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秋に咲くヒマワリ・・なのかもね。

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2021.09.14
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半年続いたNHKのプロジェクトXも早いもので最終回。うっかりうたた寝して後半しか観られなかったので、DVDを借りました。

今回は薬師寺・金堂の復元の話です。戦国時代に消失した金堂を図面も無いのに、古文書と遺跡の測定だけで完成させる宮大工の西岡常一さんをはじめとしたチームの皆さんのご苦労を描いてます。これからも、西暦700年以降に建てられた大きなお寺や神社の修繕や改築は続くのかと思いますが、リーダーとなる宮大工さんの養成は大丈夫なのかと心配になりました。また、木造のお寺は1000年以上もつのに、日本の木造家屋は30-40年で建て替えになりますが、もう少し寿命を延ばせないかと思いました。

番組では、薬師寺・金堂の復元の資金集めには管主の高田好胤さんの広報活動が大きな役割を果たしていたことが紹介されていました。復元資金を企業からの寄付に頼らず、当時はなじみのなかった1枚1000円の写経を売ることで集め、そのためにマスコミや全国各地で法話を行い、目標の100万人と10億円を達成されたのは、素晴らしいアイデアだと思いました。

NHKがこの話を最終回にもってきたのは、日本の伝統技術の大切さとともに、高田管主の取った行動が、当時や現在の仏教に必要なものであると訴えたかったのではと思いました。

半年間プロジェクトXを観て、たった20年間なのに企業の栄枯盛衰は昔に比べて激しくなっているのに驚きました。テレビは終わりましたが、たまにDVDを借りて、また視聴したいと思います。






■参考リンク
9/14NHK:プロジェクトX4Kリストア版[終]「薬師寺 幻の金堂・ゼロからの挑戦」
戦国時代に焼失した薬師寺・金堂。5年の歳月をかけ昭和51年に完成した。400年前の姿を復元させる難工事に挑んだのは「鬼」と言われた宮大工と若い大工たちだった。
薬師寺・金堂は、昭和51年に5年の歳月をかけて完成した昭和最大級の木造建築物。戦国時代に焼失後は仮の建物だったため、再建は長年の悲願だった。わずかな資料をもとに400年前の姿を復元する難工事。その総指揮をとったのは「鬼」と言われた宮大工・西岡常一だった。全国から集まった若い大工たちをまとめて再建に挑む。彼らの多くが民家の仕事しか経験がなかったが、西岡は一つ一つ役割を与え、金堂をよみがえらせていく。
【司会】国井雅比古,久保純子,【語り】田口トモロヲ

Wikipedia:高田好胤
高田 好胤(たかだ こういん、1924年(大正13年)3月30日 - 1998年(平成10年)6月22日)は、法相宗の僧。薬師寺元管主。法相宗管長。分かりやすい法話により「話の面白いお坊さん」、「究極の語りのエンタテイナー」とも呼ばれ、そこから百万巻写経勧進の道を切り開いて金堂、西塔など薬師寺の伽藍の復興に道筋をつけるなど、薬師寺の再生に生涯をささげた[1][2]。
生涯
1949年、好胤は副住職に就任[1][3]。当時の薬師寺は、老朽化が進んで荒れるに任せる状態であった[3]。好胤は「仏法の種をまくことが自分の使命」であると考え、修学旅行の生徒達への法話に力を入れた[1]。18年もの間の長きにわたり、そのユーモアたっぷりで分かりやすい法話は「青空法話」とも呼ばれて人気を呼び、高田の法話を聞いた生徒は、一説には600万人以上にものぼるという[1]。法話は薬師寺境内のみならず、東京の三越劇場などでも行われた[2]。その話術は、のちの人間国宝である落語家の三代目桂米朝も参考にしたほどであった[5]。
1967年、好胤が管主に就任すると金堂の再建を志し、ついで西塔、中門、回廊などを次々と再建した。特に西塔の再建については強い世論の反対があったが小説家でフランス文化相だったアンドレ・マルローの賛意を背景に実現した。その是非については現在も議論が分かれている。再建費用は大きな課題であった。金堂の再建だけでも約10億円が必要だったが檀家組織を持たない薬師寺にはその負担をするのは困難であった。そこで高田は全国の篤志の人々から一人1000円の写経納経の供養料を集める勧進を行い、これを賄おうと考えた(写経勧進)。一人1000円では100万人の写経が必要であった。当初は一年に一万巻しか集まらなかった。好胤は全国、800以上の市町村で8000回におよぶ講演をして周った。好胤の書籍出版が好調だったこと、三越百貨店での月光菩薩展示も追い風となった。これによって復興事業は一挙に進んだ。1976年には念願の100万巻が達成され、同年、金堂が再建された。その後も写経勧進は進み、1997年には600万巻にのぼった。写経勧進は現在も薬師寺の大きな柱の一つとなっている。好胤の没後、大講堂が落成している。建物の再建には法隆寺の宮大工として知られる西岡常一が当り、千年先のことまで考えて建てたという。金堂にコンクリートを使うべきかどうかで行政当局と論争になった。西岡はコンクリートは300年しか持たないが、木は1000年持つと主張したが、結局一部コンクリートを使うことになった。





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Last updated  2021.09.28 07:53:49
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