[Day 11] BOS→NRT<11日め>「長かった、でなく@」米国を訪ねて11日めで最終日。 そして、米國旅行を終えて帰国の日。 最終日というのに、まー、色々あった(^^;) さて、約二週間に渡った休暇は、この長さで取れるのが次はいつになるかわからないが、貴重な長い休みであった。 「日本人は長くても4〜5日くらい」とStockbridgeの朝食時に話したことを思い出す。 この日、朝食を8時くらいに取ろうと思っていたものの、9時になってしまった。 ホストのMiaさんは病院へ行ってしまっているとPeterさんから聞いた。 朝食は、昨晩Whole Foods Marketsで買ったマンゴージュース、フルーツに、マフィン、スクランブルエッグ。 この朝食に先立つこと20分あまり前に、Peterさんが「特別に」ということで屋根上の小さいデッキに連れて行ってくれた。3畳くらいの広さだが、海とボストンの街が見える景色の良いところであった。 そして朝食を食べている時に息子はジュースを机の上にぶちまけて冷や汗(^^;) また、朝食時にPeterさんへ裁縫道具を借りたい、とお願いしたらすぐに持って来てくれた。 あれ?我が家とおなじく針仕事は旦那さんの役割?(^^;) 妻の服のボタンが取れかかっていたので縫い付けた後、食器を洗って荷物をまとめて、って簡単に書いているが荷物が大変だった。 カバンがパンパン、しかも昨晩買ったWhole Foods Marketsのキャスター付きバッグへはお土産中心に入れたが、そこもパンパン。 荷物を一階へ降ろしている間にMiaさんが帰宅。Miaさんの愛車はスバルのフォレスターだった。 NYCではほとんど見かけなかったスバル車だが、ボストンではよく見かけた。 皆が揃ったので、庭で写真を撮る。この写真を撮った直後にPeterさんが出勤していった。 荷物を車へ積み込み、出発。Miaさんが見送ってくれた。 Nahantの街並み。 Nahantを出たのが10時半頃。1-Aに入りすぐのLynnにある「HONEY DEW」というドーナツショップでドーナツを買う。 (指が写ってますが・・・(^^;)) ここのドーナツは日本のミスドのドーナツのようにフワフワ感があって、とても気に入った。 店舗でゆっくり食べたいところだが、空港へ早めに着きたいこともあり移動しながら食べることに。 1-Aをひたすら南下して、昨日と一昨日停めたWonderland駅を通り過ぎ、約20分もしないでLogan International Airportに到着。 「Rent-a-car Returns」の看板がデカデカと出ているので助かる。その看板に従って進み、「Hertz」を目指すと、巨大な駐車場に入り、案内のスタッフがいるところへ進み、スタッフがPDAのようなもので入力してすぐにレシートを渡される。これだけ。 特に会話らしい会話もなく、日本よりもあっけなく返却終了。 ちなみに、今回の総走行距離は829Kmであった。日数のわりにはあまり走っていなかった。 NYC→バークシャー→ボストンエリア、と移動したのが主で、Stockbridge周辺やナハントからWonderland駅への往復ぐらいなので、こんなもんだろう。 ここで借りた車のおさらいを。 メーカー:シボレー(通称 Chevy) 車種:Impara(銀色) ナンバープレート:North Carolina(NYよりもだいぶ南の州) レンタカーから荷物を降ろして、空港までのシャトルバスへ乗り、ターミナルEへ移動。 このバスは、始めに国内線のターミナルへ寄ってから、国際線ターミナルへ行く。 ターミナルEで降り、JALカウンターで荷物預けとチェックインをする。が、しかし、ここで最後のトラブルが・・・(T T) (1)荷物が「オーバーサイズ」と言われる (2)荷物が4つのはずなのに、「3個でしたよね」と確認される (3)Whole Foods Marketsのキャスター付きバッグが、「壊れるよ」と言われる 結果的には、これら3つは解消したのだが、だいぶ時間をロスした・・・(T T) (1)「オーバーサイズ」は、妻が「旦那がJALのグローバルクラブ会員だ」と伝えてくれて、超過分扱いにならなく、OKとなった。