主はいのちを与えませり
一、主はいのちを 与えませり 主は血しおを ながしませり その死によりてぞ われは生きぬ われ何をなして 主にむくいし 二、主は御父(みちち)の もとをはなれ わびしき世に 住みたまえり かくもわがために さかえをすつ われは主のために なにをすてし 三、主はゆるしを いつくしみと すくいをもて くだりませり ゆたけきたまもの 身にぞあまる ただ身とたまとを ささげまつらん 私は無信教だけど、上記の賛美歌のように神を思えるのなら、どれ程安穏だろうか。私にはまねる事が出来ないのは無用な分別がついたからなのか?いや、僕も「神」を信じてる。それはキリストじゃないけれど「神」はいると信じてる。だけど、その「神」は僕に安穏を与えてはくれない。でも、それが本当の「神」なんだ。本当の「神」は、人間にとって都合の良い神ではない。神に祈る事で得る安穏は自分が作り出してる影のようなものだからだ。その意味で宗教は宇宙より小さい。