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テーマ:仏教について思うこと(1194)
カテゴリ:宗教
人は不完全であるから、イチローさんみたいにさらに精進したり、また過ちを犯した他人を寛容の心で許したり。先月のやさしく接するとやさしくかえってくるの意味がさらに深まります。
■参考リンク ![]() これは、アメリカ野球の殿堂入りを果たしたイチロー氏が、満票ではなかったことに対してコメントされた言葉。仏教の教えでは「不完全」であることを否定的に捉えるのではなく、むしろ積極的に受け入れることを説いています。自分の不完全さを自覚し、受け入れることで、私たちは謙虚さを持ち、他者への思いやりを深めることができます。また、常に学び続け、成長していくことの大切さを知らされます。 また、浄土真宗では、阿弥陀如来の本願力によって、私たち(凡夫)は私たちの、そのままの姿で救われると説きます。これは、不完全な自分を否定するのではなく、ありのままに受け入れるという教えに通じます。つまり、「不完全」であるからこそ、私たちは阿弥陀如来の救いの教えが響き、その教えをよりどころとして私が私のままに歩むことができるのではないでしょうか。 ![]() NHK【全文掲載】イチロー氏 アメリカ野球殿堂入りで語ったことは2025年1月22日 17時33分 抜粋 1票足りないというのはすごくよかったと思います。しかもジーターと一緒。これも数字的な話なんですけど…足りないものを、これって補いようがないんですけど、努力とかそういうことじゃないからね。ですけど、いろいろなことが足りない、人って。それを自分なりに自分なりの完璧を追い求めて進んでいくのが人生だと思うんですよね。 これとそれはまた別な話なんですけど、やっぱり不完全であるというのはいいなと。生きていくうえで不完全だから進もうとできるわけで。そういうことを改めて考えさせられるというか、見つめ合えるというか、そこに向き合えるのはよかったなと思います」 3:21あたりから 読むお坊さんのお話:ともにこれ凡夫(ただひと)高務 哲量たかつかさ てつりょう福井・千福寺住職幻の完全試合 2010年6月、大リーグ・デトロイトタイガースのアルマンド・ガララーガ投手は、9回ツーアウトまでパーフェクトピッチングを続けていました。27人目の打者が打った一、二塁間へのゴロを一塁手が捕球し、ベースカバーに入ったガララーガに送球しました。塁審はセーフのジャッジを下し、それに対してタイガースの選手たちは大いに抗議し球場全体も騒然となりましたが、判定は覆(くつがえ)りません。 試合終了後、ビデオ再生を見たこの塁審は明らかに自分のミスジャッジであると認め、すぐさまガララーガ投手に詫(わ)びました。審判のミスジャッジによって大リーグ史上21番目のパーフェクトゲーム達成投手になれなかったのですから、ガララーガ投手の無念さは想像に余りあるものがあります。 ところが彼は、「たぶん僕よりも彼のほうがつらい思いをしているだろう」と反対に気遣い、心から詫びるこの審判を「完全な人間なんていないのだから」と言って、寛容な態度で許したのです。 以下略。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2025.03.03 09:40:00
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