これは、ててじゅんのミス。チェックイン時に会員カードの提示が必要であったにも関わらず、色々持っていたために出し忘れていたから。通常は、エコノミークラス搭乗の場合、23Kg×3ヶまでだが、グローバルクラブだと32Kg×3ヶまでOKとなり、27Kgもの差がでる。しかも始めは、超過料金が$60かかると言われて、カバンから荷物を別の荷物や手荷物へ移す作業までしていた・・・(T T)。 (2)「荷物4つのはずが『3ヶ』」は、(1)の件で一度自分のバックパックへいくつか荷物を移した後に、個数確認で「3つ」と言われた。ところが、最初に置いた息子のバッグどうやら含まれていない様子だったので、「水色のバッグを最初に出して、二個目は小さめの四角い黒いバッグだ。小さい黒いのが一個めではない」と、説明し、少し探してもらったところ都合4つあったことを確認できた。フー。 (3)「Whole Foods Marketsのキャスター付きバッグは『壊れるよ』と脅される(T T)」 分解も折り畳みもできない上に、中身を保護するハードケースでもないことから、「中身が壊れるけどいいか。しかも、中を調べるぞ」と言われ、「内容物が破損しても文句を言わない」という意味の文書にサインを求められたが、食べ物ばかりだったので、気前よくサインをしたさ。 そしてさらに「オーバーサイズの預け荷物のところへ行って」と言われたので持って行って預けた。まあ、荷物が4つのはずだという件で日本人スタッフも出て来てくれて助かった。 このキャスター付きバッグは到着して開封した結果は、紙の四角い箱ものは予想通り崩れていたが中身は飛び散ることなく、問題が全くなかった。 しかし、訪れた先々で買い物があり物が増えて、カバンに入らなくなることは予想済みであったが、「買わない」という選択肢を妻子は取れないものか・・・と思い、頭が痛い。 通常、国際線は出国の場合に、セキュリティチェックして、出国審査して、という順番だが、ここは逆であった。 出国審査はえらく簡易的なブースで、2人の係官がいるだけ。そしてその後すぐにセキュリティチェックで、ズボンのベルトも靴も脱ぐのは面倒。 そして360°回転する全身スキャナーが見えて中へ入った人は手を挙げてスキャンを受けるので「ついにこのマシンを初体験か!」と思ったら、息子と自分は普通のゲートだった。見るからに危険そうもないからか??? 手荷物を受け取り、E8Aゲートへ向かった。 出発まで少し時間があり、JALと同じOne Worldアライアンスのアメリカン航空ラウンジを利用できるのですぐに行こうかと思ったが、トイレや土産物買いや、Miaさんからもらったミカンがあったので、搭乗ゲート前の椅子で20分ほど休息。 会社へのお土産は、結局空港の売店で「いかにも」なチョコレートを買った。 この搭乗ゲート前に座っているときにパスポート確認と搭乗券確認があった。 そして、ラウンジへGo! ラウンジはE8Aゲートの左側にあるエレベータで、1Fへ下がるとある。 ててじゅんはそのまま入れ同伴者1人までOKなのだが、もう一人分はマイル支払いで入場。 2000マイルの消費。この受付にいたスタッフが荷物預けカウンターの人で、「また会ったね、こっちでも仕事しとるんだ」と言ったら、「こき使われているのよ」と愚痴っていた。 ラウンジに居られるのは15分くらいであったが、次来られるかどうかわからないので、勿体ないと思いつつ入場。 広さはそこそこ広くて、時間帯や季節のせいなのかわからないが、全然混んでいなかった。 飲み物とクッキーで過ごし、すぐに出発の案内放送があったのでゲートへ向かう。 先ほどすでにパスポート確認と搭乗券確認を済ませていたので、すーっと搭乗できた。 「あー、これでとうとう日本へ帰っていくのか・・・」と、旅の疲れも忘れて、楽しかったこの二週間を思い返していた。 JALでのフライトなので、飛行機が日本の土地のように思え、搭乗時にCAさんが「お帰りなさいませ」と言ってくれるのは日系航空会社ならではだな。 