断歩道の手前に立つ彼と、その彼にゆっくりと近づいていく私。
青の信号が、早く赤に変わってくれないかと念じていた。
横断歩道に差しかかる寸前、上手い具合に信号が赤になってくれた。
私は微笑を浮かべて、再度彼のほうをチラッと見て彼の横に並んだ。
「Bonjour.」
すると、その男性が私に挨拶してきた。
「Bonjour.」
私はチャンス、とばかりに笑顔で訊いた。
「ここで、どなたか待っているのですか?」
彼は、私の質問には答えず、
「さっき日本食スーパーにいた方ですよね?」
と聞いてきた。
「はい、そうです。あなたもいらっしゃったのですか?」
としらじらしく聞いてみた。
「うん。買いたいものがあったのだけど、見つからなくて。
僕、日本食が好きなんです。
あなた、日本人ですよね?」
「そうです。」
「僕はノアール。あなたは?」
「プルメリアです。」
私達はその場で10分くらい立ち話をした。
その間、信号は何度も青に変わり、何人もの人が通り過ぎていった。
「よかったら、コーヒーでも一緒にいかがですか?
時間ありますか?」
「ええ、少しなら大丈夫ですけど。」
私は腕時計を見ながら、もったいぶってこたえた。
内心、
『時間ならありますとも、ありますとも、何時間でも!!』
と狂喜の声をあげながら。
彼はすぐ側にある、ドイツ系の小さな会社で働いている人だった。
パリ生まれのパリ育ちのパリジャンで、今は私とは逆側のパリの西、
16区に住んでいた。
日本の映画が大好きだったり、日本の歴史に詳しいことに驚いた。
日本に1ヶ月間ホームステイをして、日本語学校に行ったことが
あるそうで、少しだけ日本語も話せた。
アメリカにも仕事で5年ほど住んだことがある彼は、
流暢な英語が話せることが分かった。
私達は、英語4割、フランス語4割、残り1割簡単な
日本語の単語を織り交ぜながら、長い間会話を楽しんだ。
いつの間にか、すっかり日も暮れてしまっていた。
私達はお互いの電話番号を交換し、カフェを後にした。
私は、久しぶりに地に足がつかない感触を覚えた。
メトロの中で、顔がにやけないようにするのが大変だった。
フランスに来て以来、何人かのフランス人男性とデートをしたが、
彼らときたら、会ってすぐに手をつないできたり、すぐにキスを
しようとしてくる。挨拶の空気へのキスではなく、唇にだ。
パリの男性ときたら、こっちの気持ちなどお構いなしなのだろうか、
といつも思っていた。
でも、ノアールは最寄の駅まで送ってくれた後、握手をして別れた。
それから、フランス人はナンパをしておきながら、お茶代すら出して
くれない人が多かった。テーブルチェックの時に、自分の分のお金だけを
置くのだ。
『私って、安い女だと思われている?』
心配になって、他の日本人女性に聞いてみたところ、ナンパをして
きたにも関わらず、やはりお茶代や食事代は、割り勘にされることが
多いともらしていた。
フランス人は、恋人になったり奥さんになったりするまでは、
割り勘にする男性が多いのでは、という結論にいたった。
『なんだ、私だけじゃなかったのか。』
安心すると共に、『フランス人=ケチ』 という公式ができていた。
でも、ノアールは私の分も支払ってくれた。
外見が私の好みで、話が弾んだ。
それに加えて、この2つは非常にポイントが高かった。
絶対に彼をものにしてやる。彼の恋人になってやる。
そう決心した私は、家に帰るなりノートにメモをした。
・彼から電話があるまで、自分からは連絡しない。
・電話があっても、長引かせないで用件を終えたら切る。
・自分からデートに誘わない。でも誘ってくれたら、できるだけ
間を置かないで、他の予定を変えてでも早めに会う。
・もしその後付き合うようなことになったら、彼から2回電話が
あれば、私から1回かけてあげるくらいの割合にする。
・彼が強く誘ってきても、最初の1ヶ月は絶対に部屋に泊まらない。
・私はきれい、私は愛されるに値すると毎日唱える。
この頃は『The Rules』のことは知らなかったが、今まで何度も辛い恋を
繰り返してきた私は、自分の失敗を基に、体で覚えたルールを作っていた。
そのメモを目に付く所に貼って、彼の電話番号は机にしまった。
つづく
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