最近の嫌韓の風潮を憂慮する投書が、10日の東京新聞に掲載された;
太平洋戦争の敗戦時、朝鮮人が暴動を起こすことを恐れた日本人将校の流言について91歳の女性が9月15日の特報面「『嫌韓』重なる記憶」で証言していた。
実際には何も起きなかったそうだ。私は記事を読み、当時、日本領だった南樺太(サハリン)の出来事を思った。あまり知られていないが、旧ソ連軍侵攻の混乱の中で、日本人が朝鮮人を虐殺したという。関東大震災の時と同様、朝鮮人に対する妄説に煽動されたおぞましく凄惨な事件だ。
嫌韓の風潮に神経を尖らせている人がいる一方で、大多数の人はたぶん今日の社会でこんなひどいことは起きないと思っているだろう。しかし関東大震災の時、先鋭化した一部の自警団らのリンチ行為を、時としてはやし立てながら傍観していた人々の多くは、一般の、ごく普通の人たちだったのだ。行為を疑問視し、犠牲者に同情する人もいたとの証言もあるが、とてもそれを言える雰囲気ではなかったという。
今日の社会でも、いじめやパワハラといった問題には被害者にプレッシャーを与える少数の積極的加害者と、それを傍観するだけの多くの消極的加害者が存在することに大半の人は無自覚だと思う。
いかに大勢であっても、脆弱な声なき声は、少数でも強固にして大なる声に押し流されてしまうということがある。ましてや何らかの非常事態の発生時に、センセーショナルな言説に誘導されることが決してないと、果たして言い切れるだろうか。
ひょっとすると今、ヘイトを黙過しているわれわれは消極的な加害者なのかもしれない。
2019年10月10日 東京新聞朝刊 11版 5ページ 「ミラー-消極的加害者の自覚を」から引用
この投書が訴える「心配」は、もっともなことです。少数のグループがヘイトデモをする程度ならやり過ごすということがあっても、最近のようにテレビも週刊誌も、一斉にやり出したのは異常です。これからは、ヘイトデモなどのときは積極的にカウンター・グループを支援していきたいと思います。