2782503 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

秋に咲くヒマワリ・・なのかもね。

PR

全214件 (214件中 1-10件目)

1 2 3 4 5 6 ... 22 >

YouTubeで聴く美しい音楽Music in YouTube

2021.12.09
XML
クリスマスまであと2週間になりました。Luminous(ルミナス)のクリスマスの歌を聴いて昔聴いたパット・ブーン(Pat Boone)のThe First Noelを思い出しました。一緒にほかのクリスマスソングもご紹介します。

うろ覚えですが百万人の英語で習ったような記憶があります。クリスマスの頃、よく歌っていました。優しく包み込むような暖かい歌声が好きでした。

Wikipediaをみると、日本にも何度か公演に来られているようです。現在87歳とのこと。長生きしていただきたいです。




■参考リンク
Wikipedia:パット・ブーン
パット・ブーン(Pat Boone, 1934年6月1日 - )は、アメリカ合衆国出身のポピュラー音楽の歌手
来歴・人物
トリニ・ロペス(左)とパット・ブーン(右)。1975年3月。
フロリダ州ジャクソンビル出身で、本名はCharles Eugene Patrick Boone。西部開拓史上の英雄ダニエル・ブーンの子孫で、娘は歌手のデビー・ブーンである。
映画『十字架と飛び出しナイフ』で、クリスチャン俳優として知られるようになった。
日本公演
1975年
6月14日 東京厚生年金会館、25日,26日 中野サンプラザ
1977年
4月20日,21日 神奈川県立県民ホール、22日 日本武道館、23日 堺市民会館(2回公演)、24日 京都府勤労会館、24日 大阪毎日ホール、25日 西宮市民会館、27日,28日,29日 名古屋市公会堂
1979年 with デビー・ブーン
10月28日 中野サンプラザ、29日 北海道厚生年金会館、30日 フェスティバルホール、31日 福岡市民会館、11月1日 名古屋市公会堂、2日 那覇市民会館
1999年
12月5日 東京厚生年金会館、7日 フェスティバルホール、9日 福岡サンパレス、10日 愛知県芸術劇場、11日 Bunkamuraオーチャードホール、15日 静岡市民文化会館、17日 ゆうぽうと簡易保険ホール






Last updated  2021.12.13 04:18:02


2021.12.08
YouTubeで拾った歌です。今まで聴いた瑠璃色の地球で一番透明感があって心に残りました。
風のとおり道を聴いて、以前観たときはそれほど印象に残らなかったとなりのトトロがまた観たくなりました。クリスマスの歌や讃美歌とか歌ってほしいです。








■参考リンク
Wikipedia:Luminous
Luminous(ルミナス)は、日本の女性歌手グループである。音楽大学を卒業した女性4人がクラシック、ポップス、日本歌曲を歌唱する。「Luminous(ルミナス)」は「光を発する」という意味。
メンバー
村田 ゆう子(むらた ゆうこ)
コロラトゥーラソプラノ
東京音楽大学音楽学部声楽学科オペラコース卒業
同大学研究科オペラコース修了
二期会会員
橋本朗子(はしもと あきこ)
ソプラノ
国立音楽大学音楽学部声楽学科卒業
二期会会員
珍田 さほり(ちんだ さほり)
ソプラノ
国立音楽大学音楽学部声楽学科卒業
石原陽香瑠(いしはら ひかる)(陽香留)
メゾソプラノ
洗足学園音楽大学声楽コース卒業卒業






Last updated  2021.12.11 04:36:15
2021.12.06
久しぶりに金井克子さんのあまい囁きを聴きました。野沢那智さんがセリフを話してるのにびっくり。原曲でアランドロンのセリフがあったのを調べて知り納得。担当の声優だったんですね、



