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2022.05.20
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今年1月に生まれて初めて胃カメラ(内視鏡)検査を受けましたが、体の中の状況が克明にビデオでわかるのに驚きました。

今回は東大の医師とオリンパスの技術者たちによる世界初の内視鏡検査開発のお話です。
昭和20年代半ば、キティ台風の影響で中央線高尾駅近辺に立ち往生した列車の中で出会った東大の医師はオリンパスの技術者を説得し、内視鏡の開発に取り組みました。

それまでの内視鏡は、固い管によるもので、食道を突き破る死亡事故を起こすなど実用的ではありませんでした。東大の医師とオリンパスの技術者たちはこれをチューブに変え、様々な機能をチューブに詰め込み、胃の内部を撮影する特殊な電球を開発するなどして、苦心の末に、胃の内部を撮影する内視鏡の開発に成功しました。これが戦後間もない物資の不足した1950年のことだから驚きです。

その後の、東大の医師とオリンパスの技術者の歩んだ道も、名もなき技術者の物語であるプロジェクトXらしくて好きです。現在のオリンパスの売り上げの半分以上を占めるくらいですから、東大やオリンパスに残っていれば、大きな顔をして、高い地位や収入、ひょっとしてノーベル賞も狙えたように思います。その後、胃がんの死亡率は大きく減少したので大発明と思います。プロジェクトX全作品の上位10%に入る作品と思います。

ゲスト出演されたいしだあゆみさんの笑顔が素敵でしたので1枚保存しておきました。






■参考リンク
新価格版 プロジェクトX 挑戦者たち ガンを探し出せ ~完全国産・胃カメラ開発~:NHKスクエア
先端医療が発達した現代でも、ガン治療の最善策は早期発見・早期治療。そのために不可欠な装置が内視鏡、いわゆる「胃カメラ」だ。胃カメラを発明したのは、一人の日本人医師を中心に、医師と技術者が手を組んだプロジェクトチームだった。人々の命を救いたいという一心から数々の困難を乗り越え、世界初の胃カメラを世に送り出した男たちの執念を描く。
【収録内容】
昭和24年、東京大学附属病院の外科医・宇治達郎は、ガン患者の治療に悩んでいた。多くの患者が、早期発見できずに手遅れとなっていた。胃の中を直接見ることができれば…。宇治は、かつて中国戦線に召集され軍医として従軍したことがある。そこで、医師でありながら多くの命を救うことができなかったことに、心を痛めていたのだ。
宇治が、協力を要請したのはオリンパス研究所の主任技師・杉浦睦夫だった。ほどなく若い精密技術者・深海正治が加わってプロジェクトがスタート。しかし、直径わずか12ミリの中にカメラのすべての機能を収めることは、欧米でも不可能と言われたほど困難な技術だった。最大の難関が光源だ。真っ暗の胃の中を照らす充分な明るさ、しかも許された大きさは直径5ミリ。行く先々の工場で断られた杉浦は、ある日、電球づくりの名人がいるという町工場を訪ねた…。
(2000年4月18日放送)


