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秋に咲くヒマワリ・・なのかもね。

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読書 Reading

2021.08.05
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テーマ:怪談(34)
カテゴリ:読書 Reading
Amazon kindleアンリミテッド読み放題で読書。

以前ご紹介した三木大雲さんの本を読んでみました。1200年の歴史を持つ京都を舞台に様々な怪談が紹介されています。2,3時間で手軽に読めます。

1つの話は長すぎず短すぎずちょうどよく、昔中学の頃読んだ星新一さんのショートショートを思い出します。どの話も魅力的で暖かく描かれてます。章の間には法話もバランスよく入っており、同時に仏教の勉強にもなり、結構頭に入ってきます。購入して2巻以降も読みたくなります。お勧めの1冊です。


怪談和尚の京都怪奇譚 (文春文庫):三木 大雲 株式会社 文藝春秋


■参考リンク
オレオレ詐欺で300万円だましとった男が体験した恐ろしい出来事人気の「怪談説法」を妖怪漫画家がコミカライズ――『怪談和尚』第1話

「あそこに居るよ。人じゃないよ」奇妙な言葉を呟く保育園児…彼には何が見えていたのか《夏の特選記事》怪談和尚の京都怪奇譚 幽冥の門篇――「子供の能力」三木 大雲 文春オンライン









Last updated  2021.08.13 03:22:13


2020.09.04
カテゴリ:読書 Reading
芸能人デビューのきっかけで、ガールズちゃんねるをみていたら吉高由里子さんのところで銀色夏生さんという方が出ていました。

調べたら私と同学年で、詩人兼写真家兼マルチな才能をお持ちの方です。小学館のサイトに載っていた言葉が胸に刺さりました。鋭い感性の人だなと思ったのでご紹介します。

自分も生涯で1度くらい気の利いたセリフを残してみたいですスマイル

Amazonのkindleアンリミテッド読み放題で君のそばで会おうという作品を早速借りてみました。

最近最大の収穫でした。

■参考リンク

銀色夏生ワールドで生まれた素敵な言葉コレクション【言葉で人は救われる】
P+D MAGAZINE小学館

抜粋
同じ景色を見て、何も感じない人もいれば、そこに宝を発見する人もいる。
常に宝はある。
人生は静かな宝探し。
宝を見つけたらひそかに歓喜する。人に知ってもらう必要もない。

相性って自分との関係、組み合わせということだ。いい「人」というのが存在するのじゃない。いい「関係」が存在するのだ。

君がおしつぶされているあらゆる悲しみは、すべて君がその手でそこまでひきよせてきているのに。
そして今、この一瞬にも悲しみをひきよせようとしている手は動き続けているのに。
君がその手を止めない限り、不安な気持ちは止まらない。不安な瞳が曇ってく。

約束しなくてもまた明日会えることが
どんなにいいことか
約束しなければもう次に会えないという身の上になってみて
つくづくよくわかる

やさしくするなら最後まで
つめたくするなら最初から

見知らぬ人々の間に、ある瞬間伝わりあう感覚が好きです。共通感覚は、何よりも速く何よりも強く、人を人と一体化させるものだと思います。そして、その中では時や場所を超えたどこかへ行けるような気がします。



Wikipedia:銀色夏生

銀色 夏生(ぎんいろ なつを、1960年3月12日 - )は、日本の女性詩人、随筆家、写真家、作詞家。
概要
1960年、宮崎県えびの市に生まれる[1]。えびの市内にある真幸小学校、真幸中学校、小林市内にある小林高校を卒業したのち、埼玉大学教養学部を卒業[1]。
1982年に作詞を始め、のちに本の制作に専念する。著書に掲載されている写真とイラストも自ら手がけている。また詩だけではなく、創作の物語なども執筆している。『君のそばで会おう』と『つれづれノート』シリーズを代表とする著書[1]は150冊を超える。作詞は「そして僕は途方に暮れる」「ゴーゴーヘブン」や、2011年度NHK全国学校音楽コンクールの課題曲であった「僕が守る」など[1][2]。

銀色夏生 公式ホームページ

Wikipedia:吉高由里子
交友
銀色夏生は、2000年4月6日に娘(カーカ・当時小2)が通う小学校に用事があった際、新入生のお世話をする吉高由里子(当時小6)をたまたま見かけ、彼女の振る舞いに一目惚れ。その後彼女を探し「写真を撮らせて欲しい」と手紙を送り、家の前や近所の公園で写真を撮らせてもらった。その時の写真は詩集「バイバイまたね」に掲載された。その後芸能界で活躍した吉高が当時の少女だとは、友達に教えてもらうまで気づかなかった[23]。


超貴重!吉高由里子、幼少期やデビュー当時など他で見れない画像・動画まとめ2020/01/21画像・動画吉高由里子, 女優 1分でわかる芸能界






Last updated  2020.09.04 21:28:38
2020.08.19
カテゴリ:読書 Reading
Amazonkindleアンリミテッド読み放題で閲覧。

様々なジャンルで女性第一号となり、その後の女性の活躍の道を切り開いた七人の方たちのお話です。著者の石井妙子さんの丁寧なインタビュー・取材により、それぞれの方が生き生きと描かれ6時間かけて一気に一日で読みました。

働く女性はもとより主婦、これから社会に出る女子学生にとっても読むと得るところが多いと思います。
また、男性にとっても、普段わかりづらい働く女性の心理を知るには良い本だと思います。
お勧めの1冊です。


日本の天井 時代を変えた「第一号」の女たち (日本語) 単行本 – 2019/6/21石井 妙子 (著)


