朝靄(あさもや)のなかの光景
私のうちから電車で3つ隣の町におばのうちがあった。
おばのうちには弟と同い年の従兄弟がひとりいて小さな頃から仲が良かった。
小学校低学年の夏休み、弟と二人でおばのうちに泊まりにいった。
おばのうちは集合住宅の五階にあり、建物の前には川が流れていた。
両岸の堤防には雑草に轍(わだち)ができたような踏み固められた土をのぞかせ、それが道になっていた。
地方の田舎町のどこにでもある風景。
地元にはないちょっと大きめの(七階まである)スーパーで、
女の子が欲しかったというおばにいろいろ買ってもらえるのが楽しみだった。
私と弟だけで厳しい親の目からはなれたところにいるということが、
夏休みという非日常感をいっそう高めていたのかもしれない。
その夏はいつもよりも夏の温度を高く感じた。
親戚とはいえ、自分のでない家族の風景というのは、
まだ小さかった私達にはものめずらしいもので、
うちでのわがままぶりはすっかりナリを潜めていた。
お風呂上りに居間に行くと、うちでは観ないプロ野球の歓声がテレビから聴こえた。
ベランダに面した窓は開け放たれていて、夜風が火照った肌をなでていった。
扇風機で撹拌された部屋の空気は、昼間の熱気が嘘のように静まっていた。
さらさらと乾いた髪と肌、いつもと違うタオルの感触、お気に入りの木綿の肌着。
自分は今いちばんぴかぴかできもちがいいなと感じた。
うちとは違う石けんやシャンプー、洗いざらしのタオルのにおい。
匂い、空気感、背後に流れる生活音。
それら全部が日常であって日常でない感覚で、私はそれに気持ちよく酔っていた。
明日は帰るという夕べ。
自分のうちとは違う見下ろす夜の風景はとうぶん見れないと思うと格別で前の日よりも家々の明かりがきれいに見えた。
月が空や家や田んぼなどを紺色に浮かび上がらせていて、遠くに見える真っ黒な山の陰が町をぐるりと包んでいた。
高い場所から見る田舎町の夜の景色は悪くない。
自分のねぐらに戻れるという気持ちとまだ帰りたくないという気持ちのなかで過ごした。
短いあいだになじんだシーツとタオルケットの間に身体を滑り込ませて目を閉じた。
明け方かすかに鈴の音を聴いた。
ずっとずっと遠いところから少しずつ大きくなってきていた。
コロンコロンと柔らかい音が規則正しく空気をふるわせて近づいてくる。
目を閉じていられなかった。
ずるずるとひざをついたまま窓に近づいてベランダの手すりの間から川沿いの道を見下ろした。
まだ早い時間らしくて人の姿もなく周りの家々も起きだしている様子もない。
朝日がまぶしくて木や家や雑草までもが色濃い影を地面に作っていた。
まだ熱気もない空気はキンとはりつめていてトリの声がやけに楽しそうだった。
ぼ~っとしたまま四つん這いの格好で朝の風景を眺めていたが、やさしい鈴の音とぽくぽくざっざっという音が聴こえてきた。
ぐるっと首をまげて手すりに顔を近づけた。
背の低いがっちりした姿をした人間とその後に続いて歩く4本足の動物が見えた。
光りがあたって顔は見えなかった。
笠をかぶり首に手ぬぐいかタオルをぶら下げたおじいさんが一頭の馬をひいて歩いている。
おじいさんのざっざっと歩く音。
ぽくぽくとリズムよく歩く馬の音。
馬の身体についているであろう柔らかいかすかな鈴の音。
予想もしなかった動物の出現にまだ夢を見ているのかと思った。
馬なんてハナシに聞いただけでおよそ自分と関わることのない動物のひとつだった。
なんでここに?なにをしているんだろう?どこからきてどこへいくの?
うまくまわらない頭を必死に動かしてみたが何ひとつ答えが導き出せない。
彼らは私の見下ろした目の前を静かに通り過ぎていった。
歩調はゆっくりなのにあっという間に離れていく姿は強い光りを受けながら朝日に向かっていった。
小さな老人があんなに大きな馬をまるで犬のように連れて歩くなんて。
白い光りと朝靄が馬と老人をつつんで見えなくした。
まるで今観ていたのが一瞬の幻だったみたいに。
気がつくとおばが朝ごはんを作り、早く起きなさいと私に言った。
朝のテレビ番組を観ながら私以外はみんな起きていて私だけが布団の中にいた。
今日は家に帰れるねお母さんが迎えに来たらどこかに寄って買い物でもしようか。
私の周りで交わされる日常の会話に、なぜかなじめなくてやり過ごした。
ご飯を食べ終わっても母が来ても家に帰ってもあの馬と老人のことは言わなかった。
翌年の夏になっておばの家に行った時に聞いてみた。
おばはそんなことはないと言った。
馬なんていないよ。散歩?聞いたこと無いね。
それはきっとおまえの夢なんだよ。
釈然としなかったがそうなんだろうと思った。馬がいること自体ありえないことだ。
それから二十年以上が過ぎた。
ある事件がきっかけで私はその時の夢を再び思い返すことになった。
「少女監禁事件」である。
女性を九年間も自宅二階に監禁していた犯人は競馬に興味を持っており、
母親に競馬新聞や馬券を買いに行かせたことがあったという。
その競馬場はおばの住んでいるところから車があれば遠くはないところにあった。
犯人が少女を監禁していた自宅は競馬場から遠かったが、
その少女はおばや競馬場のある町に住んでいた。
犯人は時々競馬場に足を運んでいたというから競馬場の帰りに
少女を車で連れ去ったのかもしれない。
悲惨な事件だし自分に無関係な場所でもなかったので非常に衝撃を受けた。
この事件によって、おばの家で見たあの朝の光景が夢でなかったと思った。
馬はいたのだ。
馬があそこを歩いていてもおかしくなかったのだ。
私はその事件のせいで競馬場の存在を知った。
老人がなぜ馬を連れて歩いていたのかは知らない。
ゆったりとした朝の散歩のような風情だった(競馬ふうにいうと引き運動だろうか)。
あの幻のような光景が、陰惨な事件によって現実として私に迫ってきた。
子供のような純粋な思いで受け止めることが出来なくなった。
その事件からほどなくしてその競馬場は廃止になった。
地方の競馬場はどこも経営が苦しく存続が難しい。
そのニュースを聞いてなんともいえない気持ちになった。
その頃にはもう競馬ファンになっていた。(中央の競馬だったけれど)
競馬は素晴らしいだけじゃなくて厳しい世界だ。人も馬も。
それでも馬が走る姿はうつくしいと思うし目が離せないレースもある。
競馬を観るようになるなんて自分がいちばん驚いているかもしれない。
今ではあの朝の光景を思うと影の色が濃くなっているように感じる。
霧のような朝靄(あさもや)の中に包まれて歩む馬と老人の後姿は、
ますます幻想じみた光景になってゆく。
やわらかでかすかな鈴の音をともなって、一人と一頭は寄り添って歩いていく。
私はその記憶を追うたび、あの頃のようにかすんだ意識の中にとりこまれていく。
過去の私に逢うことのできる記憶はほんの少しの胸の痛みをともなう。
きれいなだけの思い出なんてない。
それを知っただけ私は大人になったということなんだと納得してみる。
その時の私の顔は見なくてもわかる。
片方の唇の端を少しだけ上げて、歪んだ大人の笑いを浮かべているはずだ。
過ぎ去った淡い記憶に別れを告げて、チャンネルを切り替えて雑多な日常に戻った。
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