2006/08/06(日)15:19
時には譲ること
息子の特殊級の同級生でアスペのお子さんがいる。礼儀正しくしっかりしていて、勉強もできる方だし、甘ったれで幼い息子と比べるとうらやましいようなお子さんだけれど、やはり自閉は自閉で思わないところでトラブルを起こす。
ある時、同級生(つまりその子も障害を持っている)をひどくおびえさせてしまった。ただ、悪意でやったことではなく、その子の掃除の仕方が不真面目だと怒ったらしい。彼の理解度からいえば、明らかに掃除の能力に欠けている子は判断できるのだけれど、集中力が低い子などは怠けているようにしか見えないのだろう。言葉が達者なだけに攻め立てられた相手は泣き出してしまったという。
当然、先生からも注意されたが本人はぼくは正しいことを言ったんだと主張する。
○○○君が掃除をさぼっていたから、注意したんだ。それなのに言うことを聞かなかったんだ。
その子はできなかったのかもしれないとか、仮に相手が悪くてもやり方があるとか、話してみても、でも、相手が悪かった!というところに戻ってしまう。言葉は通じても、言葉で理解させられるとは限らない。
冷蔵庫の中のペッパーの瓶を見ながら、そんな話を思い出す。
息子の奴、何度言って、冷蔵庫の中に香辛料をしまうのを止めやしない。ラベルに冷暗所に保管というところを見て、冷たいところでなくちゃと言う。冷暗所と冷蔵とは違うのよ、と説明してみても、今は夏だよ!味が落ちるでしょ、と来る。夏になる前からやっていたくせに・・・
こんなこと、たいしたことない、別に胡椒が冷蔵庫にあっても別にかまいやしない。冷蔵庫の場所はちょっとくうけれど。
「じゃあ、今度からここを置き場所をしようね」と言ってやるのが、双方のために一番なんだと自分に言い聞かせる。
言い聞かせながら、迷う。このこと一つならたいしたことじゃないけれど、この種のストレスは毎日出てくる。まるで、気の合わない嫁姑みたいだ。第一、私は我慢しても、社会は我慢なんかしてくれない。
正しい正しくないは別として時には譲る! どうすれば学ばせられる???
今日は原爆の日、ニュースで多数の大使が参加する中、アメリカ大使は参列しないということを聞いた。あの国も妙な所が狭量だ。
それとも、投下した当事者としては当然の行為だろうか。私は投下の正当性は置いておいても犠牲者を慰霊することはよいことなのではないかとも思うけれど、被爆者の霊はどう思うだろう。自分たちの命を奪った国の代表の謝罪なき慰霊はやはり拒むだろうか。