■参考リンク

Wikipedia:石原一子

大学生の頃から上場企業女性取締役第一号の石原さんのお名前を新聞でよくお見かけしました。アイデアで高島屋内で商品をどんどん売っていくところは面白かったです。ダイエーによる株買い占めの窓口となられていたことは知りませんでした。満州で育ったころ731部隊により級友や先生を亡くされた話には驚きました。以前国立市のマンション訴訟が話題になりましたが、その先頭にも立たれていたことを知り、正義感の強い方だなと思いました。


Wikipedia:杉内寿子

女性には5段以上の高段者は無理と言われていた囲碁界に風穴を開けた努力と才能、周囲の協力に感動しました。将棋と囲碁の女流棋士の違いに驚きました。


Wikipedia:赤松良子

男女雇用機会均等法成立に尽力された方です。この方の努力のおかげで今日の働く女性の活躍があったように思います。法律は成立させる時が一番大変で、出来上がった法律は最初は十分でないけれど次第に改良してよくしていくという考えはなるほどと思いました。


Wikipedia:田部井淳子

1975年の女性として世界初のエベレスト登頂に成功された当時、新聞で大騒ぎしていた記憶があります。仕事をやめて登頂チームに参加したのに頂上にアタックできなかった他の隊員たちの口惜しさ、裏話など、この回が一番面白かったです。


Wikipedia:池田理代子

大学生の頃から自立されていて、ベルサイユのばらが生まれるまでご苦労や、漫画家としての成功後、音楽を目指す生き方が参考になりました。


Wikipedia:山根基世

小学6年生の時、はじめて山根アナウンサーを見てきれいな優しそうな方だと思っていました。民法の女子アナは若いうちだけなのにNHKの女子アナウンサーは、年齢を経ても見られるのがいいと思ってましたが、出番が少なくなる現実もあったようで、順風満帆な人生と思っていたら、いろいろな壁を乗り越えられてきたようです。ナレーションで小さな旅、映像の世紀、ラジオ深夜便を担当されていたとか。安心感のあるすばらしい声だと思います。


三遊亭 歌る多

初の女真打。三遊亭円歌師匠に弟子入りするまでの経緯がたいへん面白くそのまま落語になりそうです。今度寄席に聴きに行ってみようと思います。今は男女真打の区別は無くなったそうです。そのことが起因して、歌る多師匠より序列が低くなったある男性真打が悔し涙にくれたとか、序列を重んじる社会だなあと思います。人気で序列を決めてもいいように思います。






Last updated  2020.08.19 11:48:14
2020.06.07
テーマ:読書(5074)
カテゴリ:読書 Reading
今年の6月17日で女優原節子さんの生誕100年になります。いま話題の「女帝 小池百合子」の著者石井 妙子さんの「原節子の真実」を2日で6時間かけて一気に読みました。

小津安二郎監督の作品を2,3本見ただけで分かったような顔をしてた自分が恥ずかしくなるくらい幼少期から丹念な調査、取材に基づき原さんの人間像を描いた傑作でした。より詳しく知ることでますます惹かれます。

原さんのデビュー作、河内山宗俊はYouTubeにあったので、この本をガイドブックに、まだ観てない作品を見つけてぼちぼち鑑賞するのを老後の楽しみにしたいと思います。

裕福な家庭から没落して女優になった経緯、ドイツの映画監督との出会いからスターへ駆け上っていく経緯、当時世間から低く見られていた女優という職業に対する新しい進歩的な考え、戦争、山中、黒沢、島津、山本、小津監督との出会い、一度だけの初恋、家族愛、高度経済成長、引退等ドラマチックな人生を送られています。なんか、このままNHKの朝の連続ドラマにしてもよさそうです。

今まで自分が持っていた原さんに関する断片的な間違った情報による知識を多く修正できました。石井さんはこの本を読んだ限りでは徹底した取材により、人の本質を浮かび上がらせるのが得意と思います、特に女性について。

今年読んだ本で一番面白かったです。お勧めの1冊です。

最近見つかった原さんのエッセイを石井さんが紹介されていましたが、原さんの心の温かさが伝わると思ったので1つだけご紹介します。

省電の中で。
若い娘さんが座席にかけてゐた。その前に若い母親が乳児を抱いて立つてゐた。やがて娘さんが、「どうぞ、抱こさせて下さい」と若い母親に手をさしのべた。すると隣りにかけてゐた紳士が 「抱いてあげる親切があつたら、席を譲りたまへ、君は若いンぢやないか」 とその娘さんに呶鳴つた。(いかにも罵倒的に。)娘さんはまつ赤になつた。 「では、お言葉に甘えまして。すみませんわねえ」 若い母親はさも嬉しさうに乳児を娘さんに与へた。娘さんはホツとしたやうに若い母親を見上げてほほゑんだ。わたしも救はれたやうにホツとした。 紳士は「善」を知つてゐると云へよう。けれども「善」を行へないたぐひであらう。