金井克子さんは他人の関係も好きでした。朱里エイコさんと同じく大人のセクシーな歌でした。


野沢那智さんで思い出しましたが、白石冬美さんとのパックインミュージックもよく聴きました。お二人の声も今は聴けず残念です。


おまけで巨人の星で、白石冬美さん演じる星明子が木の陰から「ひゅーま」というシーンが懐かしいです。YouTubeにはありませんでした。






Last updated  2021.12.09 18:26:30
2021.11.30
麻生よう子さんのデビューのきっかけについてふと思い立って調べましたがわかりませんでした。オーディション番組だったかなんだったか。

どちらかというとアイドル系というよりも演歌系のように思いましたが、逃避行は1974年当時中三の自分にも引っかかる歌でした。今改めてテレサテンさんの歌とともに聴くとこの曲の世界の深さを改めて感じます。

その他、人形の家、涙のかわくまでのカバーも良いです。







■参考リンク
Wikipedia:麻生よう子
麻生 よう子(あそう ようこ、1955年12月3日 - )は、日本の元歌手。
経歴
大阪府吹田市出身。大阪成蹊女子高等学校1年生の秋、歌手になる事を目指し自ら退学届を提出し上京[1]。
1974年にデビュー曲『逃避行』がロング・ヒットし、その歌唱力が評価されて同年の第16回日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞した。
1979年には、グロリア・ゲイナーのカバー曲「恋のサバイバル2」がスマッシュ・ヒット、布施明の「恋のサバイバル -I WILL SURVIVE-」と競作曲になり話題となった。
1991年6月にはCDアルバム『ジャスト・ワン・モア・タイム』を出す。結婚後は引退し、郷里の吹田市に居住しているという。
2002年2月にはベストアルバム『DREAM PRICE 1000 / 麻生よう子 逃避行』、また2007年12月には『エッセンシャル・ベスト 麻生よう子』が発売された。






Last updated  2021.11.30 00:00:06
2021.11.21
美空ひばりさんが歌われるカバー曲は昴をはじめ、感動的な曲が色々ありますが、時間があったのでYouTubeから拾ってみました。
世代的にはひばりさんから遠い世代の自分ですが、ちょっと身近に感じます。











Last updated  2021.11.23 15:52:40
2021.10.31
たまたまYouTubeで見つけました。
以前マルモのおきてを観たときもすごい子役さんだと思いましたが、マンドリン演奏でも人を感動させる能力を持っているのにびっくり。いろいろな才能にあふれて、彼女が将来どんな人生になるのか楽しみです。