ビジネスクラスエリアを抜け(^^;)、50Aが自分の席。 妻子は一つ前の席。自分の横は日本人の若い男性。始めはその風貌から、中国人か香港人かと思ったが、日本人だった。 フライトは13時間ほどなので、都合4本の映画を観た。観たものは後ほど書く。 離陸までは窓から見えるボストンの景色と空港の飛行機、離陸直後は空から見えるボストンの街を見ていた。 飛行ルートは、カナダ、アラスカを抜けて行く。 ボストンはまた訪問したい街である。もちろんNYCも楽しい街には違いないが、ボストンの街はキレイで臭くなく、アメリカ発祥の地であり、その足跡巡りも行ってみたい。 今回は時間が無かったが。(Stockbridgeで一日多く過ごしてしまったからだけど・・) そして、やり残したことが色々あるなー、と次はあっちへ行ったりこっちでこうして、など未定の予定を頭の中ですでに組立て始めている自分に気づき、可笑しくなってしまった。 息子も旅行前は「行きたくない」やNYCへ着いた時には「早く日本に帰りたい」と言っていたのが、4〜5日過ぎたあたりから「アメリカは楽しい」とか「まだいたい」など楽しんでいたようである。 さて、機内で観た映画を連ねてみる。 ・ポリスストーリー・レジェンド ・BAD WORDS(日本未公開) ・キャプテンアメリカ/ウィンターソルジャー ・白ゆき姫殺人事件 「ポリスストーリー」の後に4時間くらい寝たと思う。起きてもまだアラスカ上空だった。 窓の外を観ると、地上にうっすらと河の光の反射が見えたので陸地とわかった。 食事は、離陸後一時間しないうちに出て来た。昼食? メニューは2つ。 「鶏もも肉のトマト煮込みスパニッシュライス添え」か「舌平目のオランダ煮」であったので、「鶏もも肉」を選択。 鶏肉以外に提供されたものは、「イカとライスヌードルのサラダ」、「カボチャ煮付けとゆで野菜」、「素麺」、「サラダ」であった。 食後にハーゲンダッツのバニラアイスが出て来た。 間食は、デニッシュパン。アメリカ時間だと、夕方すぎくらいの時間である。日本時間だと明け方くらい? 到着の二時間前くらいに「そばめし/ポテトサラダ/フルーツ/ヨーグルト」が出て来た。 日本時間の昼食くらいだろうが、米国東部時間で生活していた身には深夜零時頃。あまり食欲は湧かないものの、食べる。 食事後少し休むと、北海道付近を飛行中。 行きも帰りも、ボーイング787-8。この機体は、窓はブラインドでなく調光ボタンで暗くする。 自分は、帰り便で初めてトイレを使う。思ったよりも広く作られていた。おむつ交換出来る台を引き出せるようになっていて、最新機の進化を感じていた。 そうこうしているうちに、着陸まで一時間ほどの案内があり、太平洋上を南下して、千葉沖で西へ旋回。 犬吠埼の少し北側から霞ヶ浦付近を飛び、成田空港へアプローチ。 予定通りに成田空港へ着陸。 着陸前に見えた、茨城と千葉の田畑の景色は、晴れということもあり、また8月の稲穂の成長した青々とした緑が大地を覆っていて、美しい田園風景に、日本の美しさを感じた。 そんな感慨深い気持ちになっていたのだが、機内から出る前に妻が「5分くらい前から気持ち悪い」と言い出し、飛行機を降りてからトイレへ。 トイレで戻したそうで、妻は搭乗中に飲んだ酒が原因のようだ。以前にも同じことをやっているよねー(@_@) トイレ付近で時間を過ごしていたこともあり、乗ってきた飛行機のクルーが我々を追い抜いていった。 再入国のイミグレーションへは、一番最後に行ったので全然待ち時間なし。 バゲッジクレイムで荷物を受け取るが、ターンテーブルから既に降ろされていて、全部引き取る。 税関も、申告書類を提出(何も申告するものが無かったので)するだけで、質問も皆無。そのまま到着出口へ出て、バス乗り場へ向かう。 ラディソン成田のバスを待つが、日本の蒸し暑さは、カラッとしていたボストンとは異なり、急にこの空気にさらされるとキツい・・・。 16時すぎにバスへ乗って、途中第一ターミナルへ寄るが、乗車客はいない。