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2020年01月15日
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テーマ:ニュース(83487)
カテゴリ:ニュース
昨日の欄に引用した月刊「前衛」の記事のつづきは、日本政府が金学順氏のカミングアウトの後、どのように対応し、如何なる結果を招いたか、次のよう検証している;


◆2、国際社会における女性の人権意識の高揚と「慰安婦」問題の顕在化

 日本軍「慰安婦」の存在それ自体は、従軍経験者を介して、あるいは小説や映画等の娯楽をとおして(例えば、田村泰次郎の『春婦伝』1947年)戦中から戦後にかけて日本社会でもある程度は知られていました。しかしながら、この問題の反人道性が日本人にようやく認識されたのは、元「慰安婦」金学順ハルモニが公の場でカミングアウトした91年8月以降のことでした。それまで、日本政府は一貫して「慰安婦」制度への軍・国家の関与や関係文書の存在を否定していました。例えば、1990年6月6日の参議院予算委員会において、社会党・本岡昭次参議院議員が政府に対し「慰安婦」の実態調査を求めた際に、清水労働省職業安定局長は、「民間の業者がそうした方々を軍と共に連れ歩いているといった状況のようである。こうした事態について私どもが調査をして結果を出すことは、率直に申してできかねると思っている」と答弁しています。同様に、1991年4月1日予算委員会において再び本岡議員が韓国の女性団体の公開書簡に回答することを要求した時、谷野作太郎外務省アジア局長は「調査したが、手がかりになる資料はない」と答弁しました。

 以上のような日本政府の態度に憤慨した金学順ハルモニが訴訟提起を決心し、記者会見の場で日本政府に対する告発者として実名で名乗りを上げることになったのです。彼女の決意の背景には、80年代後半からの韓国の民主化とそれにともなう警官性暴力事件・妓生観光反対運動等女性運動の高揚や、挺身隊問題対策協議会の発足(1990年11月)等もありました。同時に、90年代初頭は「慰安婦」被害者の多くの出身地であるアジア諸国の民主化・女性の意識の向上とともに、旧ユーゴスラヴィアやルワンダでの紛争下における女性に対する壮絶な性暴力が顕在化し、国連をはじめとする国際社会の場でもそれらが広く問題視される時期でもありました。日本軍「慰安婦」問題も、そのような国際情勢のもとで、単なる過去の出来事などではなく、いまだ解決されていない現在進行形の課題・女性の人権侵害であり紛争下の性暴力の問題として認識されていったのです。

 この被害者自らの実名での名乗り出と告発は当時の日本社会に衝撃を与えましたが、なかでも歴史家・吉見義明氏は、被害者の生きた証言に突き動かされ、当時日本政府が否定していた「慰安婦」制度と日本軍部の関与を示す公文書を発表します(92年1月11日)。もはや否定することはできないと判断した日本政府は態度を豹変させ、「慰安婦」制度への日本軍の関与をはじめて認める加藤紘一官房長官談話の発表(1月11日)や、宮沢喜一首相の韓国国会での日本政府の関与を認めた上での「お詫び」と「反省」の表明がなされました(1月16日)。さらに、日韓首脳会談では盧泰愚大統領が「慰安婦」問題を含む過去の歴史に対して、日本政府の真相究明と、その結果に基づく適切な措置を取ることを求めたのに対し、宮沢首相は事実の調査を約束しました。これを契機に、韓国国内では「慰安婦」被害者とその遺族たちの相次ぐ申告がなされ、日本軍「慰安婦」問題が広く国際社会の場で関心事となるにしたがって、各地の被害女性たちも次々に名乗り出ることになりました。このようにして、日本軍「慰安婦」問題はまさに「国際問題化」していったのです。

◇[ 政府報告書と「河野談話」]

 日本政府は、韓国との間で約束した調査を1992年7月6日に発表(「戦時中の従軍慰安婦に関する調査報告」(第一次報告書)しますが、日本軍の関与や強制性への言及がないなど極めて不十分な内容だったために国内外からの批判を受け、改めて調査を行うこととなりました。その結果は第二次報告書として1993年8月4日、「慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣宮房長官談話」(「河野談話」)とともに発表されました。そこでは、日本軍が「慰安所」の設置、経営、管理及び「慰安婦」の移送に直接・間接に関与したということが示され、強制性を認めたため、韓国外務省もこの点を評価し、「引き続き調査の不十分な部分を明らかにすることを期待する」とコメントしました。

 「河野談話」では「本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる(太字強調筆者)」としています。責任の主体が曖昧ではあるものの、軍の関与と強制性を認めた公文書であることから、のちに安倍政権が撤回に躍起になったことでも知られているものです。

◆3、日本軍「慰安婦」問題と「アジア女性基金」

 1994年に村山富市総理を首班とする自民、社会、さきがけの三党連立政権が誕生した際、同年8月31日、村山総理は戦後50年に向けた談話の中で、「慰安婦」問題について、改めて「心からの深い反省とお詫びの気持ち」を表明し、この気持ちを国民に分かち合ってもらうために、「幅広い国民参加の道」を探求すると明らかにしました。この談話を受けて、与党3党は、「戦後50年問題プロジェクト」(共同座長・虎島和夫=自民党、上原康助=社会党、荒井聡=新党さきがけ)をスタートさせ、「慰安婦」問題は「従軍慰安婦問題等小委員会」(武部勤委員長)で議論をされました。