原節子の真実(新潮文庫) Kindle版石井妙子 (著) 形式: Kindle版






■参考リンク
Wikipedia:原節子
原 節子(はら せつこ、1920年6月17日 - 2015年9月5日)は、日本の女優[1]。本名は會田 昌江(あいだ まさえ)。「永遠の処女」と呼ばれ、戦前から戦後にかけて活動し、日本映画の黄金時代を体現した。代表作に『わが青春に悔なし』、『青い山脈』、『めし』、『東京物語』などがある。
1963年に女優業を引退し、2015年に死去するまで隠遁生活を送っていた[3]。
2000年に発表された『キネマ旬報』の「20世紀の映画スター・女優編」で日本女優の第1位に輝いた。
経歴
神奈川県橘樹郡保土ヶ谷町帷子(現在の横浜市保土ケ谷区月見台)で父:藤之助、母:ナミの間に末っ子として生まれた。兄弟は男2人、女5人であった[4]。保土ヶ谷尋常高等小学校(現:横浜市立峯小学校)から私立横浜高等女学校(現:横浜学園高等学校)[5][6]に進むが、家庭が経済的に困窮していたこともあり、次女光代と結婚していた映画監督の熊谷久虎の勧めに従って映画界に入ることにし、女学校を二年で中退した[1]。
1935年4月15日、日活多摩川撮影所に入社し、同年の日活映画『ためらふ勿れ若人よ』(田口哲監督)で映画デビュー。同作で演じた役名「節子」から芸名をとって「原節子」とした[7]。
1936年、第7回出演作品『河内山宗俊』撮影中に見学にきたドイツのアーノルド・ファンク監督の目にとまり、初の日独合作映画『新しき土』のヒロイン役に抜擢される。ファンクは当初、田中絹代も一緒にキャスティングしようとしたが田中が松竹の専属であったためにかなわず、原のみのキャスティングとなった。伊丹万作監督も請われて協力したこの作品は、結果としてファンクが編集した版と、ファンクと対立した伊丹が編集した版の両方がつくられてどちらも公開された。
1937年3月12日、原は義兄熊谷久虎や東和の川喜多長政らと共に下関から海路大連に向かった。そこからシベリア鉄道を利用して3月26日にベルリンに到着。先に帰国していたファンクが一行を出迎え、アドルフ・ヒトラーはじめ、ナチ党幹部がこの映画をすでに見ており、皆から高評価を受けたと伝えた。宣伝省の工作もあって、原はドイツ各地で大歓迎された。この後一行はフランスからアメリカへ渡り、7月28日に帰国した(ちなみにこの『新しき土』における日独合作映画の製作は、11月25日に締結される日独防共協定の交渉と準備のための両国スタッフの往来をカモフラージュするためのものだったという[8][9]。
11月30日に発足した東宝映画株式会社に移籍する。『新しき土』への出演によって一躍、銀幕のスターダムに駆け上がった原だったが、「もっと勉強してからスターになるべきだった」と小杉勇が述懐したように、しばしば演技が未熟であるという批判にさらされることになる[10]。今井正によれば、戦中の原は義兄熊谷久虎[注釈 1]に影響されて「ユダヤ人謀略説」を唱えていたという[13]。太平洋戦争中は、1942年の『ハワイ・マレー沖海戦』をはじめ『決戦の大空へ』、『勝利の日まで』、『望楼の決死隊』などの戦意高揚映画に数多く出演している。
1946年9月、終戦後の翌年の原は資生堂のイメージガールに起用され、戦後初の多色刷りポスターが街中を賑わせた。さらに黒澤明監督の戦後初の作品『わが青春に悔なし』のヒロインに抜擢される。当時の東宝はいわゆる東宝争議のさなかにあり、そのあおりを受けた原は新東宝映画製作所に移る。
1947年6月フリーの女優として独立する[14]。フリー第一作は初の松竹出演作品となった『安城家の舞踏会』(1947年)であった。同作のヒットで原は戦後のトップ女優としての地位を確立した。
1949年、『青い山脈』では女性教師役を演じ、服部良一作曲の同名主題歌とともに映画も大ヒットした。初めて小津安二郎監督と組んだ作品『晩春』に出演。1961年、『小早川家の秋』まで小津監督の6作品に出演を果たすことになる。
原は一般的に小津作品での印象が強いが、出演作の中でもっとも多くメガホンをとったのは山本薩夫監督(7本)であり、以下6本で小津、島津保次郎、渡辺邦男、今井正が続く。小津監督は女優としての原節子を絶対的に高く評価し、自らの作品に起用し続けた。
1949年(昭和24年)、は『晩春』、『青い山脈』、『お嬢さん乾杯』の演技が評価され、毎日映画コンクールの女優演技賞を受賞した。ルックス先行の人気、とささやかれてきた原にとって演技面での評価をうけることは長きにわたる宿願であった[15]。1952年の『東京の恋人』以降、しばらく出演作が途絶えたことでマスコミから「伝説の存在」と表現されるようになった(1953年公開の『恋の風雲児』は1945年作品)[16]。ところが原が現場に復帰した1953年、『白魚』の御殿場駅での撮影中に原の眼前で実兄会田吉男(東宝のカメラマンであった)が助手の伊藤哲夫と共に列車に撥ねられ不慮の死を遂げるという悲劇に遭った。小津監督と原の代表作になった『東京物語』はこの事件の直後にクランクインしている[17][18]。1954年、原は体調を崩して通院を繰り返すことになり引退をささやかれるようになった[19]。
1955年、公開された『ノンちゃん雲に乗る』では初めて母親役を演じる。体調が回復した。
1956年、作品『婚約三羽烏』が原にとって初のカラー作品である。
1961年、日本映画の年間製作数は548本に達するが、これをピークに映画産業は斜陽化していく。
1962年、稲垣浩監督による東宝創立三十周年記念作品『忠臣蔵 花の巻・雪の巻』が封切られ、原は大石内蔵助の妻りくを演じた。これが原にとって最後の出演作品となった。
1963年12月12日、小津監督が東京医科歯科大学附属病院で没し(その日は小津監督の還暦の誕生日だった)、その通夜に出席したのを最後に原は女優業を事実上引退し、以降表舞台には一切姿を見せなくなった[1]。晩年の原は鎌倉市で親戚と暮らしているとされ、近況に関しては殆ど外出しないが元気であったということだけが伝えられた[20]。引退に関しては「老いていく姿を人前に晒したくないと考えていた」「撮影用のライトで白内障を患い、健康上の理由で引退を決意した」「戦前の国策映画に出演していた自分の責任を強く感じており、けじめをつけるべきだと考えていた」といった様々な憶測が飛び交った[20]が、高橋治は原が「小津の死に殉じるかのように」公的な場から身を引いたと表現している[21]。当時、その理由として「畳の上での芝居がしづらくなったから」と岡田茉莉子に語っている[22]。
1968年9月、小津との共同脚本家野田高梧の通夜に出たのを最後に、公の場から姿を消した[23][22]。
1993年、笠智衆の通夜前に極秘に訪れ、一部の関係者に気付かれたのが最後の目撃であった[24]。
1994年、東京都内のかつての自宅の土地を売却し、約12億円の所得を得たことで、この年の高額納税者番付で全国の75位で登場し、この時再び話題となった[25]。
2015年9月5日、肺炎のため神奈川県内の病院で95歳の生涯を閉じた。原の訃報は没後約2か月半が経過した11月25日にマスメディアで伝えられた[3][26]。
評価
小津安二郎監督は「一時世間から美貌がわざわいして演技が大変まずいというひどい噂をたてられたこともあるが、僕はむしろ世間で巧いといわれている俳優こそまずくて彼女の方がはるかに巧いとすら思っている」とし[40]、1951年には「原節子ほど理解が深くてうまい演技をする女優は珍しい。『原節子は大根だ』と評するのはむしろ監督が大根に気づかぬ自分の不明を露呈するようなものだ。実際、お世辞抜きにして、日本の映画女優としては最高だと私は思っている」[41]とも語っている。現役女優の頃は美貌のトップ女優で、その早い引退と引退後の完全な隠遁生活、生涯独身を貫いたことなども同じことから『日本のグレタ・ガルボ』と言われている。
原と同様、小津作品に多数出演した俳優の笠智衆は著書『大船日記』で「原さんは、きれいなだけじゃなく、演技も上手でした。ほとんどNGも出しません。めったなことでは俳優を褒めなかった小津先生が、『あの子はウマいね』とおっしゃっていたのですから、相当なもんです」「普段はおっとりとして、気取らない方でした。美人に似合わずザックバランなところもありました。撮影の合間に、大きな口を開けて『アハハ』と笑っとられたことを覚えています」と回想している[42]。
原と共演したことがある女優の司葉子は原の一番の魅力を「清潔感」と指摘、「演技では出せない生地の魅力」としている[43]。司は引退後の原と電話で時々会話をしていた[44]。
2014年発表の『オールタイム・ベスト 日本映画男優・女優』では日本女優4位となっている[45]。






