|
テーマ:クラシックロック(762)
カテゴリ:洋ロック・ポップス
過去の幻影の呪縛から逃れることができた、"ツェッペリンのようであり、ツェッペリンのようでない"アルバム レッド・ツェッペリンの元メンバー、ジミー・ペイジ(ギター)とロバート・プラント(ヴォーカル)が再び手を組んで活動していた時期の一枚。今さら説明不要だろうが、レッド・ツェッペリンは1969年のファースト・アルバム以降、確固たる地位と名声を築き上げた伝説のハード・ロック・バンドである。1970年代を駆け抜け、1980年のメンバーの死(ドラムのジョン・ボーナム、32歳で窒息による事故死)で解散を迎えるまでに、偉大なバンドとしての立場を確立した。 "伝説的になってしまった"ことにより、残されたメンバーのその後の活動は、この"ツェッペリンの呪縛"にかなり強く縛られることになったように筆者には思われる。これまで時に"再結成"して演奏し(記憶に新しいところでは2007年の、チャリティー・ペアチケットに2000万円近い値がついた再結成ライブ)、その都度、ファンの熱狂の渦の中に晒される…。伝説的な過去がどこまでも付いて回るというのは、過去の華やかな栄光であると同時に、本人たちの"現在"にとってはある種の不幸なのかもしれない。 この時のペイジとプラントの合体もそうであった。1994年に二人が合流し、アルバム制作とMTVアンプラグドのツアーを行ったが、ツェッペリン時代の曲こそが、多くの聴衆の求めるものであった。その意味では、「ツェッペリンに戻るのは嫌だ」と述べていたロバート・プラントの発言を考えると、このまま消え去っても不思議のないプロジェクトだったと思う。ところが、1998年、本作『ウォーキング・イントゥ・クラークスデイル(Walking into Clarkesdale)』が届けられた。米インディーズ・シーンからプロデューサーにスティーヴ・アルビニを迎えて完成したこのアルバムは、"ツェッペリンのようであり、ツェッペリンのようでない"ものであった。 二人ともツェッペリンのようなものは作りたくなかったはずだ。というのも、そうしたものは70年代の偉大な伝説の焼き直しに過ぎず、あの伝説的な偉業を超えるのは不可能に近いからだ。しかし、無理に非ツェッペリン的なものを作ろうとしても、聴衆や評論家の評価に結びつかないし、何よりセールスも上がらないというジレンマが一方にはある。プロデューサーが当たりだったのか、それとも本アルバム制作に至る過程がたまたまそういう環境を整えることになったのかはわからない。けれども、二人がツェッペリン的なものを目指さず、かといって非ツェッペリン的なものも目指さなかった結果が、本盤のような気がする。両極端を意識しなかったがゆえに、結果として出てきたのは、"ツェッペリン的であり、なおかつツェッペリン的でない"音楽だったというわけだ。1曲目からスリリングでわくわくする興奮は、ツェッペリンのいくつかのアルバムと同様である。それでいて、音は明らかに90年代のサウンドなのである。 残念ながら、このアルバムの後、二人のプロジェクトはすっかり中断されてしまった。本盤が制作された時の緊張感と物事のバランスはそう永く続くような類のものではなかったということか。本作からおよそ10年後、北京五輪の閉会式の舞台に姿を現したジミー・ページはすっかり年をとったように筆者は感じた。ツェッペリン解散から19年後に起こった奇跡は、はたしてもう一度、繰り返されるであろうか。本盤のような奇跡の再現がもう一度くらい起こって欲しいというのは、多くのファンの願いだと思うのだが…。 [収録曲] 1. Shining in the Light 2. When the World Was Young 3. Upon a Golden Horse 4. Blue Train 5. Please Read the Letter 6. Most High 7. Heart in Your Hand 8. Walking into Clarksdale 9. Burning Up 10. When I Was a Child 11. House of Love 12. Sons of Freedom 13. Whiskey from the Glass(日本盤ボーナス・トラック) 1998年リリース。 【楽天ブックスならいつでも送料無料】ウォーキング・イントゥ・クラークスデイル [ ジミー・ペイジ&ロバート・プラント ] お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[洋ロック・ポップス] カテゴリの最新記事
|
|