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テーマ:たわごと(26887)
カテゴリ:日記
善は美しいが、本当の自分を掘り起こすことを知らない。 真の善人が、自己理解を欲したときに初めて、真の悪を理解できる。 そうしてようやく、我らの海と大地とが準備され、真理の種子が生まれてくる。 狂気が種子の生育を早めてしまう。 種子は、より以上に、より以上に、自分を超えて、自分でない何かになることを欲する。 故に、彼らは常に栄養失調である。 病に陥り、苦難に十分に対応できず、苦しみは増大する。 だがそれでも、彼らはより以上になることを欲する。 あの光、あの光、あの高み、あの高みまで! だが彼は朽ちる。朽ちて倒れて落ちて還った。 ああでも、それなのに、彼はまるでそれを知っていたかのよう。 あの光、あの高みを求めるのではない。 彼の大地は墓場なのだ。彼の養分は墓場の中にある。 彼はただ、墓場から再び生まれ、克服し、再構築し、再編成し、 再び彼自身を理解するよう努めているようにみえる。 あの冷たい水の音が聞こえる。 もうすっかり汚されてしまった、秘密だったはずの泉。 ここには朽ち木と墓場と汚された腐った泉しかないのだ。 だがこの腐った朽ち木は、まだ、根を持っている。 それはより成長するために、 より養分を必要として見境なく墓場を荒らした盗人だ。 彼があの光に到達するために、伸長するために、成長するたびに、 盗人は懸命に養分を探り、手に入れ、あの光に到達するための均衡を保ってきた。 あの光を求めた木は倒れた。盗人はさらに墓を荒らし回った。 ただ盗人の意志が必要として木は蘇ろうとしている。 理由もなく目的もなく蘇ろうとしている。 盗人の意志は言う。あるべき姿へ、あるべき姿へ! 盗人はすでに盗人ではなく、養分に浸食された何者かになっていた。 墓場の粉砕者は、墓場を統合し、組織し、どこかへ向かう傀儡になってしまった。 ほんの少しだけ残っている盗人の本来が抵抗する。あるべき姿へ、あるべき姿へ! そうして私たちは、彼らが競うなかで苦痛と共に統合されるのを見る。 それこそが復活であり、混合における新生である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
Jun 30, 2007 03:18:30 AM
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