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2021.06.08
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小学生の頃、日曜の夕方にやっていたヤングおー!おー!で、1社提供の日清食品のカップヌードルがよく紹介されていて印象的でした。

自分は即席麺はそれほど好きではなく、カップヌードルもそれほどおいしいとは思いませんでしたが、弟は喜んで食べてました。

その後登場したどん兵衛やUFOで一気にカップ麺のファンになりましたが、プロジェクトXの後に観たザ・プロファイラー の安藤百福さんの回で、これらが、息子さんの企画だと知りびっくり。

プロジェクトXでは技術的困難を若手社員に乗り越えさせる安藤氏の度量の広さを感じましたが、ザ・プロファイラー では、47歳で無一文になってもへこたれず、再起を果たし、61歳でカップ麺の開発を成功させ、会社を危機から脱出させるバイタリティーは見習いたいと思いました。自分も残る生涯で何かひとつでも成し遂げたいと思いました。

その後開発したカップライスはずっこけて、当時の年間利益程度の損失が生じたようですが、今の時代にひと工夫して、非常食とかで、また脚光を浴びたらよいのになと思います。



■参考リンク
2021.6.8NHK:プロジェクトX「カップめん・どん底からの逆転劇」
昭和46年、日清食品は価格競争にさらされ業績が悪化していた。そんな中、社長の思わぬ発想をきっかけに起死回生の開発に挑む。世界中で欠かせなくなった食品の誕生秘話。
昭和46年、20世紀の食生活を劇的に変えた食品が登場した。お湯を注いで3分、いつでもどこでも食べられる「魔法のラーメン」、カップめんだ。発売したのは、日清食品。当時、価格競争にさらされ、業績が悪化していた。そんな中、社長の思わぬ発想をきっかけに起死回生の開発が始まった。カップの形に合わせためんは、中まで火が通らない。問屋から「食べ物ではない」と拒絶された。世界中で欠かせなくなった食品の誕生秘話。
【アナウンサー】国井雅比古,膳場貴子,【語り】田口トモロヲ

Wikipedia:ヤングおー!おー!
ヤングおー!おー! (YOUNG OH! OH!) は、1969年から1982年まで放送された毎日放送(MBSテレビ)制作の公開バラエティ番組。
※一社提供時代のみ記述(後述の期間以外は複数社提供)。
日清食品(1971年10月 - 1982年3月) - 遅れネット局も含めてスポンサードネットで放送。提供読み時のキャッチコピーは「おいしさは世界のことば」。同社のCMに出演していたタレントやCMソングを歌っていた歌手もよくゲストに出演していた。代表的な例としてはピンク・レディー、浜田省吾など。
概要
沿革
1969年7月3日開始。落語家の桂三枝(現:6代目桂文枝)と、当時MBSアナウンサーの斎藤努がパーソナリティを務めていた公開収録形式のラジオ番組『歌え! MBSヤングタウン』のテレビバージョンとして制作された[1]。当時は若者向けのテレビ番組がなく、この番組を「若者の“電波解放区”」と名付け、「彼らが興味のありそうなものを雑誌のように、ブロック構成で見せる」ことをはかり、多彩なコーナーを短時間で次々見せていく形式を作った[1]。初代司会は、三枝に加え笑福亭仁鶴が担当し、すぐに横山やすし・西川きよしが加わった。初代進行役は斎藤が務め、のちにMBSのアナウンサーが歴代務めた[1]。
当時ディレクターだった林誠一は、コメディドラマが主流だった従来の在阪局のお笑い番組について「大阪の人気者は必ず役名が肩書につく。だから番組が終わればおしまいになる」と気づき、そのアンチテーゼとして「タレント個人のパーソナリティー」を重視する演出を図った[1]。また、強力な裏番組であった朝日放送の『てなもんや一本槍』にチャンネルを変えさせまいと、番組開始直後に仁鶴に「ごきげんようー」と絶叫させ、画面に釘付けにさせる工夫を図った[1]。同番組は放送開始後、たちまち人気を獲得し、番組開始2年目の1970年には日本民間放送連盟賞テレビ娯楽番組部門銀賞を受賞するに至った[1][2]。
吉本興業所属の若手芸人にとっての登龍門的番組で、1950年代後半から1970年代前半まで松竹芸能の独走状態であった上方演芸界の勢力図を、当番組のヒットにより現在の吉本中心へと大きく塗り替えることとなった。この番組で全国区の人気者へと上り詰めた仁鶴と三枝は、3か月遅れで番組レギュラー入りし大ヒット曲『嘆きのボイン』で猛追した月亭可朝を加えて、俗に「上方落語若手三羽烏」と呼ばれた[1]。また仁鶴・三枝・やすきよは「吉本御三家」と並び称された。ほかにもこの番組を「出世作」として人気に火が付き、全国進出のきっかけを作ったタレントは多く、明石家さんまが、ブレイクのきっかけとなるプロ野球の投手・小林繁のものまねをテレビで初披露した番組でもある。
番組内で芸人複数によるユニットを結成し、若手の売り出しを図るという番組フォーマットは、吉本独特のスター工法としてのちに定着し、ダウンタウン司会で心斎橋筋2丁目劇場より生中継された『4時ですよーだ』(毎日放送、1987年 - 1989年)、さらにはナインティナインを中心とした「吉本印天然素材」などでお家芸として定着していくことになる。








Last updated  2021.06.10 23:05:26
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