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友人(女性)とその息子(3歳)のやり取り。
「おうち帰ったら、プーさんのゲームやっていい?」 「いいよ」 「イーヨー(くまのプーさんに出て来るキャラクター名)のゲームやっていい?」 「いーよー」 彼女はまったく駄洒落のつもりはなかったのですが、僕はどうしても そのやり取りが可笑しくて、少しの間、笑っていました。 だって「イーヨーやっていい?」「いーよー」ですよ!? 「あんたって本当に笑いのレベル低いんだね~」 なんて言われて、「確かに!」と納得してしまいました。 そうなのです。←あ、笑いのレベルが低いと認めているワケではなく、 すぐに感情の起伏を表に出しちゃうんです。怒りたいとき怒って、 泣きたい時に泣いて、笑いたいときは笑う、みたいな。人生常に 「喜怒哀楽」って感じなのです。言い方変えればかなりの自己中・・・ 特に歳を取ったせいか、涙脆さは最近ハンパじゃありません。 ドラマ「僕と彼女と彼女の生きる道」では、何度号泣したことか。 映画観た時なんか、思い入れのある作品だと、オープニングの時点で ウルウルしていることもかなり多いです。 あとNHKなんかでたまに放映している動物たちの生態とか、子育ての様子 とかで、泣いている日もあります。 アニメ「フランダースの犬」なんてもうパブロフの犬状態、 「ラララ~♪ラララ~♪ズィングルズィングルクレィーヌブリンダース♪」 と流れて来ただけでもう駄目です。分かっているのになあ、飽きるほど あの場面だけ見ているのになあ。 涙脆いってのは恥ずかしい場面もありますが、別に悪いことじゃない って僕は思っています。 もし全ての人々が同じ感動を分かち合えたり、同じものを目にして 涙することが出来たなら、争いごとなんてきっと少なくなると思うのです。 まあ生まれた場所や育った環境が、価値観を変えてしまうだろうから、 それはとても難しいことなのでしょうが。 だからきっと夫婦や恋人、友人などの親しい人間関係においては、 「価値観」と言うものが大切な要素になっていると思うのです。 同じものを観て感じる喜び、怒り、哀しみ、楽しさ・・・ それらが近ければ近いほど、その相手とは仲良くなれるような気がします。 少しのズレがあれば、それをカバー出来るのは思いやりです。 思いやりの心を忘れなければ、きっと叶うはずです。 大きな話で言えば、今の国際情勢は憎しみの連鎖を積み重ねているに 過ぎないと思うのです。それは多くのテロだけでなく、日朝などのように 歴史を遡ってまで続いています。本当に悲しいことです。 単純な「喜怒哀楽」のプロセスで機能している僕は、もっと平和的な 生き方はないものかと、ニュースを見ていていつも思うのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
たしかに年と共に涙腺が緩くなっているような気がします。
(2004年03月11日 11時14分12秒)
昨日の日記のCDなのですが、その\380、結構数年前から同じ状態だったりするんです。別に優柔不断ってワケじゃないんですが、やはり、「今度でいいか」って思っちゃうのが一番の原因です。
ウチの母親も涙脆くて、ドキュメント番組なんかを観ながらすぐに泣いていたので、笑っていたのですが、母のことを馬鹿に出来ない状態に最近なって来ました。 そう言えば「&g」、僕も最近になって友人に聞き、初めて知りました。なんかあの二人って仲いいっぽいですよね。 (2004年03月11日 11時21分21秒) |
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