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玉蓮

玉蓮

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July 16, 2005
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私は基本的に ピラミッド展などは 嫌い

(行くけどさ)

人間の死体を見世物にしてるとしか

思えないから

元に戻してあげてって

罰当たるぞって 思う

オベリスクもそう  

墓石の碑文と 同じじゃないかと思うから

エジプトの王様達も 誇張はいけませんよ~!って

思うけど。

あんなもん 学術的な理由でなく

ただのモニュメントとして

よく 自国に持ってって喜んでるなって

思うよ・・・


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


オベリスクで気になること

多分、一番人口に膾炙しているラムセス二世のオベリスク

東側のオベリスクの碑文には確か・・・

「昇りゆき太陽 アメンに愛されしラムセスと名付けた・・・

余は大オベリスクを建立し・・・云々」

西側は持って行かれちゃって現在パリですが・・・

碑文には・・・

「沈み行く太陽 アトウムに愛されしラムセス・・・云々」

とあります。

(私は学者ではありませんから。碑文の訳についての細かな矛盾は

つかないで下さいねん。)

同一王に対して「昇りゆき太陽」「沈み行く太陽」と

二つの表現を用いていることはとてもユニークだと

思いますが・・・

ここで ピンと来るのは (私だけかもしれませんが・・・)

あの

『日出處天子致書日没處天子無恙云々』

(日出づる所の天子、書を日没する所の天子に致す。

恙が無きや)

・・・です。

一般的には隋の煬帝を挑発し、対等外交を目指した聖徳太子の

意図的なものとされていますが

晩年の太子の行状などから 彼は心を病んでいたという説もあり

そのために ああいった文章を送ったという事も考えられて

います。


私にとっての謎・・・

当時、属国関係にあった日本がどうしてそんな挑発的な親書を

送ったかと言う事もさることながら

普通ならこんな無礼な親書をよこした日本に対する

隋の寛容さに対する疑問です。

(確かに当時隋は国内にも火種があり、反面、ある程度内乱が

落ち着き、安定した政権を維持している日本と付き合いが損に

ならないとしてもです。)

「大体、隋の煬帝って残酷なんよ~!」

その疑問を解く一つの鍵がオベリスクの碑文に見られるの

かもかもかも・・・です。

(って合理的な解釈が出来る方求む。)

だってだって・・・

合理的解釈できるまでには

当時の王に対する信仰の位置付けが

シルクロードを介してどこまで中国大陸に入り込み

影響を与えたかを調べなきゃあいけないし

結果

「なかった!」って

トホホホの結果なんて

よくよくよく・・・あり過ぎ。

なので・・・






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Last updated  August 4, 2005 03:00:03 AM
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