 与党と政府部内では、これまでの日本政府の方針が検討されました。政府は、「先の大戦」にかかわる賠償及び財産、並びに請求権の問題は、サンフランシスコ平和条約、およびその他の関連する2国間条約などにのっとって対応してきたとの方針をこれまでとっており、そうである以上、新たに国家として個人補償を行うことはできないという立場でした。これに対して、与党の中では個人補償を行うべきだという考えが強く主張されたといいます。しかし結果的に、意見の対立は問題の解決に早急にあたるべきという観点から調整され、1994年12月7日、この問題での「第一次報告」がとりまとめられました。政府は、この「報告」を受けて、「慰安婦」問題に関して「道義的責任」を認め、政府と国民が協力して、「女性のためのアジア平和国民基金」(「アジア女性基金」)を設立し、元「慰安婦」の方々に対する全国民的な償いの気持ちをあらわす事業と、女性をめぐる今日的な問題の解決のための事業を推進することを決定しました。

 こうして1995年6月14日、村山首相によって日本政府の具体的行動が次のとおり発表されたのです。

(1)「慰安婦」制度の犠牲者への国民的な償いのための基金設置への支援(国民の募金からなる日本軍「慰安婦」にされた女性たちへの「国民的償い」の募金事業)
(2)彼女たちの医療、福祉への政府の拠金(政府の拠出金からなる元「慰安婦」への医療福祉事業)
(3)政府による「反省」と「お詫び」の表明
(4)本問題を歴史の教訓とするための歴史資料整備と女性に対する暴力等今日的な問題の解決のための事業支援

 最終的に、国民からは合計5億6500万円に及ぶ募金が寄せられ、フィリピン、韓国、台湾では計285人に、一人当たり200万円の「償い金」として支給されました。また、政府予算からの医療・福祉支援事業および内閣総理大臣の「お詫びの手紙」からなる基金の「償い事業」も実施されました。他方、個人への「償い金」支給を拒否したオランダでは、政府予算からの医療・福祉支援事業と内閣総理大臣からの「お詫びの手紙」からなる「償い事業」を79名に実施されました。インドネシアでは、日本軍「慰安婦」被害者には限られない高齢者一般に向けられた社会福祉推進事業として、インドネシア政府との合意のもとに実施されました。

 このようにして、「アジア女性基金」は「戦後50年問題プロジェクト」の一環として誕生し、(1)~(4)の事業が実施されたわけですが、この事業は多くの被害者やその支援団体からの批判にさらされ、特に韓国社会では、「償い金」を受け取った被害者と受けとらなかった被害者との間に、はたまた「アジア女性基金」を支持する側と支持しない側との問に亀裂を生む結果をもたらしてしまいました。批判されたおもな理由は、次の3点でした。

(1)「アジア女性基金」は「法的責任」を果たすものではなく、被害者個人に直接支給される「償い金」は国民からの募金で賄うものであったこと。
(2)被害者への事前の相談はなく、被害者の声を無視したものであったこと。
(3)中国や北朝鮮等か支給対象外であったように、極めて限られた国・地域のみが丈給対象であったこと。

 「償い金」を支給する際にも、日本政府は「法的責任」は解決済みとの姿勢を堅持したまま、この事業はあくまで「道義的責任」を果たすためのものだと主張したため、とりわけ韓国社会では被害者や挺身隊問題対策協議会をはじめとする支援者たちが大規模な受け取り拒否運動を展開しました。そして、2007年3月、インドネシアでの事業の終了とともに、「アジア女性基金」は「一定の役割を果たした」としてその幕を降ろしました。

 「アジア女性基金」がこのようにして事業を終えた後も、日本軍「慰安婦」問題は「過去の克服」からはほど遠く、女性に対する性暴力の象徴としての理解がますます広まるばかりでした。そうして、毎週水曜日、韓国・ソウルの日本総領事館裏にて開催される「慰安婦」問題解決のための「水曜デモ」の1000回目を記念して、「平和の少女像」(正式名称:「平和の碑」)が領事館裏の歩道の一画に建立されたことを皮切りに、この問題を忘れてはならない歴史の糧としてとらえる認識と営みが国際社会では共有されていきました。そのようななか戦後70年目にいたって、米国のオバマ大統領の働きかけもあり、日韓両首脳はまたもや政治決着に動いたのです。
(つづく)


月刊「前衛」 2020年1月号 126ページ 「日本は何度も謝ったのか」から中間部分を引用

 慰安婦問題について、当時の社会党議員が実態を調査して報告するように求めたところ、政府側から「調べたが、確かな情報を示す資料はなかった」と、まるで最近の安倍政権のような答弁をしていたとは、笑ってしまいます。しかし、実際には戦後間もなく上映された映画にも「慰安婦」は登場しており、戦地に慰安所があったことは、戦争に行った日本人は誰でも知っていたことであり、ただ「これは人権問題だ」という認識が欠けていた点が、現代にも尾を引く原因ではないかと思います。河野談話が出された頃、ワイドショーなどに出演した自民党議員などが「あの人たちは、カネが目当てで騒いでるんだろ」などと言う発言をよく聞いた記憶があります。慰安婦被害者が求めるのは「謝罪」であり、謝罪の一つの表現として補償金という手段もあり得たわけですが、当事者の日本政府はたくみに「謝罪」を避けて、とにかくカネを握らせれば収まるだろうというような了見では、解決とまではいかなかったのもやむを得なかったわけで、残念なことでした。






最終更新日  2020年01月15日 01時00分06秒
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