Last updated  2020.06.08 23:46:33
2020.05.01
テーマ:読書(5074)
カテゴリ:読書 Reading
前から読みたかったゆげ塾の中国とアラブがわかる世界史がAmazonkindleアンリミテッド読み放題になったので、早速読んでみました。漫画なので短時間で読める上に内容が濃いので、読むたびに感じるところがあります。お勧めの1冊です。

高校時代中国史は同じような名前の王朝がいくつも変わって漢字ばかりの登場人物でうんざりしており、世界史嫌いの理由のひとつでした。この本を読むと、中華思想、冊封体制、朝貢貿易、易姓革命(禅譲、放伐)、農民に倒されてきた歴代王朝、第1次:2次アヘン戦争、日清戦争を経た英仏独露日といった列強による半植民地化へのトラウマが、現在の中国共産党の国民への情報統制や周辺諸国への暴力行使につながっていることがよくわかりました。一見現代社会の考えでは理解しがたいですが、歴代の王朝と同じことをやっているので、中国にしたらそれが常識なのかもしれません。

アラブ編は複雑なアラブの歴史をわかりやすく解説しています。それでも、最初はわかりづらかったですが、少しずつ分かってきました。

全体の中でのゆげ先生の宗教は相互扶助組織だったとか、実は合理的なイスラム教の戒律、アラブ人、イラン人、トルコ人の違い、偶像崇拝する宗教は宗派の分裂につながるといった解説は面白かったです。


ゆげ塾の中国とアラブがわかる世界史【増補改訂版】 Kindle版ゆげ塾 (著), ゆげひろのぶ (著), 川本杏奈 (著), 野村岳司 (著) 形式: Kindle版


なかでも一番面白かったのはあとがきです。歴史は、書物の世界でなく現代社会の中で今現在も続いていることを実感します。
最近の欧米諸国の新型肺炎問題に関する損害賠償請求の動きは、アヘン戦争、日清戦争時の列強の動きを私は想像します。日本はどっちに着くのか。果たしてどんな展開になるのか。ただ今回は逆にぼこぼこにされそうな気もしなくもないです。


■参考リンク
Wikipedia:朝貢
朝貢(ちょうこう)は、皇帝に対して周辺諸国(君主)が貢物を献上し、皇帝側は恩恵として返礼品をもたせて帰国させることで外交秩序を築くもので、使節(朝貢使)による単なる儀礼的外交にとどまらず、随行する商人による経済実体(朝貢貿易)を伴うこともあり経済秩序としての性格を帯びることもある[1]。
以下略

