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テーマ:絵画(500)
カテゴリ:絵画・書
2024年12月に国立近代美術館で見つけた作品です。えっ、これが高峰さん?と思いますが、解説を読むと高峰さんと梅原龍三郎先生との交流が楽しいです。
高峰さんは、黒澤明監督との恋に反対した養母との関係に悩まされたものの、松山善三さんとの幸せな結婚生活を送られていたようです。 代表作二十四の瞳は子供の頃観て感動したのだけ覚えてます。YouTubeでおさらいしてまた観たくなりました。昨年高松に行った時、小豆島に行けませんでしたがいつか訪れたいです。 ![]() ![]() ■参考リンク 大女優・高峰秀子さん、超格差婚夫は「仏様みたいにいい人」。おしどり夫婦の秘訣とは:2024年11月トップ10ESSEonline編集部2024/12/20 ESSEonlineで2024年11月に公開された記事のなかから、ランキングTOP10入りした記事のひとつを紹介します。 超格差婚を経て生涯添い遂げた、昭和の大女優・高峰秀子さん(1924年生まれ享年86)と脚本家の松山善三さん(1925年生まれ享年91)。そんなふたりの愛情物語を、養女として身近で見てきた文筆家の斎藤明美さんが一冊の本『ふたり~救われた女と救った男』にまとめました。ここでは、高峰秀子さんの知られざる料理の腕前と、最愛の夫・松山善三さんとのエピソードなどを教えてもらいました。 ※記事の初出は2024年11月。年齢を含め内容は執筆時の状況です。 以下略。 Wikipedia:二十四の瞳 (映画) 『二十四の瞳』(にじゅうしのひとみ)は、1954年(昭和29年)に公開された松竹大船撮影所製作、木下惠介監督・脚本、高峰秀子主演による日本映画である。 1952年(昭和27年)に発表された壺井栄の小説『二十四の瞳』が原作であり、この2年後公開された。日本が第二次世界大戦を突き進んだ歴史のうねりに、否応なく飲み込まれていく女性教師と生徒たちの苦難と悲劇を通して、戦争の悲壮さを描いた作品である。 Wikipedia:高峰秀子 下作品には計12本出演。『二十四の瞳』は『浮雲』と並ぶ秀子の代表作で、小豆島の分教場に赴任する新人教師を演じ、当時の女優賞を独占。『喜びも悲しみも幾歳月』では佐田啓二と灯台守夫婦を演じ、主題歌とともに大ヒット。『風前の灯』ではこれまでのイメージとは正反対のダメ夫婦を佐田と演じた。戦乱に巻き込まれて過酷な運命に見舞われる農婦を演じた『笛吹川』では、18歳から85歳の老け役までを演じ、『永遠の人』でも20歳から49歳までを演じ分けた。『二人で歩いた幾春秋』でも佐田と道路工夫夫婦の半生を演じ、木下作品のヒロインとして活躍を続けた[18]。 松山善三との結婚式(1955年) 成瀬、木下監督以外の作品では、五所平之助監督の『煙突の見える場所』、豊田四郎監督の『雁』、野村芳太郎監督の『張込み』、稲垣浩監督の『無法松の一生』、小林正樹監督の『人間の條件 第5・6部』などに出演した。 1955年(昭和30年)2月25日、当時木下の助監督をしており『二十四の瞳』の撮影で出会った松山善三との婚約を発表[19]。仲人は川口松太郎・三益愛子夫妻と木下惠介の3名だった。めでたい話が漏れてゴシップ扱いにされるのを嫌った木下が自ら報道各社に「松竹の木下ですが、うちの松山君と高峰秀子を結婚させますので取材に来てください」と電話をして関係者一同による記者会見を行い、これが芸能人の結婚記者会見のさきがけ[19]といわれている。3月26日に結婚式が行われた[20]。1961年(昭和36年)、松山の監督デビュー作『名もなく貧しく美しく』に主演。小林桂樹と聾唖者の夫婦を演じ、全篇を手話で通すという難役を抜群の演技力で演じのけた[18]。その後も松山が監督した『われ一粒の麦なれど』『六條ゆきやま紬』などに主演した。 Wikipedia:黒澤明 山本監督の『馬』(1941年)ではB班監督と編集を務めた。黒澤は他の仕事で忙しい山本から演出のほとんどを任され、監督昇進への踏み台とした[32]。この『馬』の東北地方でのロケーション撮影を通して、黒澤は主演の高峰秀子との間に恋が芽生えた[32]。しかし、『馬』が公開されたあとに2人の結婚話が新聞沙汰になると、会社側は将来を嘱望された助監督とスターになりかけていた女優の恋を放ってはおけず、高峰の養母が強く反対していたこともあり、山本が破断役となり、恋は不実に終わった[33]。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2025.01.19 03:30:30
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