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2016年07月12日
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テーマ:ニュース(99427)
カテゴリ:歴史認識
 戦時中に日本軍慰安婦にされた中国人女性の証言をまとめた映画の公開が始まった本年5月に、「しんぶん赤旗」は次のような紹介記事を掲載した;


 中国で日本軍「慰安婦」の被害女性を撮り続けてきた映画監督の班忠義さんが『太陽がほしい-「慰安婦」とよばれた中国女性たちの人生の記録』を出版しました。同名のドキュメンタリー映画のシナリオを中心にまとめたものです。被害女性に寄り添う思いとは-。<本吉頁希記者>


 班さんが中国人「慰安婦」被害者の存在を初めて知ったのは1992年12月でした。きっかけは「日本の戦後補償に関する国際公聴会」(東京)に、中国山西省から参加していた万愛花さん(2013年死去)との出会いでした。

 万さんは10代で日本軍に拉致され、ヤオトン(横穴式住居)に監禁されました。拷問と性暴力を繰り返し受け、背中や骨盤を骨折。体が変形し、身長が20センチほど縮む被害を受けました。戦後、絶望し、殺虫剤を飲んで自殺を図ったこともあります。

 「私は日本軍のせいで家も何もかも失った。うらみを聞いてもらうため日本に来た」

 万さんは公聴会でこう訴えた直後、失神し、演壇に倒れました。

 班さんはこの光景に「圧迫された女性の姿」を見た思いでした。当時、日本に留学していた班さんは、万さんと出会った衝撃が忘れられませんでした。95年8月、真相を調べるため山西省の省都・太原に住む万さんに会いに行きました。

 それから約20年間、斑さんは毎年のように万さんや他の被害女性を訪ね、聞き取り調査や医療費支援などをしてきました。その数80余人に上ります。

 映画「太陽がほしい」には7人の被害女性が登場します。班さんは「多くの女性が恐怖の情景と被害の瞬間を鮮明に語る一方、時期や場所など客観的な情報は不鮮明だった」と振り返ります。

 劉面換さん(12年死去)は銃床で左肩を強打され、日本軍の拠点に運行されました。劉さんは当時についてこう証言しました。

 「真っ暗なヤオトンに監禁され、用をたすときだけ外に出られた。食べていないので何も出ないが、外に出たいのでトイレに行って背をのばす。太陽の光がほしかった」

 班さんはいいます。

 「『太陽がほしい』というタイトルには、苦しい監禁状態のなかで発した『太陽の光を浴びたい』という劉さんの心の叫びと、日本政府を相手に裁判をたたかった『正義を取り戻す光がほしい』という万さんの心情がある」

◆正しい歴史認識

 13年夏、斑さんが危篤の万さんを見舞うと、万さんはうっすらと目を聞け、班さんに消え入るような声で話しました。

 「(日本政府は)罪を認め、頭を下げて賠償をするべきです。・・・何といっても真理がほしい」

 被害者の願いは、日本が加害の事実を明確に認めることです。ところが13年、当時の橋下徹大阪市長が「慰安婦制度は必要」と暴言を吐きました。翌年には過去の「慰安婦」報道の一部を取り消した朝日新聞を攻撃し、歴史を偽造する動きが起きました。

 「歴史を覆すことは新たな犯罪」と危惧した班さん。20年かけて撮りためた400時間に及ぶ証言を1本の映画にすることを決意し、製作支援を日本の市民に呼びかけました。映画は15年夏に完成し、現在800人近くが賛同。上映会は全国に広がっています。

 映画で日本軍の元兵士も証言しています。登場する被害女性は全員亡く在りました。

 班さんは「当時の話に触れるたび、手が震えるほどの恐怖に襲われるおばあさんもいた。多くが健康被害を訴えていた。映画を通して事実を明らかにし、若い人たちが正しい歴史認識をもつ手助けになれば」と話します。

    ◇

 自主上映の問い合わせ=「ドキュメンタリー映画会・人間の手」電話080(9374)1294

各地の上映予定
▼5月15日=ニ松江市市民活動センター。監督トークあり。主催=アムネスティ・インターナショナル松江グループ
▼20日=東京・牛込箪笥地域センター。監督トーク。主催=上映実行委員会
▼21日ニ=つくばイノベーションプラザ。監督トーク。主催=実行番員会
▼6月11日=北九州市生涯学習総合センター。監督トーク。主催=日本軍「慰安婦」問題解決のために行動する会・北九州
▼9月10日=盛岡市プラザおでって。主催=岩手からアジアを考える会
▼詳しくは human-hands.com


はん・ちゅうぎ=ドキュメンタリー映画監督。1958年、中国・撫順市生まれ。『曽おばさんの海』(朝日新聞出版)で第7回ノンフィクション朝日ジャーナル大賀受贅。監督作品に「チョンおばさんのクニ」「ガイサンシーとその姉妹たち」「亡命」


2016年5月15日 「しんぶん赤旗」日曜版 29ページ「中国人『慰安婦』の苦しみ撮り続け20年」から引用

 この度の映画を作成した班忠義氏は、戦争が終わって13年後に生まれた人で、たまたま日本に留学中に、東京で慰安婦被害にあった女性が訴える姿を見て、証言を記録する映画を撮ることになったとのことで、92年と言えば韓国の金学順氏が実名で名乗り出た頃ですから、金氏の勇気ある行動がなかったら、慰安婦問題に関する一切の記憶がうやむやの内に消滅してしまったかも知れません。そういう意味では、金学順氏の功績は大きいと言えます。また、日本政府も河野談話で国際社会に約束したように、慰安婦問題のような人権問題を二度と繰り返すことのないように、教育を通じて過去の事実を子孫に継承する努力に取り組むべきです。この度の班忠義氏の映画も、教材の一つとして大変価値のある映画です。








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最終更新日  2016年07月12日 19時28分32秒
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