芦田愛菜「奇跡のコラボ」高嶋ちさ子:YouTube





2021.11.19内容の追加


■参考リンク

芦田愛菜 医学部進学への厳しすぎる壁「オール10は当たり前」記事投稿日:2020/09/17 06:00 最終更新日:2020/09/17 06:00女性自身

「裏切られたというけれど、その人が裏切ったというわけではなく、その人の見えなかった部分が見えただけ。見えなかった部分が見えたとき『それもその人なんだ』と受け止めることができる、揺るがない自分がいることが信じることと思いました」
示唆に富んだ持論をこう語ったのは芦田愛菜(16)。
これは芦田が主演する10月公開映画『星の子』の完成イベントで同作のテーマでもある「信じること」について質問された際に彼女が答えたもの。大人顔負けの名回答は各メディアでも取り上げられ「16歳とは思えない!」「もはや哲学者の域」といった称賛が相次いだ。
今年4月に都内の超名門私立・A大学の付属中学校から系列の女子高に進学し勉学に励むかたわら、女優業もこなす多忙な日々を送る芦田。
彼女が司会を務める『サンドウィッチマン&芦田愛菜の博士ちゃん』を放送するテレビ朝日の関係者は勤勉ぶりをこう明かす。
「『博士ちゃん』は単発番組の視聴率が好調だったことからレギュラー化が決まりましたが、その際に芦田さんサイドは“学業を優先させること”を条件にしたそうです。
そのため制作スケジュールはかなりタイトですが、芦田さんは打ち合わせでものみ込みが早く、現場のスタッフも助けられています」
学友たちからも絶大な信頼を獲得しているという。
「中学時代はマンドリン部に所属し、3年生時には部長を務め、部員たちをまとめあげました。高校進学後も、成績はトップクラスで、学内でも常に一目置かれている存在です」(芦田が通う女子高の保護者)
多忙ながら“文芸両道”を完璧にこなす芦田だが、その胸には壮大な夢を秘めていた。
「芦田さんは女優業をこの先も続けていくそうですが、将来的には医者にもなりたいそうです。A大学の医学部に内部進学する形で医師への道を目指していくのだと思います」(芸能関係者)
10歳時のインタビューで「薬剤師になって新薬を開発したい」と答えるなど、かねてから医療分野への興味を示してきた芦田。中学に進学したての’17年4月放送の『スッキリ!!』(日本テレビ系)で将来の夢を聞かれた際も「医学系の道に進んで、病理医になりたい」と明言していた。
「’16年放送の長瀬智也さん(41)主演ドラマ『フラジャイル』(フジテレビ系)に感銘を受けた芦田さんは、原作や医学書を読み込み、人の細胞や組織を観察して病気の診断をする病理医を目指すことにしたそうです」(前出・芸能関係者)
以下略






Last updated  2021.11.19 01:45:39
2021.10.30
久々に女子十二楽坊の曲をYouTubeで探しました。My Heart Will Go Onとか、マー・ジンジンさんの冬のソナタとか、知らない曲で結構いい曲がありました。

マー・ジンジンさんのFacebookも更新されてないようですし、みんな今頃どうしているんでしょうかぽっ













Last updated  2021.10.31 00:16:07
2021.10.25
小さなスナックは小学3年の頃流行った曲です。地味ながら心に残る曲でした。その後パープル・シャドウズは大きなヒットが無かったので忘れていましたが、改めて聴くとやはりいい歌です。
スナックという言葉もだんだん、昭和の彼方に消えていきそうになりました。

別れても好きな人がパープル・シャドウズの曲と知りびっくりびっくり。やはりこの曲はシルヴィアさんみたいなしっとりした声が似合います。





■参考リンク
Wikipedia:パープル・シャドウズ
パープル・シャドウズ(Purple Shadows)は、1968年結成のグループ・サウンズのバンドである。
概要
1968年の結成当時、グループ・サウンズ人気は既に下降線をたどり始めていたが、他のグループ・サウンズとは異なるムード歌謡的な曲調の「小さなスナック」の大ヒットを飛ばす。だがその後はヒット曲に恵まれなかった。その後メンバーの脱退・加入を繰り返し、1980年代には「今井久&パープル・シャドウズ」名義で活動した。
ハワイアン的なムード歌謡風の曲調が特徴。今井のギターをフィーチャーしたインスト・アルバムも発売された。
岡村はその後RVC→BMGビクターでプロデューサー・ディレクターとして活動し、レイジー・西城秀樹[1]・角松敏生などを担当した。
それから10年後の1979年、ロス・インディオス&シルヴィアがカバー・シングルとして発売、翌1980年に掛けて大ヒットとなった「別れても好きな人」は、パープル・シャドウズが本家であった。元はシャッフルのリズムだったが、ロス・インディオス&シルヴィアのカバー・バージョンは、一部歌詞の地名を変更(青山→原宿、狸穴→高輪など)落ち着いたムード歌謡曲調にアレンジし直されている。
2007年2月17日、2008年2月22日、2009年2月27日、(BS2)グループサウンズ大全集 綿引則史&今井久、2012年1月24日、NHK歌謡コンサート(NHK総合)に出演し、「小さなスナック」を披露。

