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秋に咲くヒマワリ・・なのかもね。

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2020.04.08
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アマゾンプライムビデオで視聴。

生瀬勝久さんの作品を探していたら見つけた作品です。特に下記の説明を読むまでもない、文句なしに面白い、元気の出るお勧めの作品です。俳優も私好みの方が多数出演されています。

サントリー創業者の生涯をたどる中で、国産ワイン、ウィキー誕生までの苦労、サントリーのCMがなぜ頭一つ抜け出ているのか、ニッカウィスキーとの関係、戦前はビールもやっていた、角瓶誕生の秘話、関東大震災は大阪でも揺れていたとかが自然とわかり、2時間があっという間に過ぎます。俳優さんがそれぞれいい仕事してます。


日経ドラマスペシャル「琥珀の夢」:テレビ東京




■参考リンク
Wikipedia:琥珀の夢
『琥珀の夢』(こはくのゆめ)は、伊集院静の長編小説。『琥珀の夢 -- 小説、鳥井信治郎と末裔』と題し日本経済新聞に2016年7月1日から2017年9月5日まで連載[1][2]、『琥珀の夢 小説 鳥井信治郎』(こはくのゆめ しょうせつ とりいしんじろう)と題して集英社より2017年10月5日に上下巻にて刊行された。日本初の国産ウイスキー造りに挑んだサントリー創業者・鳥井信治郎の生涯を描く。
『日経ドラマスペシャル 琥珀の夢』(にっけいドラマスペシャル こはくのゆめ)と題してテレビ東京・BSテレ東により2018年にテレビドラマ化された。
出演者
内野聖陽
檀れい
生瀬勝久
山本耕史
大東駿介
田口浩正
倉科カナ
中村梅雀
伊武雅刀
市川左團次
原田美枝子
西田敏行
ナレーター 渡辺いっけい

Wikipedia:サントリー
歴史・概要
創業
1899年(明治32年)2月に、鳥井信治郎が、葡萄酒の製造販売を目的とした鳥井商店(とりいしょうてん)を大阪市西区靱中通2丁目(現・靱本町1丁目)に創業。これを母体として、1921年(大正10年)12月1日に、大阪市東区住吉町(現・中央区松屋町住吉)に株式会社壽屋(ことぶきや)を設立。
ブランド名「サントリー」の誕生
1929年(昭和4年)4月、初めて発売したウイスキーに鳥井信治郎が「サントリー」と名付けた。これは当時発売していた赤玉ポートワインの「赤玉」を太陽に見立ててサン(英語のsun)とし、これに鳥井の姓をつけて "sun" + "鳥井"(とりい)= "サントリー" とした。 創業の基となった赤玉ポートワインに感謝し、太陽を忘れるなと言う思いを込めたものである。 「鳥井さん」(とりい・さん)を逆さにしてサントリーとした、鳥井に三人の男子がいたから「三鳥井」にした、という説も広まっているが、これは誤りである。[3] 創業者の「佐治」さんと「鳥井」さんを合わせて、「サントリー」という説もある。

Wikipedia:ニッカウヰスキー
1934年(昭和9年)、広島県賀茂郡竹原町(現・竹原市)出身の竹鶴政孝によって北海道余市郡余市町に前身である「大日本果汁株式会社」が設立され、同社の略称「日果(にっか)」の片仮名書きが現在のブランド名になっている。2001年(平成13年)、筆頭株主のアサヒビール株式会社(現在のアサヒグループホールディングス)が全株式を取得して完全子会社化された。ニッカウヰスキーが製造する商品の販売はアサヒビールが行なっている。
歴史
概要
寿屋(サントリーホールディングスやサントリースピリッツの前身)でウイスキー製造に従事していた竹鶴政孝が、スコットランドに近い気候の北海道でウイスキー作りをするために退社し、資本を集めて北海道余市で創業したのが始まりである。最初期の筆頭株主は、加賀証券社長の加賀正太郎。加賀は社内では「御主人様」と呼ばれ、創業者の竹鶴は専務と呼ばれた。
ウイスキーは製造開始から出荷まで数年かかるため、最初期は余市周辺の特産品であったリンゴを原料に、リンゴジュース(商品名は日果林檎ジュース、のちに敵性語排斥によって日果林檎汁に改名)、リンゴワイン、リンゴゼリー、リンゴケチャップなどを製造・販売していた。しかし、創業者竹鶴の品質へのこだわりはリンゴジュースにも及び、高価な果汁100%ジュースしか出荷しなかったため、あまり売れなかったという[3]。
1940年(昭和15年)にウイスキーの出荷を開始[4]。製品はリンゴジュースの商品名「日果」をカタカナにし、ニッカウヰスキーと名づけられた。直後にウイスキーは統制品となり、大日本果汁は海軍監督工場となった。当時スコッチウイスキーの国内最大の消費者は帝国海軍であったが、イギリスからのウイスキー輸入が途絶えたため、日本国産ウイスキーへの需要が高まった。このときは将校への配給用の酒を製造するために優先的に原料の大麦が割り当てられたため、事業の継続が可能となった[5]。





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Last updated  2020.04.13 00:46:52
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