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2022.05.13
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今回のお話は、実に32年もかけて、共食いや謎の衝突事故等、数々の困難を克服してクロマグロの完全養殖を成功させた近畿大学水産研究所のお話です。

国の音頭取りで始まったクロマグロ養殖研究事業ですが、途中資金が打ち切りになった後も、別の魚の養殖で資金を確保しながら、研究を続けた近畿大学の実学の精神は立派だと思いました。

銀座に近代マグロのお店があり食べログで3.5の高評価なようで、機会を見つけて行ってみたいです。

近畿大学といえば勢いのあるマンモス大学というイメージでしたが、今回調べたら、同じマンモス日大から経営分離したことを知りびっくり。

初代総長・理事長の世耕 弘一氏は、戦後、隠退蔵物資事を国会で追及されたことを3か月前に苫米地英人先生の「日本人の99%が知らない戦後洗脳史」で読みました。いろいろつながってるんだなと思いました。






■参考リンク
NHKプロジェクトX:挑戦者たち 海のダイヤ 世界初クロマグロ完全養殖
内容説明
日本人が最も消費する魚・マグロ。昭和40年代、その漁獲量が頭打ちとなり、安定供給の危機が迫った。そのとき、立ち上がったのは近畿大学水産研究所の男たち。戦後、ハマチやタイ、ヒラメなど、海魚の養殖技術一筋に生きてきた研究者。「海のダイヤ」の異名を持つマグロの王様・クロマグロの完全養殖に乗り出した。世界初の挑戦。魚は共食いや謎の衝突死で全滅するばかり。それでも、30年の苦闘の末、見事、初出荷に成功する。

近畿大学水産研究所 銀座店 - 日比谷(居酒屋) - 食べログ

Wiki:近大マグロ
近大マグロ(きんだいマグロ)とは、近畿大学水産研究所が1970年から研究を開始し、2002年6月に完全養殖に成功したクロマグロ[1]。近畿大学のベンチャー企業「株式会社アーマリン近大」の販売するクロマグロの登録商標である。
概要
稚魚を天然から捕獲して養殖した畜養マグロと異なり、養殖施設で人工孵化した完全養殖マグロであり、これによりマグロ資源の減少を防ぐことが可能とされる。マグロの稚魚は皮膚が弱く刺激に過敏であり、光などの僅かな刺激でも水槽の壁で衝突死したり、底部への沈降死をする上に共食いをするため、研究当初は人工孵化した稚魚が大量死してしまい研究は難航したものの、研究を積み重ね対策を講じた結果、2002年6月に完全養殖に成功するに至った[1]。
クロマグロは本マグロとも呼ばれる最も大型なマグロで、近大マグロの最大記録は、全長287cm、重量403kgにもなる。
現在、年間漁獲量は約2.5万トンでマグロ類全体に占める割合は1.4%。高価であるため「海のダイヤ」と称される。
2015年8月からは海の養殖場ではなく、水槽での完全養殖研究を開始[2]。富山県射水市の富山実験場で直径10メートル、深さ3メートルの水槽を使い研究が進められている[2]。
産業化
当初クロマグロは生き餌しか食べないとされていたが、研究の結果、2008年にはクロマグロ用の配合飼料も開発され、産業化が可能となった。
稚魚から幼魚にする「中間育成」も近畿大学と豊田通商の子会社「ツナドリーム五島」により、従来生存率2~3%だったものが、2011年に生存率35% まであげる事に成功し、量産が可能となった[3]。
2014年7月16日、近畿大学が豊田通商との提携関係を拡大し、完全養殖マグロの大量生産を始めると発表[4][5][6]。近大の技術を使い産卵や稚魚育成を行う種苗センターを豊田通商が長崎県五島市に建設し、2015年5月に稼働させ、2020年に日本国内の養殖需要の半分に相当する年間30万尾の「近大マグロ」の稚魚を生産する計画[4][5][6]。
2014年11月26日、近畿大学と豊田通商が完全養殖クロマグロの生産量を2020年に現在の年80トンから約3倍の240トン(約6000匹)に増やすと発表[7][8]。2017年度には、北米やアジアへの輸出も開始する予定[9]。
2015年7月23日、近畿大学と豊田通商がクロマグロの養殖施設「ツナドリーム五島」の隣接地にいけすに入れる前の稚魚を育てる「ツナドリーム五島種苗センター」を新設[10]。「ツナドリーム五島種苗センター」でクロマグロを卵からふ化させて、約30日かけて体長5センチメートル前後の稚魚になるまで育成し、その後、「ツナドリーム五島」で稚魚をいけすに受け入れ、養殖業者に出荷できる体長30センチメートル、重さ約1キログラムの幼魚「ヨコワ」に育てる[10]。
「ヨコワ」の多くは養殖業者に販売し、一部成魚まで育て「近大マグロ」として販売している[11]。
2017年10月5日、豊田通商と近畿大学は「近大マグロ」の海外輸出を本格的に始めると発表した[12]。2020年に約2000匹の輸出を目指すとしている[12]。
販売
近畿大学の関連会社である「アーマリン近大」を通じて、成魚が百貨店・飲食店等に販売されている。
2014年12月1日、近畿大学とエースコックは共同開発した「近大マグロ」を使ったカップ麺を限定150万食で発売したと発表[13][14]。近大が展開する専門料理店ででたマグロの中骨からエキスを炊き出してスープにしたもので、近大はこれまで中骨を廃棄処分していたが、近大からエースコックに再利用の検討要請をし、共同開発が決まった[13]。大手でマグロのカップ麺は初めてとなる[13]。
このほか、中骨エキス入りカレーパン(第一屋製パン)、美容液(UHA味覚糖)が発売された。兵庫県姫路市に本社を置くコードバンは、近大マグロの皮をなめした皮革で名刺入れや財布などを生産・販売している[15]。
近大卒の魚と紀州の恵み 近畿大学水産研究所
2013年4月26日、大阪駅北側の再開発地区・うめきた内:グランフロント大阪の北館「ナレッジキャピタル」6階に、近畿大学とアーマリン近大、およびサントリーグループと和歌山県との連携による養殖魚専門の料理店「近大卒の魚と紀州の恵み 近畿大学水産研究所」(大阪店)が開店した。同店では、水産研究所が育てた「近大マグロ」などの養殖魚を中心とした魚料理をはじめ、水産研究所が所在する和歌山県の協力を得て、和歌山県産の食材にこだわった料理を提供している。店舗開発、運営等については飲食ビジネスに精通したサントリーグループがパートナーとなった。大学が研究の成果として自ら生産したものを、産官学が連携して専門料理店にて消費者に直接提供するケースは、日本の大学では初の試みとのことである。2013年12月4日には第2号店として、東京都中央区銀座6丁目の銀座コリドー街に、銀座店が開業した[4]。