2023年3月期 経営方針:OLYMPUS


生まれてはじめての胃カメラ検査を受ける!!と、キッチン藤 ( 錦糸町)と、ミクロの決死圏

Wikipedia:内視鏡
歴史
起源
内視鏡の歴史は、古代に遡ることができる。しかし、現代において見られる内視鏡の原型となった機器は、19世紀に登場する。
創世時は「硬性鏡」であり、1804年に、ドイツのフィリップ・ボッチーニが「Lichtleiter(英語Light Conductor:導光器)」を開発し、直腸・膣・尿道・耳・口腔内等の観察を行った記録を最初として、1853年にフランスのアントワーヌ・ジャン・デソルモが「endoscope(内視鏡)」を開発し、膀胱や尿道の観察を行った。その後1868年に、ドイツのフライブルク大学内科学教授のアドルフ・クスマウルが「Magenspiegelung(胃鏡)」で、剣を呑む芸(英語版)をする大道芸人を対象としてではあるが、世界で初めて生体の胃の観察を行った。
Lange-Meltzing camera.jpg
1898年にドイツのフリッツ・ランゲとメルチングは、1本のフィルムで多数のコマ撮影ができる胃カメラを発明し、臨床で15例に使用して胃壁の撮影を行った。軟性管の先端部分は、フィルム格納部、レンズ部、ランプ部から構成されていた[1][2][3]。その後、1929年にオーストリアで「Gastrophotor」という針穴式立体胃カメラ[4]や1931年にドイツで胃カメラが製作され臨床で撮影が行われたが、いずれも臨床診断に使用できるような機器ではなく実用化はできなかった[5]。
1932年にドイツのルドルフ・シンドラーとゲオルク・ヴォルフは、軟性胃鏡を開発した[6][7]。照明は豆電球を使用し、先端に近い全長の約1/3の軟性部分は内部に多数のレンズを配列し、約30度曲げることが可能であった[8]。「Lehrbuch und Atlas der Gastroskopie」という本を出版したシンドラーは、「胃鏡の父」と称されている[7]。胃の観察が行われたが、胃全体を観察できない、患者の苦痛が大きい、非常に故障し易い、穿孔のリスクが高いなどの問題があった[8]。
開発
1950年(昭和25年)10月28日、東京大学医学部附属病院分院の副手だった宇治達郎とオリンパス光学工業(現・オリンパス)の杉浦睦夫、深海正治が、極めて小さなカメラ本体及び光源(超小型電球)を軟性管の先端に取り付けた国内で初めての胃カメラ「ガストロカメラGT-I」を開発した[9]。同年に3人を発明者として「腹腔内臓器撮影用写真機(ガストロカメラ)」の名で特許が出願され、1954年(昭和29年)に発明協会から創立50周年記念全国表彰として朝日新聞発明賞を、1990年(平成2年)に吉川英治文化賞を受賞している。この開発の経緯は、2000年(平成12年)4月18日に、日本放送協会のプロジェクトX〜挑戦者たち〜第4回「「ガンを探し出せ」~完全国産・胃カメラ開発」として放映された。また1980年(昭和55年)に、吉村昭が読売新聞の朝刊に小説「光る壁画」として連載しており、1981年(昭和56年)に新潮社より出版された。日本機械学会では「オリンパスガストロカメラ GT-1」を「機械遺産」第19号として認定した。
だが、宇治は父親が開業する医院を継ぐため大学を去り研究を中断した。東大病院分院の城所仂と今井光之助は研究を引き継ぎ、カラー撮影の研究を行った[10]。当時の胃カメラは故障が頻繁に発生し、臨床現場では使いものにならなかった[11][12][13]。
1953年(昭和28年)に東大病院本院の田坂内科(現・第一内科)第八研究室の﨑田隆夫、芦澤真六達は胃カメラの研究を始め、カラー撮影の実用化研究、撮影技法の確立を行い、胃カメラ改良の提案と要請を重ねて1956年(昭和31年)に胃カメラを実用化し[14][15][16]、撮影技法や画像の読影法を講習するなどの普及活動を行った[17][18]。これらにオリンパス光学工業から中坪寿雄、松橋章をはじめとする技術者や関係者が協力した[19]。本院の田坂定孝は、この研究を評価し積極的に後援した。1958年(昭和33年)、胃カメラ検査に健康保険の適用が認められた[20]。﨑田と城所の相談により1955年(昭和30年)に発足した胃カメラ研究会が発展し[21]、1959年(昭和34年)第1回日本胃カメラ学会(後に日本消化器内視鏡学会)が会長田坂のもとで開催された[22]。胃カメラは、内視鏡医療の基礎を築いた[23]。現在でも上部消化管内視鏡を総称して、俗に「胃カメラ」と呼んでいる。
1960年代になると、光ファイバーを利用したファイバースコープが開発され(バジル・ハーショヴィッツ他)、医師の目で直接胃の内部を観察することができるようになった。胃ファイバースコープには、銀塩カメラが取り付けられるようになり、客観的な検査結果として、他の医師にも写真を供覧できるようになった。
1970年代から使用された直視型のファイバースコープ
1970年代には、スチルカメラ付きファイバースコープが広く用いられるようになった。電子機器の発達に伴い、スチルカメラにビデオカメラを取り付けた機種や、CCDセンサを取り付けた電子内視鏡(ビデオスコープ)が登場し、現在多くの病院で使用されている内視鏡の原型が誕生となった。ビデオ装置を用いると、複数の医師やコメディカルスタッフが同時に病変を確認することができ、診断と治療に大いに役立った。
世界的に主流となったオリンパスは、モノクロCCDをプロセッサー側に使用し、3色の光を連続的に照射して、その反射光をプロセッサー側で合成するという方法を採用していた。対するフジノン(富士フイルム)は、白色光を照射し、カラーCCDカメラを採用していた。いずれにしても、この頃の機種は光ファイバーで画像をプロセッサーに送っていたので、解像度は光ファイバーの密度に左右された。やがてCCDはカメラの先端に内蔵されるようになった。また画像処理のデジタル化が進められた。
発展
大腸内視鏡カメラの操作部。同心円のダイヤル、左から左右アングルロック、左右アングル、上下アングル、上下アングルロック。大きなボタンは上側が吸引、下側が送気/送水ボタン
その後は、超音波センサを取り付けた超音波内視鏡が登場したり、センシング技術の向上だけでなく、軟性管部の改良(口径の縮小、材質の改善)、内視鏡的処置を行うためのサブルーメン(チャネルと呼ぶ)の追加など、内視鏡を直接治療目的で応用するための改良も行われた。画像精度・画質は映像機器の発達と共に大きく発展し、ハイビジョン撮影や拡大内視鏡による拡大観察が可能となってきた。また、内視鏡の細径化も進み、経鼻内視鏡も登場した。
2000年代になると、イスラエルのギブン・イメージングや、日本のオリンパスが、カプセル型の内視鏡の開発を進め、2007年(平成19年)4月には、日本においてもカプセル内視鏡を用いた画像診断システムが実用化に至った


胃がん、肝臓がんが、大きく減っている背景にあるもの第6回 罹患の原因が明確で「予防対策を講じやすいがん」2019/9/25 津金昌一郎=国立がん研究センター日経Gooday






Last updated  2022.05.22 00:04:54
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