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2022.01.15
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カテゴリ:健康 Health
墨田区から手紙で、健康保険を使って通常10,000円くらいかかる胃カメラが1,500円で受けられるというお知らせが届き、特に胃腸に不調は無いけど、受けてみました。

前日は21時までに食事をとり、以後は水だけは可で、食べ物や薬は不可との注意を受けました。ネットで調べたら、お酒は過度で無ければ可、薬は朝6時までならよいとの記事を見つけ、大腸内視鏡検査の時に比べたら規則が緩かったのに甘えて、前日は太田屋で牡蠣鍋を肴にビールと日本酒で一杯やりました。

当日は管を口からか鼻から挿入するか聞かれ、口はオエッ!となるそうなので鼻を選択。左右どちらの鼻にするか試しに挿入して、右に決定。麻酔を鼻の穴に注入し10分くらいして検査開始。思ったより痛くなかったですが、鼻から入った冷たい金属チューブが、体をおりていくのがわかり、なんか変な感じです。20分くらいで終了。


終って、お医者さんに喉から、胃、十二指腸に至る自分の写真を見せられながら、解説を受けました。基本的に問題なく、病理検査に回すポリープ等もないとのことで安心しました。写真で、逆流性食道炎、ポリープ、良性腫瘍を指摘され、ちょっとびっくり。鼻から、喉、胃、十二指腸と続く写真を観て、このまま腸、お尻へと一本の管でつながってるんだなと思い、人体の神秘に感動です。子供のころに観た映画のミクロの決死圏を思い出しました。




胃は痛くないと思っていても、今回のように小さな異変が見つかったので受けてよかったと思います。また、受けたいと思います。

麻酔が結構効いたので、家に帰って2時間くらい昼寝しました。直後の運転はやめたほうがよいと思います。また、午前に検査受けて、午後仕事もきついと思います。

病院を出て、長年店の前を通って気になってましたが、今回初めて入る、錦糸町駅前のキッチン藤で、ロースかつ定食を食べたら、分厚いかつのおいしさにびっくり。
おそらくご夫婦で経営されていると思いますが、ちょっと話しただけで、お二人ともお人柄の良さがにじみ出ている感じなのがうれしかったです。
週イチでぜひまた訪れたいと思いました。大収穫でした。

キッチン藤 - 錦糸町/洋食 | 食べログ


■参考リンク
上部消化管内視鏡検査(経鼻挿入)の受け方

Wikipedia:内視鏡
開発
1950年(昭和25年)10月28日、東京大学医学部附属病院分院の副手だった宇治達郎とオリンパス光学工業(現・オリンパス)の杉浦睦夫、深海正治が、極めて小さなカメラ本体及び光源(超小型電球)を軟性管の先端に取り付けた国内で初めての胃カメラ「ガストロカメラGT-I」を開発した[9]。同年に3人を発明者として「腹腔内臓器撮影用写真機(ガストロカメラ)」の名で特許が出願され、1954年(昭和29年)に発明協会から創立50周年記念全国表彰として朝日新聞発明賞を、1990年(平成2年)に吉川英治文化賞を受賞している。この開発の経緯は、2000年(平成12年)4月18日に、日本放送協会のプロジェクトX〜挑戦者たち〜第4回「「ガンを探し出せ」~完全国産・胃カメラ開発」として放映された。また1980年(昭和55年)に、吉村昭が読売新聞の朝刊に小説「光る壁画」として連載しており、1981年(昭和56年)に新潮社より出版された。日本機械学会では「オリンパスガストロカメラ GT-1」を「機械遺産」第19号として認定した。
だが、宇治は父親が開業する医院を継ぐため大学を去り研究を中断した。東大病院分院の城所仂と今井光之助は研究を引き継ぎ、カラー撮影の研究を行った[10]。当時の胃カメラは故障が頻繁に発生し、臨床現場では使いものにならなかった[11][12][13]。
1953年(昭和28年)に東大病院本院の田坂内科(現・第一内科)第八研究室の﨑田隆夫、芦澤真六達は胃カメラの研究を始め、カラー撮影の実用化研究、撮影技法の確立を行い、胃カメラ改良の提案と要請を重ねて1956年(昭和31年)に胃カメラを実用化し[14][15][16]、撮影技法や画像の読影法を講習するなどの普及活動を行った[17][18]。これらにオリンパス光学工業から中坪寿雄、松橋章をはじめとする技術者や関係者が協力した[19]。本院の田坂定孝は、この研究を評価し積極的に後援した。1958年(昭和33年)、胃カメラ検査に健康保険の適用が認められた[20]。﨑田と城所の相談により1955年(昭和30年)に発足した胃カメラ研究会が発展し[21]、1959年(昭和34年)第1回日本胃カメラ学会(後に日本消化器内視鏡学会)が会長田坂のもとで開催された[22]。胃カメラは、内視鏡医療の基礎を築いた[23]。現在でも上部消化管内視鏡を総称して、俗に「胃カメラ」と呼んでいる。
1960年代になると、光ファイバーを利用したファイバースコープが開発され(バジル・ハーショヴィッツ他)、医師の目で直接胃の内部を観察することができるようになった。胃ファイバースコープには、銀塩カメラが取り付けられるようになり、客観的な検査結果として、他の医師にも写真を供覧できるようになった。
1970年代から使用された直視型のファイバースコープ
1970年代には、スチルカメラ付きファイバースコープが広く用いられるようになった。電子機器の発達に伴い、スチルカメラにビデオカメラを取り付けた機種や、CCDセンサを取り付けた電子内視鏡(ビデオスコープ)が登場し、現在多くの病院で使用されている内視鏡の原型が誕生となった。ビデオ装置を用いると、複数の医師やコメディカルスタッフが同時に病変を確認することができ、診断と治療に大いに役立った。
世界的に主流となったオリンパスは、モノクロCCDをプロセッサー側に使用し、3色の光を連続的に照射して、その反射光をプロセッサー側で合成するという方法を採用していた。対するフジノン(富士フイルム)は、白色光を照射し、カラーCCDカメラを採用していた。いずれにしても、この頃の機種は光ファイバーで画像をプロセッサーに送っていたので、解像度は光ファイバーの密度に左右された。やがてCCDはカメラの先端に内蔵されるようになった。また画像処理のデジタル化が進められた。






Last updated  2022.01.17 20:44:01



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