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【「スーパーマン」のクリストファー・リーブが・・・】
大人気シリーズとなった「スーパーマン」で一世を風靡したクリストファー・リーブが 10月10日に心不全のため、アメリカ・ニューヨーク州の病院で亡くなられました。 52歳でした。 広報担当者の話では、ここ数週間は床擦れが悪化して治療を受けていましたが、 10月5日には、シカゴで脊髄損傷の研究会に出席するなどの活動を続けていました。 妻のダナさんは 「長年の間、夫を愛して支えてくれたスタッフや看護チーム、 世界中の何百万人のファンの皆さんに感謝します。」 というコメントを発表したそうです。(葬儀については未定。) 1995年の落馬事故で脊髄損傷を負い、首から下が麻痺状態となりながらも、 脊髄医療、福祉を推進する社会活動家としても活躍してきましたが、 身体の麻痺に伴う合併症の悪化から、10月9日に自宅で心臓発作を起こし、 昏睡状態に陥り、意識が戻らないまま、翌日、10日午後5時半に 家族に見守られて息を引き取ったそうです。 落馬事故後に発表した手記「あなたは生きているだけで意味がある」によると、 一時は絶望感から自殺も考えたこともあったそうですが、家族の支えによって立ち直り、 懸命なリハビリを重ね、車椅子と呼吸器を装着して外出や水中歩行なども行っていました。 事故から10ヶ月後の1996年3月25日、第68回米アカデミー賞授賞式に車椅子で出席し、 「映画を通して社会的問題に挑戦し続けよう。 映画人が力を合わせれば、どんな奇跡だって起こすことができる。 私もきっと、スクリーンに戻ってみせる。」 とスピーチし観客は総立ちで拍手を送りました。 懸命にスピーチをする姿や会場の映画人が涙をぬぐう姿が世界中に配信され 大きな感動を呼んだのも記憶にまだ新しいところです。 有言実行で財団を設立、麻痺者のための福祉活動と脊髄再生研究を推進し “車椅子のヒーロー”と呼ばれ、称賛されていました。 再起に向けた不屈の精神で、1998年にヒッチコック作品をリメイクした、 TV映画「裏窓」を製作総指揮するとともに主演をこなしました。 オリジナル版では足を骨折した主人公という設定でしたが、 四肢麻痺という設定に変えて車椅子で熱演し、ゴールデングローブ賞にノミネートされ、 俳優組合の最優秀俳優賞を受賞しています。 ここ数年、ハリウッドでは「スーパーマン」シリーズ第1作目のリメイク、 「Superman Returns」の企画が何度も持ち上がっていて、 キアヌ・リーブス、ジュード・ロウらの大物からジョシュ・ハートネットら若手スターまで 様々な新“スーパーマン”への候補の名前が挙がっていましたが、 クリストファー・リーブが演じたスーパーマンの存在感があまりにも強烈で、 役を引き受ける側がかなりためらったりしていることから企画は頓挫していました。 製作者側は、もし、リメイク企画の話が順調に進んでいたら、 クリストファー・リーブにゲスト出演してもらう意向だったそうです。 世代がやや上の方々には、“スーパーマン”と言えば、ジョージ・リーブスが演じ、 あの大平透さんが吹替えをされていた人気TVシリーズの「スーパーマン」でしょうか。 原題は「The Adventures of Superman」で、 1951年~1957年の間、エピソード104話で放映されました。 再放送か、懐かしのドラマのような番組で観たような覚えがありますが、 やはり、私の中でのスーパーマンはクリストファー・リーブ。 あのテーマ曲に乗って大空を飛び回る姿は、まさに“ヒーロー”でした。 そうそう、胸に“S”のマークが入ったスーパーマンTシャツも持っていました。 2年前から、手や足の指先が少しずつ動かせるようになり、 まさに、奇跡の回復を遂げつつあった不屈のヒーロー“クリストファー・リーブ”。 クリストファー・リーブには、未入籍の女性との間に2男、 妻ダナさんとの間に1男いらっしゃるそうですが、誇り高き自慢のパパですね。 きっと、天国でも“正義のヒーロー”として、これからも闘っていくことでしょう。 スーパーマンのパパこと、マーロン・ブランドにも会えますように・・・。 心からご冥福をお祈り申し上げます。 【幹細胞問題が大統領選で取り上げられ、クリストファー・リーブが貢献!】 