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テーマ:気になるテレビ番組(2989)
今回は寂れた温泉地黒川温泉が復活するまで、また地震・新形肺炎の危機を超えて復活するまでを描いてます。
ある宿のご主人の強い信念に基づく詳細な実地調査に基よる日本的情緒の演出と、各旅館の協力による町全体の一体化で、温泉のレベルアップを成功させたのは見事だと思いました。ほかの温泉旅館の手本になると思いますし、実際同様な例を観ています。 熊本は30年前に阿蘇に行ったきりご無沙汰です。TSMCの半導体バブルで宿泊費も上がってるのではと敬遠してましたが、いつか訪れたいです。 ■参考リンク 2025.5.10結束が温泉街を変えた 黒川温泉 山間地に客を呼べ(NHK新プロジェクトX) ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 寂れた温泉街が、年間数百万人が訪れる観光地に——〝黒川温泉〟を創り上げた後藤哲也氏が語るリーダー像2025年05月16日:WEB chichi 年間100万人以上の観光客が訪れる熊本県の黒川温泉。地図にもなかった山奥の地域を、全国から脚光を浴びる温泉街に育て上げたのが、地元の旅館・新明館を営まれた後藤哲也氏です。「寂れた温泉街に何とか人を呼び込みたい」という一念が様々なアイデアを生み出し、困難を克服する原動力になったと後藤氏は語ります。2005年に『致知』で語っていただいた歩みを一部ご紹介します。 (本記事は『致知』2005年11月号 特集「開発力」より一部を抜粋・編集したものです) 生き残りを懸けて洞窟風呂を掘る <後藤> どんなにしたらお客さんを呼べるか。「うちの旅館は山菜料理が売り物です」と言うてみたところで、人は呼び込めない。やはり温泉は温泉の魅力を開発する以外ない。でも、この旅館は川と裏山に挟まれた場所にへばりつくように建っとる。敷地は広げられない。 そこで僕は一慶を案じたとです。それなら裏山を掘って洞窟風呂を造ったらどうだろうかと。 ——思い切ったアイデアですね。 <後藤> 父親に相談したら、猛反対でしたな。「事故が起きたらどげんするとじゃ。やめとけ」言うて。しかし、僕はほかに生きる道はないという思いがあったもんだから、反対を押し切って計画を断行したとです。 ——どのように進んだのですか。 <後藤> そりゃあ、並大抵じゃなかったですよ。 いまのように電気ドリルのようなもんはないでしょう。ノミと金槌で掘り進めていきました。岩盤にぶつかると朝から晩まで頑張ってみても2センチほどしか掘れないこともあった。 時々、岩にひびが入ると、岩をまとめて取り除けるものだから、思わず歓声を上げたりもしましたな。 大分の耶馬渓にある「青ノ洞門」は禅海というお坊さんがノミ一つで掘ったといわれとりますが、僕がやったのもそれと似とります。設計図があるわけじゃなし、いつになったら完成するとも分からん毎日でしたが、三年ほどするとお客さんに入っていただくだけの空間ができました。 ——お客様の反応はいかがでしたか。 <後藤> これが当たったとです。「珍しくて雰囲気もよか」言うて多くの人に来ていただいた。「なんとかお客さんに喜びを与えたい」という僕の思いをしっかり酌んでもらえたわけですな。 もちろん、僕はそれで満足したわけじゃありません。女性専用風呂、混浴風呂とそれからも拡張を続けました。 途中から電気ドリルができて、職人も二人雇って掘り続けたとです。お客さんのお世話や農作業をこなしながらの作業で、なかなか思うようにはいかんじゃったですが、裏山を掘り始めてから十年後にいまのような形ができ上がりました。 ——そうでしたか。 <後藤> ちょうど洞窟風呂が一段落した頃から、僕は「お客さんをもっと呼び込める方法はなかろうか」と勉強を始めました。それは自分でも感心するくらいに、よう勉強しました。 自慢話に聞こえるかもしれんが、僕はいま庭づくり、川づくりでは有名な男です。景観も建物も、どこが良いか悪いか、どこを改良するとよいかがすぐに分かる。全国から地域おこしの依頼がたくさん寄せられます。これも若い時に徹底的に勉強したおかげだと思うとります。 以下略。 ![]() 黒川温泉のドン後藤哲也の「再生」の法則 単行本 – 2005/2/1後藤 哲也 (著) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2025.05.19 21:31:59
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