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2011.3.11
あの日はあの地震で目が覚めました。 直後は何が起きたのかわからず、停電していたので、 テレビも付かず、とにかく中酒に行かなければならなかったから、 ワンセグをつけたら、 燃えているビルが映っていた。 中央は電気がついていて、 店は普通に営業していた。 でも、バスが止まったり、電車が止まったりしているのは、客の会話から聞こえてきていた。 夜九時ぐらいになって、テレビを見たら津波の映像が続々と入ってきて、 これはただ事ではないとようやく実感し始めた。 営業終了後、みんなで何か食べようと、コンビニでいろいろ買ってきてもらった。 それを食べながら、テレビを見て泣いている人もいた。 家が近い人を車で送り、ふと、セブンを見に行った。 真っ暗な中営業していた。 まだテレビなどで情報が得られていないバイトの男の子たちは、 こういったイレギュラーな事態になぜか浮き足立っていた。 気分が悪いので帰ろうかと思ったが、 このままほったらかしもよくなかろうと思い少し手伝っていた。 想像以上に棚がぐちゃぐちゃになっていたのを今も覚えています。 特に冷蔵庫は悲惨でした。 家に帰ったのは夜の3時ぐらい。 かれこれ、10時間ぐらい何かをし続けていたので、 疲れ切っていましたが、テレビをつけたら全部が報道番組で、 阪神大震災のときと一緒だ。 と、思って寝ました。 ここから何日かは本当に不安な日々が続いたんだっけ。 忘れようと思ってもきっと忘れられないでしょう。 私の周りでは幸いなことに特に大きな被害はありませんでした。 この震災は復興するために様々な困難がありますね。 二年でどうにかなるとは思ってなかったけど、 二年間何もできていないところもあるというのが、 本当に驚くべき事態です。 次に働くところは直接的にそういった支援をしているわけではありませんが、 間接的な支援を行っているところです。 もっとそういった支援の方法を自分もまなんでいかなければという気持ちにさせられます。 記憶と未来を語って、まとまらないので終わりにします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013年03月12日 01時47分26秒
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