Wikipedia:冊封
抜粋
冊封を受けた国の君主は、王や侯といった中国の爵号を授かり、中国皇帝と君臣関係を結ぶ。この冊封によって中国皇帝の(形式的ではあるが)臣下となった君主の国のことを冊封国という。このようにして成立した冊封関係では、一般に冊封国の君主号は一定の土地あるいは民族概念と結びついた「地域名(あるいは民族名)+爵号」という形式をとっており、このことは冊封が封建概念に基づいていることを示しているとともに、これらの君主は冊封された領域内で基本的に自治あるいは自立を認められていたことを示している。 したがって、冊封関係を結んだからといって、それがそのまま中国の領土となったという意味ではない。 冊封国の君主の臣下たちは、あくまで君主の臣下であって、中国皇帝とは関係を持たない。 冊封関係はこの意味で外交関係であり、中華帝国を中心に外交秩序を形成するものであった。
冊封国には毎年の朝貢、中国の元号・暦(正朔)を使用することなどが義務付けられ、中国から出兵を命令されることもあるが、その逆に冊封国が攻撃を受けた場合は中国に対して救援を求めることができる。

Wikipedia:阿片戦争
阿片戦争(アヘンせんそう、中: 第一次鴉片戰爭、英: First Opium War)は、清とイギリスの間で1840年から2年間にわたり行われた戦争である。
イギリスは、インドで製造したアヘンを、清に輸出して巨額の利益を得ていた。アヘンの蔓延に危機感をつのらせた清がアヘンの全面禁輸を断行し、イギリス商人の保有するアヘンを没収・焼却したため、反発したイギリスとの間で戦争となった。イギリスの勝利に終わり、1842年に南京条約が締結され、イギリスへの香港の割譲他、清にとって不平等条約となった。

Wikipedia:アロー戦争
アロー戦争(アローせんそう、英語: Arrow War)は、1856年から1860年にかけて、清とイギリス・フランス連合軍との間で起こった戦争である。最終的に北京条約で終結した。戦争の理由の一つであった、中国人による多くの外国人排斥事件のうち、もっとも象徴的な出来事がアロー号事件であったため、日本ではアロー戦争と呼称される場合が多い。また、この戦争がアヘン戦争に続いて起きたために、第二次アヘン戦争(Second Opium War)と呼ぶこともある。



列強による中国分割


すでに8カ国が中国に賠償請求、合計額は1京円超え!?中国GDPの7年分―仏メディアRecord China配信日時:2020年4月30日(木) 14時20分
2020年4月29日、仏国際放送局RFIは、新型コロナウイルスの感染拡大をめぐり、現時点で少なくとも8カ国が訴訟を起こしていると報じた。
記事は、香港経済日報の29日付報道を引用。現在、米国、英国、イタリア、ドイツ、エジプト、インド、ナイジェリア、オーストラリアの8カ国の政府や民間機関が、新型コロナウイルスの感染拡大を招き、自国に大きな被害をもたらしたとして、中国政府に賠償を求める訴訟を起こしていると紹介。「外国による中国への賠償請求を『100国連合』と形容する人もいるが、あながち言い過ぎではないだろう」と伝えた。
以下略

英独仏も、世界に広がる中国への賠償請求の動き新型コロナが生み出した世界の新たな対立構造2020.5.3(日)古森 義久 JB Press
米国で、新型コロナウイルスの地球規模の大感染について中国政府の責任を追及し、損害賠償を求める動きが高まっている。その動きが米国のみならずオーストラリア、イギリス、ドイツ、フランスなどでも顕著となってきた。一方、中国政府はその動きを不当だとして、強硬な反撃を展開している。
オーストラリアで賠償金を求める動き
 コロナウイルスの各国への感染が中国政府の当初の隠蔽工作によって加速され、拡大されたとする非難は、まず米国で激しくなった。連邦議会で非難の声が高まると同時に、各州の民間団体、さらには州当局が実際に中国政府に損害賠償金の支払いを求める訴訟を起こした。たとえばミズーリ州当局による訴訟は中国の政府や武漢市に総額440億ドルに達する賠償金支払いを要求した。
 この種の動きでとくに注視されたのは4月17日のトランプ大統領の言明だった。同日の記者会見でトランプ大統領は、「中国当局は武漢で発生したこのウイルスの拡大を効果的に防ぐことができたはずだ」と述べ、「中国政府の責任は多様な方法で追及されなければならない」と強調した。その責任追及には米国が受けた被害への賠償金支払いも含まれるとし、米国政府は今そのための「真剣な調査」を進めているとも述べた。






Last updated  2020.05.04 17:55:59
2020.02.09
テーマ:読書(5074)
カテゴリ:読書 Reading
Amazon kindle unlimitedで閲覧。

金門島という言葉はたまにニュースで聞きますが今まで台湾のどこにあるかは知りませんでした。この本を読んでびっくり。台湾からはるか遠く、中国大陸からごくわずかなところにありました。

戦後まもなく極秘に台湾に渡り、台湾の軍事顧問となり、台湾領土のこの島を中国軍の攻撃から守ったことで、台湾の存続につなげた陸軍中将根本博氏の話です。話のテンポが良く一気に読ませます。特に金門島をめぐる1949年の古寧頭戦役(こねいとうせんえき)の個所は迫力がありました。根本中将の人柄がしのばれる作品だったと思います。この勝利をきっかけに、翌年の朝鮮戦争もあり、米国が台湾確保に動き、なんとか台湾は中国の侵略を防げたそうです。ただ、台湾の歴史上では日本人の力を借りたというのはまずいので、その存在はなかったことにされているそうです。