このバスには我が家3人と、男性一人のみでホテルへ向かう。 ラディソン成田の駐車場に2週間停めていた車へ、荷物を引っ張って行こうと思っていたらスタッフが、ホテルの荷物用台車(?)で車まで運んでくれた。 このホテルのソフト面が良いことは、宿泊したときに感じていたが、また来たいと思わせる教育の徹底がされていると感じた。 さて、ボストンの空港カウンターで荷物の多さに一騒動あった荷物。我が家はChevy Imparaのように巨大なトランクがあるわけでもないのに、大量の荷物。 デミオにはたして乗るのか?不安もあったが、後部座席を片方つぶして全部乗せられた。 ラディソン成田を出てすぐのローソンへ入り、菓子と飲料を買う。帰宅ルートは、東関道→京葉道路→首都高→東名である。 ところで、ローガン国際空港まではレンタカーで運転して行き、その次の運転が成田からマイカーのデミオの運転。 左ハンドル&右側通行へやっと自然に慣れた頭と体は、日本に戻ってすぐに運転したので、右左折や左側通行に感覚がなかなか戻らない。 頭で理解しようとするものの、左折で右側車線に入ったり(妻怒鳴る(T T))、ウィンカーを動かそうとしたらワイパーが動いたり(また妻怒鳴る)、となかなか戻らないものだ。 そんなわけでとても危ないので、慎重に運転。 速度も、米国だと「45マイル」(70Km/h)くらいが一般道の制限速度なので、スピードの出し過ぎにならぬように、高速道路も要注意。 しかし、人間の「慣れ」というのは恐ろしい。 京葉道路へ入る前に渋滞があり、首都高速3号線の池尻手前で渋滞していたが、あとは流れていた。 この日はまだ平日。海老名SAで夕食。この日4度めの食事。時差があったから仕方ないが・・・。 眠さもあるが頑張って運転して、帰宅したのが22時頃。 荷物を全部降ろし、可能な範囲で片付けをする。 新聞は、帰国便に乗った日(日本時間だと到着の前の日)が入っていたのは予定通りだが、小学生新聞は停めたはずなのにいくつか入っていた・・・(^^;) 東名高速を走っている時から雨だったが、自宅へ近づく程降りが強くなっていて雷も鳴っていた。 実は丁度この頃、足柄のキャンプ場ではある事件が起きていたのを後になって知った。 さて、我が家初めての米国本土旅行は12日間に渡る、我々普通の日本人にとって長期旅行となった。 当初の目的は、息子の勉学意欲を発奮させるために、ハーバード大学やMITを見せたり、体験プログラムへ参加させたりして、アメリカの大学への興味や勉学の面白さを考えてもらうこと、だったのだが旅程の大半を妻に任せたこともあり、楽しむほうに傾いてしまった。 自分が6月からかなり忙しくなり、7月は徹夜を毎週していて十分な睡眠も取れずに、なんとか宿泊手配をした程度であった。 NYCはブロードウェイも行きたいこともあり、今回実現できた。 しかし、自分の宿泊手配のミスもあり、ボストン滞在が1日減っているが「予定せぬ貴重な」体験が出来たと思う。 家族揃って色々な体験ができ、特に息子にとって少なからず何かしらの良い刺激になって欲しいと、父は思うのであった。 自分も小学生高学年時に、両親に連れられて、というよりも弱小旅行会社経営していた主催側としてハワイ州へ行ったことがあった。 その時に初めて「ドレスコード」なるものを知ったり、生の英語に触れた記憶がある。また、シーライフパークへ行って、イルカのショーを観たり、子供心にアメリカ、ハワイの風を感じて、記憶に刻まれているのだと思う。 息子も、大人になって思い返した時に、多くは忘れているかもしれないが、今回が貴重な体験だったと思い出してくれたり、何かのきっかけになってもらえたら、旅の意義があったと思える。 次回、米国へ旅行することがあれば、今回訪れた場所や泊まった宿、またそれ以外の行けなかった場所へも訪れてみたい。 最後に、ててじゅんが買った数少ない土産の1つ。 MIT生協で買ったB5サイズくらいのレポート用紙。
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