非公式の帝国主義(31日の日記)
公約通りにウクライナ停戦に乗り出したトランプ大統領の強引なやり方について、毎日新聞専門編集委員の伊藤智永氏氏は、15日付け同紙コラムに、次のよう書いている; ウクライナ停戦の成り行きに困惑する人が少なくない。 法の支配と民主主義を守るべき我が同盟国アメリカが、「善なる被害国」ウクライナに言うことを聞かせ、「悪の侵略国」ロシアと拙速に不公正な取引をしようとしているのではないか。 国際政治学者も「大義なき和平は危険」「ロシアを勝者にしてはならない」と安易な停戦に警告する。正義のためには更なる死者もいとうなというわけだ。 アメリカをどう理解するか。孤立主義が建国以来の外交的伝統なのは知られているが、それは同時に国益のためなら、国際社会の勢力均衡を最重視する現実主義外交の歴史でもあった。 19世紀の米英対立時代、大衆民主主義国アメリカは、当時最も専制的かつ非民主的なロマノフ王朝のロシアと友好的だった。 ロシア対オスマン帝国・英仏など連合軍のクリミア戦争(1853~56年)で、アメリカは敗れたロシアのため調停に乗り出そうとしたし、南北戦争(61~65年)でロシアは終始北軍を支持。ロシアのアラスカ売却(67年)もこうした関係で実現した。 20世紀にウィルソン大統領が国際主義へかじを切り、民主主義を外交の柱に据えたが、ルーズベルト大統領は1933年にナチス政権ができると、国務省の反対を押し切ってソ連と外交関係を結び、それが第二次大戦勝利と戦後冷戦体制の布石となった。 孤立主義・国際主義の底流に、大国で国際社会を仕切る行動原理が貫かれている。トランプ外交は決してとっぴとは言えない。 そこには大国が、モノ・ヒト・カネ・情報を世界中に循環させ、軍事力と法体系を駆使し、中小国を「半植民地」化する「非公式な帝国」主義の影が見える。 帝国主義は第二次大戦後、アメリカ中心の新国際秩序である国連創設と60年代植民地独立を経て終わった。教科書でそう習う。 だが英出身の歴史家、マーク・マゾワー著「国連と帝国」は、第一次大戦後の帝国再編論を下敷きに、第二次大戦後も強大国が共存共栄する「帝国主義インターナショナリズム」を温存するために国連が作られたと暴いた。 戦後日本は第二次大戦を「悪が敗れ、善が勝った良い戦争」と記憶し、敗戦を世界の仕切り直しと理想化した。米民主主義や国連体制に幻想を膨らませ、戦争責任、植民地支配、民衆の軍国主義賛美にほおかむりしてきた。 ウクライナ停戦をどう見るか。それぞれの戦後80年との向き合い方次第だろう。(専門編集委員)2025年3月15日 毎日新聞朝刊 13版 2ページ 「土記-非公式の帝国主義」から引用 トランプ大統領の強引なやり方に違和感を覚える人は少なくないと思いますが、この記事の冒頭に紹介されている国際政治学者の「大義なき和平は危険」「ロシアを勝者にしてはならない」という発言も、学者の発言としてはかなり不正確な発言に思います。ウクライナ戦争は、ロシアが勝手に領土拡張の野望に突き動かされて始まった戦争ではなく、アメリカのカネと西欧の軍事力でNATOの勢力圏を東方に拡大してロシアを包囲しようというアメリカ帝国主義の手先としての道を選択したゼレンスキー政権の方針が誘発した「戦争」であるという視点を、私たちは見失うべきではないと思います。したがって、ロシア包囲作戦の「黒幕」であるアメリカ帝国主義の「親分」がバイデンからトランプに代わって、その新しい「親分」が、もうその「作戦」は終わりだと言ってるのだから、本来であればトランプ氏は「今までアメリカがやってきたロシア包囲作戦は、もう止める」とはっきり宣言すれば、ゼレンスキー氏も己の過ちを反省することが出来るし、世界も納得することが出来ます。しかし、それは「今までアメリカは、影に日に帝国主義的策謀をやってきた」という、「隠し事」を暴露することになるため、さすがのトランプ氏もそこまでの覚悟はないと言うのは残念なことです。