せっかく守った金門島も中国の切り崩しが行われているのが残念です。

根本中将は第二次大戦でも、終戦時内蒙古にいた日本から来た民間人や部下の軍人を何十万人も無事に早期帰国させた功績もあり、人生で大きな功績をいくつも成し遂げています。私も見習って1つくらいは何か小さいことをやってみたいと思います。

この本の登場人物の親が日本軍の謀略活動でロシア革命を後方支援し、日露戦争を勝利に導いたことを知り、日本軍も諜報活動に優れていたことを知り、驚きました。

最近、日本と台湾をめぐるニュースでは関係を深めるものが目立ちます。米国の対中国政策によるものと思います。この本がAmazon kindle unlimitedで閲覧できるようになったのもそんな影響なのかとつい考えてしまいます。そのうち、韓国とのGSOMIAを破棄して、台湾、香港と結ぶ時代が来るかもしれません。

■参考リンク

この命、義に捧ぐ 台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡 (角川文庫) Kindle版門田 隆将 (著)




Wikipedia:根本博
根本 博(ねもと ひろし、1891年6月6日 - 1966年5月24日、中国名:林保源)は、日本の陸軍軍人及び中華民国の陸軍軍人。最終階級は共に陸軍中将。栄典は勲一等・功三級。陸士23期。陸大34期。
終戦時に内モンゴル(当時は蒙古聯合自治政府)に駐屯していた駐蒙軍司令官として、終戦後もなお侵攻を止めないソビエト軍の攻撃から、蒙古聯合自治政府内の張家口付近に滞在していた在留邦人4万人を救った。
復員後の1949年には、中華民国の統治下にあった台湾へ渡り、金門島における戦いを指揮し、中共政府の中国人民解放軍を撃破[1]。中共政府は台湾奪取による統一を断念せざるを得なくなり、今日に至る台湾の存立が決定的となった。
以下略


Wikipedia:金門県

抜粋
概要
中国大陸に近接する大金門島などを領域とする。台湾海峡対岸の台湾に依拠する中華民国の「福建省政府」が置かれているが、1996年から省としての機能を「凍結」している。一方、中華人民共和国の行政区分上は、福建省泉州市の管轄とされているが、実効支配できていない。国共内戦で中国大陸から撤退した蒋介石率いる中華民国軍が、1949年の古寧頭戦役や1959年の金門砲戦を経て防衛に成功。それ以来一貫して中華民国の統治下にある。
2018年8月5日、中華人民共和国から水道水を供給する海底パイプラインの開通式典が挙行され、中華人民共和国の圧力による2019年8月に台湾で開催予定だった東アジアユースゲームズの中止を受けて式典を先送りするとした台湾政府を地元政府は無視する形となった[3]。これは2015年の金門県長による中華人民共和国への提案で建設されたものであり[4]、過去に親中的な金門県の県長や副県長は金門島への一国二制度の適用や導入を度々呼びかけてきた[5][6]。
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安倍首相、台湾WHO参加を支持 蔡総統や外交部が感謝 他国も声援【政治】 2020/01/30 17:24  フォーカス台湾

【独自】安倍首相“実弟”の岸議員が中国・台湾を異例の連続訪問 習主席の国賓来日を前に見えてきた2020年の対中戦略は「日米台」連携門脇 功樹2020年1月23日 木曜 午前6:30 FNN PRIME

No.25 明石元二郎 (あかしもとじろう)-世界をゆさぶったスパイは、博多のダンディズムの中から生まれた-対談:昭和58年4月 西日本シティ銀行司会・構成:土居 善胤
日露戦勝利の影の立役者
西島
明石元二郎(あかしもとじろう)さんは、福岡出身の陸軍大将ですね。日露戦争のとき、ロシアの革命派の人たちに資金をわたし、国内の攪乱をはかったり、表にたたないところで活躍した人なんですね。

ええ、日露戦争前後に大きな活躍をした人です。 長崎出身の橘周太(たちばなしゅうた)中佐や大分県竹田出身の広瀬武夫(ひろせたけお)中佐が軍神として有名で、軍歌や小学唱歌にもなっていますが、明石元二郎は博多の人にもあまり知られていませんね。
小山
ヨーロッパを舞台にロシアの後方攪乱工作を展開した。当時は、たしか参謀本部の大佐
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Last updated  2020.02.13 03:44:36
2020.01.17
テーマ:書店(9)
カテゴリ:読書 Reading
昨年12月末で神田小川町の神谷書店がビルの建て替えで閉店との張り紙を見つけました。20年前にこの辺で働いていたころ、仕事帰りにたまに立ち寄っていましたが、上品で落ち着いた感じの中規模の本屋さんでした。明治8年創業だったそうです。
4年前からまたこの近辺で働くようになってからは昼に地下鉄の階段を上がると、店頭に懐かしいDVDがワゴンに並べられていて、たまに足を止めていました。
本屋さんの数は減少の一途です。てっきりアマゾンのせいとばかり思っていましたが、東洋経済によれば雑誌の減少が打撃となったようです。確かにここ最近、本屋さんに入った経験や雑誌を買った記憶はありません。
米国では独立系書店が、元気だそうです。通販や電子書籍等のライバルは多いですが、日本の書店が元気になる道筋が見つかればと思います。



