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2022.01.17
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戦前の日本では生まれて1年以内に死亡する乳児死亡率は10人に1人と言われましたが、今は300人に1人と大きく改善しています。

今回のプロジェクトXは、当時は重視されなかった難産の末に生まれたり、未熟児で生まれた新生児とお母さんの両方の命をを救うことを重視して、日本の周産期医療に貢献したパルモア病院のお話です。

10人に1人の赤ちゃんが死ぬということは、当時のお母さんにとっては出産はまさに命がけだったと思います。生まれてからすぐ死ぬ赤ちゃんは生きる力が弱いと見捨てられていたのを、救ってきた三宅先生の功績はもう少しWikipediaで紹介されてもよいと思います。



2016年11月22日 火曜日日本のお産の安全度は、世界トップレベルです。~自然出産のリスク その2~:らくらく子育て研究所 執筆者:佐々木愛さん








■参考リンク
NHK:新価格版 プロジェクトX 挑戦者たち 耳を澄ませ 赤ちゃんの声 ~伝説のパルモア病院誕生~
2000年~2005年にNHK総合テレビ放送された「プロジェクトX 挑戦者たち」。熱い情熱を抱き、使命感に燃えて、様々な困難を乗り越え“夢”を実現させてきた「無名の日本人」たちの姿は、全国で感動を呼び、社会現象にもなった。
以前DVD化した88作品の中から“生命の尊さと日本人魂”の物語を中心にセレクトした9タイトルと、初DVD化の1タイトルを加えた10タイトルを、お求めやすい新価格でリリースする、シリーズ第6期!
【収録内容】
昭和31年、ひとりの若い産婦人科医が、日本で最初の新生児医療を神戸市内の診療所パルモア病院で開業した。しかし、日本の新生児医療は困難の連続だった。次々と襲いかかる困難から小さな命を守ろうと奮闘し、日本の閉鎖的な縦割りの医療界に革命を起こした医師たちの感動のドラマを再現映像を交えて紹介する。
【出演】
国井雅比古、久保純子、膳場貴子 ほか
【語り】
田口トモロヲ

「新生児」に生きる~三宅簾 パルモア病院物語

パルモア病院と三宅廉医師
1949(昭和24)年頃より
パルモア学院院長室と教授研究室を開放して、医師の資格をもつ宣教師が、パルモア学院生徒を対象とする内科の診療を行っていた。この頃は、まだ戦後の住環 境問題、食糧・医療資源の不足が強く、人々の健康を大きく脅かしていた時代であった。事実、働きながら実用英語を学んでいる学院生の中にも健康を損なっ ている人たちが多かった。当時の学院長石井卓爾は、学校内での診療を続けるにつれ、近隣の人たちが受診できる診療所を作りたいという思いを強めていった。 そして、京都府立医科大学の教授をしていた義弟の三宅 廉を専任の医師として招聘した。
パルモア学院:1886年 W.B.ランバス宣教師によって夜間の英語学校として設立され、英語と聖書を教えていた。ランバス師は1889年全日制の学問教育の場として関西学院を創立した。また、神戸栄光教会の創立者でもある。
1951(昭和26)年10月1日 医療法人パルモア診療所設立認可をうける。
初代所長 : 三宅 廉(小児科、昭和23年度唐澤賞受賞、京都府立医科大学教授)
内科医師 : ゲルハルトL.シュエルゼンツ(スイス、医療宣教師)
診療所の初代所長として招かれた三宅廉は、患者に充分な医療を行うには入院施設が不可欠であると診療所を19床の有床診療所にした。三宅廉の心中には常に聖書の「善いサマリア人」のたとえ(ルカによる福音書10章25-37節※)を話されたイエスキリストの『あなたも行ってそのようにしなさい』というお言葉が響いていたのであろう。
1956(昭和31)年1月16日 パルモア病院開院
住所 神戸市中央区北長狭通4丁目9-15
理事長 樋口 伴冶(社会福祉法人団体役員)
病院長 三宅 廉(小児科医師)
副院長 椿 四方介(産婦人科医師)
病床数 21床
医療法人(財団)パルモア病院設立許可1955(昭和30)年10月12日
三宅廉は大学小児科医局の時代から新生児に魅せられていた。当時は、分娩前後の新生児の死亡率が未だ高く、新生児救命に医師としての使命を強く感じていた。しかし、大学では各科別教室の医局制度の壁に阻まれて産科との情報交換もままならない状況に、もどかしさを覚えていた。これらの背景から、三宅廉は新しい病院では小児科と産科が協力していく体制を創って行くことに意欲を傾注した。
最初は、お産に小児科医も立ち会うことから始まり、妊娠中の妊婦の状態、分娩前後の母体や胎児・新生児の状態についての情報交換のために小児科医と産科医の周産期カンファレンスの開催などを実施した。また小規模ながら新生児室、未熟児室を備え、数台の未熟児保育器を設置した(※1)。
さらに、新生児重症黄疸に対しては、戦後はじめて淀川キリスト教病院のブラウン院長を通じて アメリカから日本に紹介されたダイアモンド法による交換輸血を淀川キリスト教病院に次いで採りいれ、重症黄疸による脳障害の発生を防いだ(※2)。
三宅廉が新たに創っていた体制は、産婦人科は妊婦を、小児科は乳児以降を診るという棲み分けをなくした、まさに、周産期医療の先駆けと言える新体制だった(※3)。
(※1)
神戸大学附属病院、県立こども病院に早産児・未熟児を受け入れる施設ができるまでの数年間、他院からの搬送も受け入れた。
(※2)
これはその後、光線療法が有効とされるようになってから、手術例は減少し、当院では(現在では)行なわれる機会は皆無となっている。
(※3)
NHKプロジェクトXに『第49回 耳を澄ませ 赤ちゃんの声 ~伝説のパルモア病院誕生~』として、またアンコール放送に『救え赤ちゃん 奇跡の指先~パルモア病院~』として放映された。
以下略

Wikipedia:パルモア病院






Last updated  2022.01.18 00:08:41
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