クリストファー・リーブが力を入れていた医学活動の中で、幹細胞研究問題が 現在行なわれているアメリカ大統領選挙戦でも取り上げられ、 争点の1つとなっているそうです。 (幹細胞研究とは、受精卵から胚を取りだし培養する胚性幹細胞の研究だそうです。) 10月8日に行なわれた第2回大統領選テレビ討論会でも、 この問題に関してクリストファー・リーブ自身のことが言及されました。 民主党のケリー候補が、幹細胞研究に制限を加えているとブッシュ大統領を批判し、 参加者に向かって、クリストファー・リーブを“私の友人だ”と紹介し、 「彼にもう一度、自分の足で歩けるようになって欲しい。」 と述べたそうです。 また、入院直前の10月9日にクリストファー・リーブから携帯電話に メッセージが入っていたことをケリー候補が10月11日に明らかにしました。 “幹細胞問題が討論会を通じて放映されたことに感激した” という、メッセージ内容だったそうです。 一方のブッシュ大統領は、訃報に際し、研究に反対していることとは別に 「卓越した俳優として、そして障害をもつ人々を献身的に支援したことにより記憶されるだろう。」 という声明を発表したそうです。 ≪ヒストリー≫ 1952年9月25日、アメリカ・ニューヨーク生まれ。 大学教授の父、ジャーナリストの母の間に生まれましたが、 4才の時に両親が離婚し、弟と一緒に母親の下で育ちました。 9歳で舞台に立ちますが、本格的に演劇に興味を抱いたのは高校時代。 高校の学校新聞で、劇団の地方巡業を取材してからだそうです。 コーネル大学を卒業後、NYのジュリアードで学び、 (同期にはロビン・ウィリアムズがいたそうです。) 更にハーバート・バーゴフに師事した後にロンドンへ留学。 パリのコメディ・フランセーズに籍を置いたこともあります。 帰国してからは、舞台からTVの世界へと移りました。 1978年「原子力潜水艦浮上せず」の端役で映画デビュー。 そして、同年「スーパーマン」の主役に200人の候補者の中から抜擢され、 ルックスの良さと均整のとれた肉体で、アメリカンコミックのヒーローを ファンの期待以上に演じ、世界から注目を浴び、名声を得ました。 その後は、「ある日どこかで」「デストラップ・死の罠」などの秀作に出会いながらも “スーパーマン”ほどの評判は得られず、シリーズ4作目では原案も手掛けた。 イメージを払拭しようと、いろいろな役を演じて新境地を探していた矢先、 1995年5月27日、バージニア州で乗馬を楽しんでいた時に落馬事故に遭い、 首から下が不随となってしまいました。 映画界への復帰は絶望視され、一時は再婚相手の負担になるからと 離婚まで考えたそうですが、 懸命のリハビリと家族の協力によって車椅子の身で活動を再開し、 1999年にはヒッチコックの名作「裏窓」のリメイク版に挑戦しました。 ≪主な出演作品≫ 1999年 「裏窓」(TVM) ※製作総指揮も兼任 1997年 「フォーエヴァー・ライフ/旅立ちの朝」(TVM) ※監督のみ 1995年 「光る眼」 1994年 「眠れない夜はあなたと」(未) 「偽証」(TVM) 1993年 「日の名残り」 1992年 「カーテンコール/ただいま舞台は戦闘状態」(未)「シー・ウルフ」(未) 「新ハリウッド・ナイトメア 2」(TVM) 1991年 「デス・ドリームス」(TVM) 「渇きの代償」(TVM) 1989年 「大脱走2/脱出編・復讐編」(TVM) 1988年 「スイッチング・チャンネル」 1987年 「スーパーマン4/最強の敵」 ※原案も兼任 「NYストリート・スマート」(未) 1986年 「タッチ・オブ・ザ・スカイ」 1985年 「アビエーター」(未) 「ジャクリーン・ビセットのアンナ・カレーニナ」(TVM) 1984年 「ボストニアン」(未) 1983年 「スーパーマン 3/電子の要塞」 「フェアリー・テール・シアター/眠れる森の美女」(TV) 1982年 「デストラップ・死の罠」 「バチカンの嵐」 1981年 「スーパーマン 2/冒険篇」 1980年 「ある日どこかで」 1978年 「スーパーマン」「原子力潜水艦浮上せず」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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