■参考リンク

日本著者販促センター
書店数の推移 1999年~2017年


日本の書店がどんどん潰れていく本当の理由決定的に「粗利」が低いのには原因がある
星野 渉 : 文化通信社専務取締役 2018/12/09 5:50 
東洋経済ONLINE

抜粋
雑誌市場縮小が書店と取次に打撃
かつて、日本の出版市場は「雑高書低」と呼ばれていた。雑誌の販売額が書籍を大きく上回っていたためだ。
出版業界の売り上げがピークを迎えた1996年には書籍の販売金額1兆931億円に対して、雑誌の販売金額は1兆5633億円と1.5倍ほどの規模だった。効率のよい雑誌の売り上げが大きかった当時、出版業界の収益性は高く、それが書店の旺盛な出店の原動力にもなっていた。
しかし、その後、出版物の販売量は減少の一途をたどる。特に、雑誌はその頃拡大し始めていたインターネットや、携帯端末の普及に伴って急激に市場が縮小。2017年の雑誌の販売額は書籍の7152億円を下回り、6548億円と最盛期の3分の1ほどに縮小してしまった。
このことが、雑誌の収益に頼っていた中小書店の経営と、雑誌で巨大流通網を回してきた総合取次の経営を直撃した。
書店、とりわけ駅周辺や商店街にあった雑誌販売を中心とした従来型の「街の書店」が急速に姿を消した。今年2月、個性的な品ぞろえなどで多くのメディアから注目されつつ閉店した幸福書房(東京・渋谷区)も、雑誌と書籍の売上比率が逆転したことが、経営に大きな打撃を与えたという。






Last updated  2020.01.17 06:00:12
2019.12.20
テーマ:読書(5074)
カテゴリ:読書 Reading
アマゾン Kindleアンリミテッドで閲覧。

昼のセント酒 Kindle版久住昌之 (著), 和泉晴紀 (イラスト)


同僚の急病で空いた仕事の穴がなんとか埋まるメドがついてほっと一安心したクリスマス前の週末、神保町に寄りました。仕事場の隣町で近いけれど、家に帰るのに遠回りになるのでふだんはそんなに行きません。

前日にたまたま久住昌之さんの昼のセント酒を見つけて、なにげに神保町の梅の湯を読んだら惹き込まれて、足が自然に向かった次第です。はじめて読みましたが、漫画家さんらしく博学で、かつ描写が細かく生き生きしていて、かつガロ編集長との銭湯の思い出や、美学校での赤瀬川源平さんの講義、南伸坊さんとの思い出等がノスタルジックに描かれています。また、当時と現在の銭湯の変貌ぶりの対比も面白いです。飾らない美しい文章だと思いました。
ドラマも面白かったですが、独自の世界が広がってます。
神保町にある食堂、喫茶店の名前が出てきます。
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"昼のセント酒"(久住昌之, 和泉晴紀 著)から引用。
"天丼の「いもや」、ラーメンの「さぶちゃん」「伊峡」、餃子の「スヰートポーヅ」、スマトラカレーの「共栄堂」、欧風カレーの「ボンディ」、洋食の「キッチンジロー」「キッチングラン」、鯖味噌煮がおいしい定食の「近江や」。 あれから三十年以上経った今も、それらの店が全部営業している。全部個人店だ。この移り変わりの激しい都内で、もはや奇跡のようだ。"
"足が疲れると、手に入れた古本を持って、喫茶店「さぼうる」や「らんぶる」や「ミロンガ」に行って、コーヒーを啜りながら、それらをめくる。初めて知った、最高に楽しいひとり時間だった。"
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中には行った店もありますが、今回は今まで知っていたけど、あまり関心も無く行ったことの無かった餃子定食たしか770円だったかのスヰートポーヅに行こうと、足が向きました。

途中、文房堂という画材屋さんの前を通りかかると、色とりどりのクリスマスやお正月のカード、小物が陳列され、目を奪われます。ふだんはそんなものに心を動かされない自分が思わず、うきうきして店内に入って眺めたくらいです。

文房堂(神保町)


スヰートポーヅはすでに満員で、電車で来たらしい6組くらいの女性グループ、カップルが並んでいました。また空いてるときに来ればいいやと、向かいのキッチン南海の行列に加わりました。ここの行列の作り方は面白くて、店側3人、道路中央を通行人のため空けて車道側に3人で、それまでです。それ以上は並んではいけないようです。お隣のお店と通行人への配慮から出来たルールなんでしょうか。
列に並んでいると、お店の方が注文を取りに来ました。いつもカツカレーしか頼んでないので、たまにはと思い、オムライス!とメニューも見ずに言ったら一瞬間があり、やってません、とあっさり。常連でないのがばればれです。おととい来やがれと塩撒いて追い返されなかったのが幸いです。10分くらい待って無事いつものカツカレーをさっさと平らげ、無事帰りました。そこそこ以上の味なのに、普通盛りでも他店の大盛りと同じレベルなのがうれしいです。

食べログ:キッチン南海 神保町店


神保町にはおいしそうな店が多いのにあまりこれまで行きませんでしたが、職場が近いうちに、いろいろ試したいです。個人的にはお城を世界文化遺産にするより、三省堂と東京堂の間のすずらん通りを指定したほうがよいのではと思います。









Last updated  2019.12.22 02:28:21
2019.07.29
テーマ:読書(5074)
カテゴリ:読書 Reading
日本の図書館での電子書籍の利用について1年くらい前に調べたときはまだ全然普及してませんでした。そのときはせっかく電子書籍という便利な道具ができたのだから、これを利用すれば都会の人も離島の人も、同じ規模の中から本が読めるのに残念だと思いました。