Wikipedia:近畿大学
近畿大学(きんきだいがく、英語: Kindai University)は、大阪府東大阪市小若江3-4-1に本部を置く日本の私立大学である。1943年に設置された。大学の略称は近大(きんだい)。文理合わせて15学部49学科を擁する総合大学である[1]。
概観
近畿大学は1925年に財団法人日本大学が設立した日本大学専門学校を淵源とし(初代校長・市村光恵)、1939年に日本大学大阪専門学校と改称し、翌年には日大から経営分離した。太平洋戦争下の1943年に大阪理工科大学を開学[2]。1943~44年に起きた「大専騒動」[3] の混乱を収束するために東京から派遣された世耕弘一(日本大学理事)が大阪専門学校の校長と大阪理工科大学の学長になり、戦後も引き続いて新制近畿大学総長及び理事長に就任したことから、世耕が事実上の創設者と看做されている[4]。
日本国内の私立大学において、有数の学部・学科数、並びに在学生・卒業生数を有する伝統や歴史のある大学として知られており、マンモス大学としても知られる。近畿大学によると、短期大学を含め約3万3400人の大学生が在籍し、西日本では最大級としている[1]。尚、朝日新聞出版発行「大学ランキング・2012年度版」の「大学別同窓会員数ランキング」で同学は、日本大学(約100万人)、早稲田大学(約60万人)、明治大学(約50万人)に次ぐ第4位(約45万人、西日本の大学では第1位)となっている。
2014年3月6日に近畿大学は、2014年(平成26年)度の一般入試志願者数が過去最高の10万5890人に、総志願者数も14万人を超えたと発表した[7]。これは早稲田大学、明治大学、法政大学、日本大学などを上回り、首都圏以外の大学では初めての「志願者数日本一」となるものであった[8]。

Wikiipedia:世耕弘一
世耕 弘一(せこう こういち、1893年3月30日 - 1965年4月27日)は日本の教育者・政治家。衆議院議員(8期)、経済企画庁長官(第2次岸内閣)、学校法人近畿大学理事長などを歴任した。
来歴・人物
和歌山県東牟婁郡敷屋村(熊野川町をへて現・新宮市)に中農・世耕佐七の五男として生まれる。一旦は材木店に丁稚奉公をするが、その後苦学して、日本大学法文学部に入学。日大の政治経済海外研究員としてベルリン大学に5年間留学。帰国後の1931年に日本大学教授。1944年に日大と関係の深い大阪専門学校の校長と大阪理工科大学長に就任。学制改革に伴い、大阪専門学校と大阪理工科大学が合併し近畿大学となると初代の総長及び理事長に就任した。
また、1932年に故郷の和歌山県から第18回衆議院議員総選挙に立候補し当選、その後幾度かの落選をしながらも通算で23年間にわたって衆議院議員を務めた。戦前は立憲政友会に所属し、戦後は自由党の結成に参加した。1947年3月の衆議院決算委員会で「日銀の地下倉庫に隠退蔵物資のダイヤモンドがあり、密かに売買されている」と発言。隠退蔵物資事件を暴露する。この軍需品払下問題にからむ大規模な詐欺横領事件は経済問題から保守政党の党費にからむ政治問題になった。
日銀の地下倉庫の隠退蔵物資が、その後も密かに運用され、俗にM資金と呼ばれるとの噂が絶えなかった。またこの噂を利用して多くの詐欺事件も発生した。
1948年、政治資金に関する問題で衆議院不当財産取引調査特別委員会に証人喚問された[1]。
第2次岸内閣で経済企画庁長官を務めた。1965年4月27日死去。享年72。

日本人の99%が知らない戦後洗脳史 Kindle版 苫米地英人 (著)

年間売り上げ27億円! 養殖魚ムーブメントの立役者 - 集英社
抜粋
現在の売り上げは養殖用稚魚などの販売で年間約27億円。今もその中から研究費の一部が捻出されている。それほどまでして研究を続ける素地がどこにあったのか?






Last updated  2022.05.17 02:34:01
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