Wikipedia:スナックバー (飲食店)
スナックバー(英: snack bar)は、カウンター付きの飲食店。
日本では高速道路の休憩施設以外ではアルコール飲料を提供するものを指すが、日本以外ではアルコール類を提供しないものも含む。アルコール以外に軽食(スナック)を提供するバーというのが名前の由来。
日本のスナックバー
形態
深夜における酒類提供飲食店営業
日本では「スナック」と略され、一般に女性がカウンター越しに接客する飲酒店を指す。店の責任者は女性であることが多く、その女性は「ママ」と呼ばれる。深夜0時以降まで営業している店が多い。客が酒や軽食を口にしながら、「ママ」や店員、あるいは客同士で会話を楽しんだり、カラオケを歌ったりするのが主たるサービス。提供するアルコール類、料理類はあくまでその補助にすぎず、ブランデーなど高価な商品がある一方で、安価な甲類焼酎などが提供されることも多いのが(狭義の)バーとの違いである。
1970年代前半頃までは敢えて今風に言うとカフェバー形態を指し、昼間はパフェなどのデザートメニューも展開していた。マスターとバーテンダーは共に蝶ネクタイ姿、店内の雰囲気はヨーロッパ風のプチモダンな空間を模していた店舗も往々にして存在した。その後、流行の変化で、ファッショナブルな印象のあった「スナック」という名称はそのままに、客層の高齢化とともに、業態も現在のように変化した。
接待飲食等営業
テーブルにソファー掛けで女性が男性客の横で接待する店は、関西や九州では「ラウンジ」と呼ばれ、さらに高級店は「クラブ」と呼ばれる[1]。ただし、こちらは法律上、風俗営業となり、深夜0時以降の営業はできない。
スナックコーナー
高速道路のサービスエリア・パーキングエリアでは、レストランと違って軽食を提供する場を指す。フードコートと同義に使われている。
歴史
第二次世界大戦後、バーやキャバレーといったいわゆる「風俗」は、地方自治体の青少年保護育成条例の影響で、24時を越えての深夜営業が不可能となった。そこで、いわゆる「風俗」とは異なって、深夜営業が可能な「スナック・バー(いわゆるスナック)」が誕生した。日本の地方自治体で最も早く青少年保護育成条例を制定したのは1950年の岡山県であるが、「スナック・バー(いわゆるスナック)」の誕生に最も影響を与えたのは、1964年8月1日の東京都の「東京都青少年の健全な育成に関する条例」である。これ以降、全国津々浦々に「スナック・バー(いわゆるスナック)」が広まった。これを昭和のスナックブームと呼ぶ。令和の時代になり、スナックのリバイバルブームが起こっている[要出典]。
法律上の位置づけ
「食品衛生法」に基づき、所在地を管轄する保健所に飲食店営業の許可を得て営業している。
午前0時以降、アルコール類を提供する場合は、別途「風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律(風適法)」に基づき、各都道府県の公安委員会に対し深夜酒類提供飲食店営業の届出をしなければならない。なお、深夜酒類提供飲食店と風俗営業は兼ねることはできないので、風適法上の接待はできない。そのため、カウンター越しに接客をしている。






Last updated  2021.10.30 05:35:15
2021.10.19
久々にケルティック・ウーマンを聴きました。何気なく聴いていたアメイジング・グレイスが深い意味を持っているのに驚いたり、子供の頃歌っていた遠き山に日は落ちてが、ケルティック・ウーマンが歌うと別の歌に聴こえます。アレックス・シャープさんの動画が観れたのも良かったです。








