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2017年09月10日
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テーマ:ニュース(99444)
カテゴリ:ニュース
徳川家から権力を奪取することに成功した薩長藩閥政府が、何を目的に教育勅語を公布したのか、昨日の欄に引用した中嶋論文は、その続きで次のように述べている;


Ⅲ フィクションとしての建国と徳の樹立

 教育勅語は、正式には「教育ニ関スル勅語」(官報では「勅語」)といい、井上毅や元田永孚らが起草し、1890(明治23)年10月23日に明治天皇の言葉として公布された。大日本帝国憲法は「法律勅令其ノ他詔勅」の3つを天皇の名で公布すると定めていたが(第55条)、教育勅語はこのいずれにも該当しない。しかし、これは教育勅語が憲法上の根拠を欠くということではない。教育勅語は、国家機関としての天皇の意思表示形式である「法律勅令其ノ詔勅」とは区別され、国家を超越した存在である天皇自身の言葉として権威づけられ、「奉読」等を通じて神格化されたのである。

 今日ウェブ上には、教育勅語の現代語訳や解説が複数掲載されている。しかし、教育勅語はもともと多義的に解釈できる文書であり、戦前においても教育勅語の解説が複数存在したことを考えると、安易な現代語訳や評釈は危険であろう。しかし、このあとの論考を進めるため、ここでは教育勅語に次のことが書かれていたことを確認しておきたい。

(1) 「皇祖皇宗」による建国と徳の樹立との一体性
(2) (1)は「国体の精華」であるとともに、教育の指導原理(「淵源」)であること
(3) 「夫婦相和シ」に始まり「一旦緩急アレハ義勇公二奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スベシ」で終わる12の徳目

 教育勅語公布の前年にあたる1889(明治22)年2月11日、明治天皇は大日本帝国憲法を発布した。その際の「憲法発布勅語」には、「朕力祖宗ニ承クルノ大権ニ依り現在及将来ノ臣民二対シ此ノ不磨ノ大典ヲ宣布ス」とある。これは、国家の統治権を「祖宗」から継承する天皇が、臣民に対して永遠不滅の法として大日本帝国憲法を宣布するというほどの意味であろう。しかし、「祖宗」以来、天皇家が実効的に国家統治権を掌握し代々継承してきたという事実はないし、統一国家が存在してきたわけでもない。これらは、大日本帝国憲法制定の正統性を担保するために案出されたフィクションであり、天皇親政という擬制の上に建国された大日本帝国に正統性を与えるフィクションだった。

 教育勅語も、「朕惟フニ我力皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ」という、大日本帝国憲法と同じようなフィクションで始まる。そして、「皇祖皇宗」による建国と「徳」の樹立の一体性こそ「国体ノ精華」であり、教育はそれを指導原理(「教育ノ淵源」)とするとした。そして、天皇及び国家への滅私奉公を核とする国民道徳を身につけた者こそ「朕力忠良ノ臣民」であり、そうすることが「爾祖先ノ遺風」を讃えることであるとした。建国と一体的に樹立された「徳」を「教育ノ淵源」とするかぎり、教育は国家による国民統治と一体化せざるをえない。国民から「自主的」な滅私奉公を引き出す国民統治を樹立するため、国民の精神をまるごと支配する「徳」の教育を必要としたのだろう。

 視点を換えて言えば、教育勅語に書かれた「皇祖皇宗」による建国と「徳」の樹立というフィクションは、大日本帝国憲法と教育勅語がほぼ同じ時期に一体的に誕生した事実を写し取ったように見える。新しく誕生した権力は、その誕生に際して自己正統化のプロセスを踏まなければならない。明治維新を経て成立した国家権力は、神話的国体観に基づくフィクションの上に、大日本帝国という尊大な国号を名乗る国家を樹立した。フィクションの上に築かれた国家を現実世界で成立させるためには、「徳」の樹立、すなわち教育による国民道徳の確立が不可欠だったのである。

 教育勅語が掲載された1890(明治23)年10月31日付の官報には、芳川顕正文部大臣の訓示が掲載されている。この訓示は教育勅語の活用方針として、

(1)教育勅語の謄本を全学校に頒布すること、
(2)教育関係者は天皇の「聖意」を「奉体」して教育にあたること、
(3)学校の式日等で教育勅語を「奉読」し解説を加えて生徒に理解をさせること、

の3つをあげている。学校儀式での「奉読」を通じて教育勅語を神聖化し、子どもに教育勅語を暗唱させたのは、大日本帝国の建国の基礎となる忠君愛国・滅私奉公を柱とする「徳」を強引に樹立させるためだった。この意味で、教育勅語は、建国のフィクションを事実に変えることを使命として誕生したと言ってよいだろう。

 大日本帝国は約半世紀にわたって、戦争と植民地支配を継続する、戦争国家の道を歩んだ。建国神話と教育勅語の「徳」は、臣民に忠君愛国・滅私奉公の精神を押しつける役割を果たした。また、戦争国家の国民が国家による情報統制というフィルター越しに直面した「現実」は、国民の国家への求心性を強化し、教育勅語の「徳」に現実的基盤を与えた。こうして、教育勅語は戦前・戦中、与えられた使命の達成に相当程度成功したと見るべきだろう。


月刊「世界」2017年8月号 158ページ「なぜ教育勅語の復活を願うのか」から一部を引用

 大日本帝国憲法の制定と教育勅語の公布は、にわか作りの政権を権威づけるために持ち出した「神話」を「事実」として国民の心に浸透させる必要があって実施されたものであったということです。しかし、現在の私たちは、自分の意思で投票して議員を選んで、さらにその中から選出された代表によって政府を組織するというシステムを是としており、ことさら「神話」だの「神様」だのを持ち出して権威付けする必要はまったくありません。したがって、現代日本人には教育勅語は無用であり、それどころか、今さら教育勅語を教材として扱うのは、非人道的な考えを児童生徒に押しつけることになり、自由であるべき教育を不当に支配することになりますので、安倍内閣の教育勅語に対する見解は否定されるべきです。





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最終更新日  2017年09月10日 19時46分12秒


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