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テーマ:民俗ノート(27)
カテゴリ:映画 Cinema
獅子文六先生のてんやわんやという小説を元にした映画のまとめ動画と本編です。
日本でもこんなことが本当にあったんだとびっくりです。ただよく考えると、合理的な風習にも思います。民俗学に興味が湧きます。以前ご紹介した幽婚が面白かった方はちょっと面白いかもしれません。 2025.3.1追記 映画の中で美しい娘あやめ役を演じたのは、題名のない音楽会の作曲家黛敏郎さんの奥さんの桂木洋子さんです。 44:47あたりから これは、獅子文六の小説『てんやわんや』を元に作った動画です。 今から約80年前、終戦翌年の1946年、故あって東京から愛媛県南部の相生町に来て長逗留している、物語の語り手である「私」犬丸順吉は、地元で知り合った悪友の越智に誘われ、愛媛県と高知県の県境にある黒霧山の山村「檜扇」(ひおぎ)へ二日掛かりの旅に出かけることになります。 この村は、平家の落人が住み着いたと伝えられ、海抜1000メートル近くの人里離れた山奥に隠れるように30戸ほどの家々が点在し、自給自足に近い生活をしています。 道中、犬丸は美しい自然に囲まれながら山路を進み、険しい道のりに苦労しながらも、越智や田鍋拙雲和尚たちと共に目的地を目指します。 村に着くと、驚くほどに村人たちは遠来の客を丁寧に出迎え、歓待してくれます。越智の妻がこの村の出身であるため、犬丸たちは一夜の宿を提供されることになります。宿を割り当てるためにクジ引きが行われ、犬丸は「平城銅八」さんの家に泊まることに決まります。銅八の家では、彼の美しい娘アヤメが犬丸を迎え、甲斐々々しく世話をします。 その晩、父に促されたアヤメが犬丸に酒を注ぎ、盃が進むうちに犬丸はあまりに強い地酒の泡盛のせいで酩酊し意識も朦朧としてきます。そして、その後に犬丸に幻想か現実か定かでないようなことが起こります…… ■参考リンク Wikipedia:てんやわんや 『てんやわんや』は、『毎日新聞』に1948年から1949年にかけて連載された獅子文六による日本の小説、またそれを原作とする日本映画である。 概要 太平洋戦争の終戦直後、獅子文六が妻の実家がある愛媛県宇和島市津島町(旧北宇和郡岩松町)に疎開していた時の様子を題材としている。 宇和島市を題材にした『大番』と同じく愛媛県南予地方の人情、文化、方言などを詳しく知ることができ、この地方特有の「牛の突き合い」(闘牛)、「牛鬼」(お祭りの練り物)、岩松川の大うなぎ(愛媛県の天然記念物)、とっぽ話(ホラ話)や戦後すぐにおこった「南海大地震」などが興味深く紹介されている。 ストーリー 主人公犬丸順吉は、戦犯の容疑を恐れ、師事していた代議士鬼塚の郷里「相生町」(津島町がモデル)に疎開する。彼は鬼塚の紹介で「相生長者」の家に食客として住み着き、彼や彼の知人から厚遇される。饅頭食いの越智善助、うなぎ取りの名人田鍋拙雲、謄写版恋文三割歩留り多賀谷青年など、ユニークな人物が多く登場することで、戦後の荒廃した東京と、のんびりとした「相生町」の好対照が見事に描かれている、獅子文六の代表作のひとつである。 映画版 てんやわんや 監督 渋谷実 脚本 斎藤良輔 荒田正男 製作 山本武 出演者 佐野周二 淡島千景 志村喬 薄田研二 藤原釜足 三井弘次 桂木洋子 音楽 伊福部昭 撮影 長岡博之 配給 松竹 公開 1950年7月23日 製作国 日本 言語 日本語 テンプレートを表示 小説を原作とする映画が1950年に公開された。宝塚歌劇団出身である淡島千景の映画デビュー作で、第1回ブルーリボン賞主演女優賞を受賞している[1] ![]() てんやわんや (ちくま文庫) 文庫 – 2014/4/9獅子 文六 (著) TBSドラマ幽婚(平成10年度文化庁芸術祭優秀賞受賞作品):脚本 市川森一、出演 役所広司、寺島しのぶ、板東英二、森宮隆、澤村藤十郎 ほか Wikipedia:桂木洋子 桂木 洋子(かつらぎ ようこ、本名・黛 住恵(まゆずみ すみえ)、旧姓・富沢(とみざわ)、1930年4月6日 - 2007年3月)は、昭和中期(1940年代後半から1960年代前半)に活動した女優。 来歴・人物 SKD時代(1948年) 東京市四谷区(現・新宿区)に、家具屋の娘として生れる。1946年に東京都立麹町女子商業学校(現・東京都立芝商業高等学校)を卒業し、松竹歌劇団に戦後の2期生として入団する。同期に千草かほるなどがいる。 1948年、黒澤明脚本の『肖像』を準備中の木下惠介監督の目に留まり、この作品で映画デビューする。続いて、同監督の『破戒』に出演したのを期に歌劇団を退団し、松竹に入社する。 その後、木下監督の作品に次々と出演する傍ら、1950年に『三つの結婚』に初主演するなど、甘い美貌で人気を集めた。1953年に作曲家の黛敏郎と結婚し、以降は家庭を優先して徐々に出演本数を減らし、1963年の日活『丘は花ざかり』を最後に引退した。 2007年3月に死去した。満76歳没。葬儀は近親者で済ませ、翌月に公表した。死亡日や死因などの詳細は遺族の意向で伏せられた。なお、夫の黛敏郎は1997年4月に亡くなっている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2025.03.01 02:50:03
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