■参考リンク
Wikipedia:アメイジング・グレイス
成立
作詞者はジョン・ニュートン (John Newton,1725–1807)。作曲者は不詳。アイルランドかスコットランドの民謡を掛け合わせて作られたとしたり、19世紀に南部アメリカで作られたとするなど、諸説がある。
ジョン・ニュートンは1725年、イギリスに生まれた。母親は幼いニュートンに聖書を読んで聞かせるなど敬虔なクリスチャンだったが、ニュートンが7歳の時に亡くなった。成長したニュートンは、商船の指揮官であった父に付いて船乗りとなったが、さまざまな船を渡り歩くうちに黒人奴隷を輸送するいわゆる「奴隷貿易」に携わり富を得るようになった。
当時奴隷として拉致された黒人への扱いは家畜以下であり、輸送に用いられる船内の衛生環境は劣悪であった。このため多くの者が輸送先に到着する前に感染症や脱水症状、栄養失調などの原因で死亡したといわれる。
ニュートンもまたこのような扱いを拉致してきた黒人に対して当然のように行っていたが、1748年5月10日、彼が22歳の時に転機は訪れた。イングランドへ蜜蠟を輸送中、船が嵐に遭い浸水、転覆の危険に陥ったのである。今にも海に呑まれそうな船の中で、彼は必死に神に祈った。敬虔なクリスチャンの母を持ちながら、彼が心の底から神に祈ったのはこの時が初めてだったという。すると流出していた貨物が船倉の穴を塞いで浸水が弱まり、船は運よく難を逃れたのである。ニュートンはこの日を精神的転機とし、それ以降、酒や賭け事、不謹慎な行いを控え、聖書や宗教的書物を読むようになった。また、彼は奴隷に対しそれまでになかった同情を感じるようにもなったが、その後の6年間も依然として奴隷貿易に従事し続けた。のちに、真の改悛を迎えるにはさらに多くの時間と出来事が必要だったと彼は語っている。
1755年、ニュートンは病気を理由に船を降り、勉学と多額の献金を重ねて牧師となった。そして1772年、「アメイジング・グレイス」が作詞された。歌詞中では、黒人奴隷貿易に関わったことに対する悔恨と、それにも拘らず赦しを与えた神の愛に対する感謝が歌われている。
この曲のほかにも、彼はいくつかの賛美歌を遺している。
この賛美歌を評して、アメリカの精神科医のM・スコット・ペックは、この恩寵を歌う詩の最初でgrace(恩寵)にAmazing(奇しき) が結び付けられていることに注目し「恩寵に結びつけられた最初の言葉が奇しきである。事が普通のコースをたどらず、われわれの知っている自然の法則で予想できない時、我々は(それを奇跡だと)驚く」しかし「(神の)恩寵が手を差し伸べ、我々を喜んで迎え入れてくれるのを人は(やがて)知る。これ以上人は何を望むのか。」と著書で説いている。

5つのYou Raise Me Up:ユー・レイズ・ミー・アップ(ケルティックウーマン、マーティン、森麻季、シークレットガーデン、ジョシュグローバン)←イナバウアー←琴バウアー






Last updated  2021.10.23 01:14:12
2021.09.19
ひで&たまさんの歌を探してたら、ほうせんかという歌を見つけました。

気楽に自然な感じで歌っているのに、心にしみるいい歌でした。誰の歌か調べたら中島みゆきさんです。よく考えると、昔聴いた気がします。たまさんは、中島みゆきさんの歌を歌わせたら並ぶものは無いし、中島さんとは別世界を作り出していると改めて思います。







■参考リンク
Wikipedia:おもいで河
「おもいで河」(おもいでがわ)は、中島みゆきの6作目のシングル。1978年8月21日にキャニオン・レコードよりリリース[1]。
解説
若草恵が編曲を担当しているシングルである。
「おもいで河」「ほうせんか」ともにオリジナルアルバムには収録されていない。「おもいで河」は1986年のベストアルバム『中島みゆき THE BEST』において、「ほうせんか」は1987年のベストアルバム『Singles』においてアルバム初収録となった。
B面の「ほうせんか」は松山千春を育て、1977年に37歳で急死したSTVのディレクター竹田健二への追悼曲である。






Last updated  2021.09.19 20:19:14

全214件 (214件中 1-10件目)

1 2 3 4 5 6 ... 22 >


© Rakuten Group, Inc.