テーマ:心に残る歌詞(7)
カテゴリ:洋ロック・ポップス
21歳の若さとラディカルな詞の狭間 ~前編~ ボブ・ディランことロバート・アレン・ジマーマン(後に本名もボブ・ディランと改名)は、1941年ミネソタ出身のシンガーソングライター。祖父母の代にロシアから移ってきた移民のユダヤ系家系に生まれた。学生時代にバンド活動やフォークシンガーとしての活動をし、大学を中退して20歳でニューヨークに出た。コロムビア・レコードのジョン・ハモンドにその才能を見込まれ、1962年に『ボブ・ディラン』でデビューするものの、同作は期待されたセールスの3分の1ほどにとどまった。 デビュー作に続いて翌1963年にリリースされた第二作が、この『フリーホイーリン・ボブ・ディラン(The Freewheelin’ Bob Dylan)』で、ディランの出世作となったアルバムである。デビュー作が年間5千枚ほどしか売れなかったのに対し、本盤は人気に火がついた時期には1週間で1万枚も売れたと言われる。ここに収録されている「風に吹かれて」のカバー(ピーター・ポール&マリーによる)が全米2位のヒットを記録し、米国で公民権運動が高まる中、“フォークの貴公子”としてディランに注目が集まったことで、一躍時代の寵児となった。 本作からの代表曲にしてもっともよく知られているのが、1.「風に吹かれて(Blowin’ in the Wind)」である。上記のピーター・ポール&マリーのカバーがヒットした後、ディラン自身のものもシングル化された。“答えは風の中で吹かれている(The answer is blowin’ in the wind)”という、いわば“答えがない”ことを答えにしたような決めゼリフが印象的な詞の曲である。この曲について、当時のディランは次のような趣旨を語っている。答えは本にも載ってないし、映画やテレビや討論会を見ても分からない。なのに、“ここに答えがある”などと言う連中もいる。世の中でいちばんの悪党は、間違っているものを見て、それが間違っていると頭でわかっていても目を背けるやつだ。自分はまだ21歳だけれど、そういう大人が大勢いることがわかった。自分より年長の大人はもっと頭がいいはずじゃないのか。 “男と呼ばれるためにはどれほどの道を歩かねばならぬのか”、“使われなくなるまでにどれほどの砲弾が飛ばなければならぬのか”、“あまりにも多くの人が死に過ぎたと奴が気づくまでにどれほどの人が死ななければならぬのか”、“自由になることを許されるために人はどれだけの時間存在できるのだろうか”。こういった問いかけが続き、“その答えは風の中で吹かれている”と答える。多様な解釈の余地を残しつつ、しかも世の中の矛盾を突いた詞である。21歳という若者が世の中に対して持つ率直な疑問を現すと同時に、その若者はそれだけのことが見抜けるという成熟度を持っている。もっともディラン自身は“時代の寵児”や“若き代弁者”に祭り上げられることを快く思っていなかったとのことだけれど。 (後編へ続く) *収録曲の情報は次回記事に含めることにします。 下記ランキング(3サイト)に参加しています。 お時間のある方、応援くださる方は、“ぽちっと”よろしくお願いいたします! ↓ ↓ ↓ ![]() ![]() ![]() お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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