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信号機の表示が赤から緑に変わって、直立姿勢をとっていた枠の中の人間が歩き始めた。通行人たちがクロスしたゼブラゾーンを足早に渡っていく。 事務所の給湯室では、やかんの蒸気があがっていた。『サンカイジェネラルサービス』という文字が書かれたプラスチックの安っぽいプレートの付いたドアが開いた。 「おはよーございます」 鼻にかかった高い声。一人の女がドアを半分ほど開けた間から入ってきた。 南の窓を背にしたデスクに座っている男がパソコンから顔をあげた。 「今日からこちらで働くことになってました、大場はるかです」 「・・・ああ。オオバさんね」 彼女は長いまつげに縁取られた目を大きく見開いて笑った。男は少し戸惑いつつ答えたが、すぐに何かを思い出したようだった。 彼は、その大場はるかと名乗った女の格好を見た。金髪に染められた髪は、頭の上のほうで左右2つにくくられ肩まで垂れており、まだら模様の動物の毛でふわふわしたコートを着て、どこかのブランドのマークが取っ手の金具に付いたバッグを提げている。そして、こんな季節なのにひざより上までのピンクのスカートに、黒革のヒールの高いブーツ。よくこんな目立つ格好で来れたな、と白川は思った。 「そちらが、白川さん?」 大場はるかはパソコンの画面に隠れかけている男の顔をのぞき込むようにしていた。 「ああ」 「どうぞよろしくお願いしまーす」 はるかはグロスで光ったくちびるでにっと笑って首をかしげた。彼女の姿を白川はまんじりとしない顔で眺めた。 彼女はドアに一番近いところにあるデスクにバックを放り出し、コートをいすにかぶせた。デスクの上には筆記用具や書類がきれいに整頓されて置かれている。その机ははじめ、光沢の押さえられた金属系の文房具が織り成す落ち着きのあるモノトーンな色合いに統一されていた。だが、彼女のバックのはしからはみ出していた、携帯電話についているけばけばしいキーホルダーの群れがその上に転がったためすぐに赤やピンクや黄色のにぎやかな色彩に満ちた。 オオバハルカ。白川は一応その名前を頭の中で反すうした。忘れないためである。だがそれもただ、一時的で頼りにはならない作業なのだが。 「かけっぱなしですよー、白川さん」 給湯室に置かれているガスコンロに向かいながら、言葉尻のあがる声ではるかが言った。部屋の温度が上がるのをいいことに放ったままにしておいたのだった。湿気の増えすぎは機械によくないかも知れないなと白川は思ったが、すでに遅かった。 「ピューって鳴るやつにしたほうが絶対いいですよぉ」 パチンという音がして、どうやら火を切ったらしい。見れば、部屋の西側の窓ガラスが曇り始めていた。半ばぼんやりとしながら白川は、コーヒーの壜のふたを開けているはるかに言った。 「今日は・・・えらい変わりようだな」 言葉が口に出たあとになって、また言ってしまったと思ったが、結局彼女は案の定の返事を返した。 「何の話ですかぁ?」 間の抜けた声だった。白川は別になんでもないと手を振って、黒いノートパソコンの画面に目を戻した。彼の机は、部屋の中央で4台くっつけて置かれているのとは別に、南の小さな窓の近くに置かれている。立ち上がって窓のそばに行くと、外の冷気が湿っぽく伝わってきた。彼はコーヒーを入れているはるかを見た。毎度のことだが、全く慣れない。元々自分には慣れるという人間的な部分が欠けているのだろうとは思っていたが、このような場合はなおさらだ。腑に落ちない溜め息をはいて、机の上に置いてあった空のマグを取り給湯室に向かった。 続 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
April 2, 2005 10:54:41 AM
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