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2019/12/27(金)01:00

言論の力(27日の日記)

ニュース(3793)

昔、日露戦争の後、重税に苦しむ国民の声を背景に内閣総辞職を迫った野党指導者の尾崎行雄の演説に関連して、ルポライターの鎌田慧氏は3日の東京新聞コラムに、次のように書いている;  緊張感はない。無視、拒絶、改竄(かいざん)、揚げ句の果てのシュレッダー。言論の府は冒涜(ぼうとく)されている。  「そのうち不思議な感じが私の心にわいてきた。ここでハッと桂公を指せば、公はきっと引くり返って、椅子からころげ落ちるというような感じが、ふとおこった。演壇から大臣席にいる桂公とのあいだは数歩にすぎなかった。そこで大声疾呼しながら、全身の力をこめて二三歩進み出で、指頭をもって桂公を突くがごとく、迫っていった。その瞬間、公は真青になった」  尾崎行雄『咢堂(がくどう)回顧録』の一節である。指弾されたのは桂太郎首相。  「公の顔色はにわかに蒼白にかわった。しかし、予感に反して、桂公は椅子からころげ落ちなかったので、私は失望した」  これを引用して花田清輝は「そこには、言論のもつ魔力にたいする確信のようなものがうかがわれる。その結果、内閣は倒れ、桂太郎は、間もなく死んだ」(「言論の力」)と書く。桂は病床で「尾崎がおれを殺した」と繰り返した。  まともな説明ができない。それでも国会内で安定多数。牛の涎(よだれ)のような、歯止めなき宰相在籍日数。野党に内閣打倒、退路を断つ気迫があるのか。花田は書いている。  「私には、今日、言論の自由を説く連中が、尾崎行雄ほどにも、言論の無限の力を信じていないような気がしてならない」 (ルポライター) 2019年12月3日 東京新聞朝刊 11版S 25ページ 「本音のコラム-言論の力」から引用  このエッセーが紹介しているのは桂太郎内閣を総辞職させた尾崎行雄の有名な批判演説で、後年、花田清輝という評論家が「言論の力」と表現したそうであるが、実際には桂は尾崎に批判されたというので、あっさり総辞職したわけではなく、当時の野党は全国各地で政府批判の集会を開き、重税に苦しむ国民を束ねて倒閣運動を展開していたのであって、尾崎に批判された桂は、不信任決議が可決されて議会を解散しようとしたのであったが、そんなことをすると全国に暴動が起きると衆議院議長に説得されてやむなく総辞職した、というのが真相だったようです。安倍政権が、国会で追及されて、まともな説明ができないにも係わらず、牛の涎のように政権を続けられるのは、桂・尾崎の時代のような「野党の力量と国民の関心」の有無が大きく影響していると思います。

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