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カテゴリ:絵画・書
東京国立近代美術館でちょっと離れたところから観たとき、川端龍子の金閣炎上の絵は、うっすら赤くてきれいな絵だなと思いましたが、近づいてよく観ると、燃える金閣寺と知りびっくり。しかも事件から2か月後の展覧会に出品と知りますますびっくり。日本画と言えば悠長な花鳥風月を描くものと思ってましたが、こうした時事問題は新鮮に映ります。当時の日本社会がこの事件に注目した象徴に思えます。
吃音証を持つ複雑な思いを持つ放火犯によってくすんだ金閣寺が金ぴかに再建されたのは皮肉な感じです。 この事件を題材にいくつか文学作品や映画等が制作されました。長い休みに篠田三郎さんの映画金閣寺を観たいと思います。 三島由紀夫の金閣寺のあらすじをYouTubeで観ましたがわかりやすかったです。こういう読書の仕方もあるのかと思いました。 ![]() ![]() 文化遺産データベース:金閣炎上 川端龍子 1950(東京国立近代美術館) ■参考リンク 【担当学芸員寄稿】川端龍子・堂本印象と金閣寺 - ことしるべ 抜粋 昭和25(1950)年7月2日未明に発生した金閣焼失事件に取材した「金閣炎上」は、大胆な着想による衝撃的一作である。 事件を翌日の新聞で知った龍子は、「絵になる」と直感して描いたという。 梅雨空に激しく燃え上がった当時の状況そのままに、明け方の暗い庭園を墨の濃淡であらわし、金閣を襲う朱色の炎との対比を際立させている。 さらに、ほとばしる金色の火の粉、銀色の雨など、画材の使い方も巧みで、あたかも事件を再現したかのような生々しさを伝える。 寄稿:京都府立堂本印象美術館 松尾敦子学芸員 Wikipedia:金閣寺放火事件 金閣寺放火事件(きんかくじほうかじけん)は、1950年(昭和25年)7月2日未明に、京都府京都市上京区(現・北区)金閣寺町にある鹿苑寺(通称・金閣寺)において発生した放火事件であり、アプレゲール犯罪の一つとされた。 事件の経緯 1950年7月2日午前3時、鹿苑寺から出火の第一報があり消防隊が駆けつけたが、その時には既に舎利殿から猛烈な炎が噴出して手のつけようがなかった。当時の金閣寺には火災報知機が7箇所に備え付けられていたが、6月30日に報知機のためのバッテリーが焦げ付いていたため使い物にならなくなっていた。人的被害はなかったが、国宝の舎利殿(金閣)46坪が全焼し、創建者である室町幕府3代将軍足利義満の木像(当時国宝)、観音菩薩像、阿弥陀如来像、仏教経巻など文化財6点も焼失した。 鎮火後行われた現場検証では、普段火の気がないこと、寝具が付近に置かれていたことから、不審火の疑いがあるとして同寺の関係者を取り調べた。その結果、同寺子弟の見習い僧侶であり大谷大学学生の林承賢(本名・林養賢、京都府舞鶴市成生出身、1929年3月19日生まれ)が行方不明であることが判明し捜索が行われた。夕方になり寺の裏にある左大文字山の山中で薬物のカルモチンを飲み切腹してうずくまっていたところを発見され、放火の容疑で逮捕された。林は救命処置により一命を取り留めている。 産業経済新聞記者・福田定一(後の作家・司馬遼太郎)は、この事件の取材にいち早く駆けつけた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.12.19 21:18:17
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