同じ時期に作家の団体が新刊が売れなくなるので、図書館での新刊本の貸し出し等を制限してほしいと運動していたのを覚えてます。

米国ではこれに対して、すでに図書館での電子書籍の利用は一般化してるようです。ただ、まだ仕組みは改善の要ありです。

図書館での電子書籍の利用については、作家、出版社の収入に配慮してこれを損なわない方向で、従量課金等の仕組みを作る必要があると思います。

昔だったら書籍の流通は
新刊市場
中古市場
貸し本市場
図書館
くらいだったのが今は
紙の新刊市場
紙の中古市場
紙の貸し本市場
紙の図書館
電子の新刊市場
電子の図書館
キンドルアンリミテッドのような定額購読市場
と増えてそのうち
電子の中古市場
電子の貸し本市場
も誕生するかもしれません。

ネットで音楽が聴けるようになって音楽ソフトの市場が縮小し、アーティストの音楽ソフトからの収入が減り、昔に比べてよい音楽の供給が減ったように思います。同じことが書籍でも起こる様に思います。

作家たちに今以上の収入が確保できる課金構造を作って実施したら良いと思います。

■参考リンク

米図書館で人気のeブック貸出、出版業界は苦慮発売後8週間は待ったをかける出版社もWall Street Journal By Jeffrey A. Trachtenberg2019 年 7 月 26 日 14:55 JST

 米大手出版社の1つが図書館に電子書籍(eブック)を販売する方法を変えようとしている。図書館利用者の間で人気が高まっているデジタル図書貸出アプリが、出版社の売り上げをむしばみつつあるためだ。
 大手出版社のマクミランは近く、新刊書の発売後8週間までは、各図書館システムによるデジタルコピーのアクセスを1冊分に制限する考えを明らかにした。
 今回の動きは、地域の図書館で電子書籍を借りるのがかつてないほど容易になったことや、他の有力出版社が図書館との契約条件を改めつつあるのを受けたもの。
 「米国では図書館での閲覧がデジタル書籍全体の閲覧回数の45%を占めている」。マクミランのジョン・サージェント最高経営責任者(CEO)はインタビューでこう語った。「それが当社のデジタル書籍売上高を奪っている」
以下有料記事






Last updated  2019.07.29 07:59:54
2019.07.18
カテゴリ:読書 Reading
アマゾンkindle unlimited読み放題で閲覧。

大学時代、つのだじろう先生の恐怖新聞やうしろの百太郎のコミックスを夢中で読みました。先生の作品には他のオカルト漫画と違って怖いだけでなく優しさのようなものが感じられて好きでした。

たまたまアマゾンkindle unlimited読み放題で恐怖新聞Ⅱや学園七不思議を見つけて久しぶりに読みましたが、面白かったです。うしろの百太郎にも続編があるらしいので、いつか読んでみたいです。

小中高の頃、夏休みになるとTVで心霊特集をやっていて、中でもお昼のワイドショーのあなたの知らない世界は好きでした。先生のほか、中岡俊哉さん、笑点の企画をされた新倉イワオさん、落語家のおそらく古今亭志ん馬さんが、日光の華厳の滝をバックに撮った写真に余計な手が出ていたりとか、読者から送られた心霊写真を評価するコーナーが特に好きでした。

その後、デジタル写真の普及、オカルト雑誌に載せた広告で信者を集めた新興宗教の暴走、外れたノストラダムスの大予言、TV局のコンプライアンス重視への転換等で、最近は下火になっているようですが、あの頃の夏休みのわくわく感が懐かしいです。

ちなみに自分は60歳近くなるまで、自分の守護霊は見たことはなく心霊写真も撮ったことはありません。ちょっと前にご紹介した研究では神は人間が作り出したものという説もあります。
ただ、霊の上にある地域や民族によって名前は違うものの神や仏といわれるような大きな何かの一つの力が存在していると今のところ思います。
また、この十年くらい何人か実際に見て感じたところでは、社会や他人のために尽くした方の晩年にお会いすると、欲と言うものが感じられず、笑顔で体から光が出ている感じで、人間から一ランク上がって、神仏に近づいてるなと感じることがあります。煩悩の塊の自分にはとても近づけない領域です。

■参考リンク

恐怖新聞II 大合本1 1~3巻収録 Kindle版
つのだじろう (著)



学園七不思議 大合本 全4巻収録 Kindle版
つのだじろう (著)


Wikipedia:つのだじろう
人物
「恐怖マンガとしての表現」の範囲でエンターテインメント性を重視し、心霊研究に関しては、単なる興味本位の「心霊スポット巡り」や「狐狗狸(こっくり)さん」といった、霊を弄ぶような行為に警鐘を鳴らし続けた。「先祖を大切にする事」「守護霊の存在」といった内容を漫画作品や執筆、時には出演したTV番組や講演などで常に訴え続けてきた。また「超能力・霊能力」の実証研究や分析もしている。





冝保愛子さん「心霊番組」はなぜ消えたのか没後16年、YouTubeではいまだ人気
AERA dot. 2019/05/08 16:00


テレビから心霊番組が消えた理由
リアルライブ 2010年7月26日 19:30  exciteニュース


大槻義彦教授が振り返る「オカルトの平成史」 「最近は敵がいなくて寂しい」
2019/1/ 2 11:00 JCASTニュース


Wikipedia:コックリさん

Wikipedia:心霊写真






Last updated  2019.07.20 17:13:41

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