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2019年04月17日
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テーマ:ニュース(99406)
カテゴリ:ニュース
この度、慶應義塾大学法学研究会から「朝鮮分断の起源-独立と統一の相克」を出版した同大学名誉教授の小此木政夫氏は、3月24日の「しんぶん赤旗」で次のように述べている;


 日本での朝鮮半島の政治外交研究の第一人者、小此木政夫・慶応義塾大学名誉教授が大著『朝鮮分断の起源-独立と統一の相克』を発表しました。著書に込めた思いを聞きました。
<坂口明記者>


 北朝鮮核問題や日韓関係悪化など、最近の日本は朝鮮半島絡みの問題に直面しています。もし朝鮮分断がなく、朝鮮半島が一つの国として独立していれば、日本との関係も今ほど複雑ではなかったでしょう。

 朝鮮分断は日本現代史と不可分の関係にあります。日本は近代化の過程で朝鮮を植民地化して、大陸国家に向かう道を進みました。にもかかわらず、日本が敗北して独立の機会が訪れた時に、朝鮮は分断されてしまいました。米国とソ連の介入がなければ、民族主義者と社会主義者の間に内戦は発生したでしょうが、どんな政治体制であれ、早い時期に一つの国になっていたでしょう。

 第2次大戦時に協調していた米ソ関係が戦後、冷戦という敵対関係に変わります。米ソの占領下で南北に2つの政権が樹立され、朝鮮戦争まで起きて分断が固定化しました。それによって、日本と南北朝鮮との関係も、ほぼ決まったのです。

 注目されるのは、38度線の設定が、日本の降伏と直結していたことです。米軍は1945年4月段階で、南九州上陸を同年11月と想定していました。そうなっていれば、8月に対日参戦したソ連軍が朝鮮半島全域を先に占領し、そこに東欧のように親ソ政権を樹立したことでしょう。

 しかし8月の原爆投下で日本の降伏が早まり、北緯38度線を境に米ソが南北を分割占領しました。現在でもあまり認識されていませんが、原爆は朝鮮半島を日本から「解放」する兵器であっただけでなく、そこを「分断」する兵器でもあったのです。

 私は日本に朝鮮分断の直接的な責任があるとは思いません。米ソが直接的な当事者です。しかし、第2次大戦の結果として38度線が設定されたのだから、日本も無関係ではありません。それに、植民地宗主国には植民地の将来に対する道義的な責任が生じます。

 ところが、歴史好きのはずなのに、日本人は朝鮮分断をタブー視し、その経過に目を向けようとしません。熱に浮かされたように大陸に侵出した日本人は、戦後、急速に大陸に無関心になったのです。私が72年に韓国留学した時にも、日本で韓国・朝鮮問題を社会科学として研究している人は、ごく少数でした。

◆「拉致」解決の道

 昨年2月の平昌(ピョンチャン)冬季五輪後、米朝関係が大きく転換し、6月には史上初の米朝首脳会談がシンガポールで開かれました。今年2月のハノイでの第2回会談は残念ながら合意に至りませんでした。

 米国の関心は非核化に集中し、日本の関心は拉致問題に集中しがちです。しかし今、行われているのは単なる非核化交渉ではありません。シンガポール会談で合意したように、非核化と交換に、米国は新しい米朝関係をつくり、朝鮮半島に平和体制を築くことを約束しました。

 これは南北対話と米朝交渉が2トラック(2つの道)で進んだ結果です。さらに北朝鮮が中国と協議し、3プラス1(米朝韓+中)の構造になっています。日本は切り離された形ですが、本来は日本も加わるべきです。韓国や北朝鮮では、「日本は米朝交渉の成功を妨害している」と報じられています。これは良くありません。

 むしろ日本も加わり3プラス2にして、あるいはロシアも加え、非核化交渉と並行して北東アジアに多角的安全保障システムをつくっていかなければなりません。それが分断克服の道であり、日朝国交正常化や拉致問題解決の道でもあります。

 朝鮮半島では歴史の歩みは遅々としています。時間がかかります。今は、欧州でいえば70年代前半の緊張緩和の段階にさしかかったところでしょう。非核化交渉が成功すれば、新しい秩序へと、さらに前進するでしょう。それ以外の方法は非常に危険です。


おこのぎ・まさお-1945年生まれ。専門は国際政治論、現代韓国朝鮮政治論。著書に『朝鮮戦争』、『日韓新時代と東アジア国際政治』(共編)など。『朝鮮分断の起源』(慶応義塾大学法学研究会)は、41年末の日本の真珠湾攻撃から46年5月までの歴史を詳細に分析し、朝鮮分断の要因を解明しています


2019年3月24日 「しんぶん赤旗」日曜版 29ページ 「分断克服の道も開く 日本は積極関与を」から引用

 私たちが学校で習った日本史では、明治の日本は朝鮮と国交を結ぼうとしたが、朝鮮が封建的な体制だったために日本はソウルに総督府を置いて植民地支配をすることとなった。ここを拠点として日本は満州鉄道を取得し、その権益を守るために中国東北部に軍隊を派遣し、やがて満州国を作くり中国と全面戦争を開始し、英米とも戦争することとなり、その結果、敗戦したと、このように学びました。戦後になってから、満州国の高級官僚だった岸信介氏は、当時を振り返って「一億の国民を喰わせるには満州の農産物や地下資源が必要だった」と何かの新聞に書いたのを読んだ記憶があり、あの戦争はそういうことだったのかと思っておりましたが、上の記事によると、当時の日本は「大陸国家への道を進んだ」のであったとは、初めて知りました。やっぱり島国根性の日本人には困難な「道」だったということかも知れません。そのほかにも色々興味深いことが書いてありそうな本ですが、なにしろ8千数百円もする研究書ですので、私のような素人には縁がないものと諦めることにしました。





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最終更新日  2019年04月17日 01時00分09秒


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