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2020年02月25日
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テーマ:ニュース(99396)
カテゴリ:ニュース
戦後の日本政府と宗教の関係について、宗教学者で上智大学教授の島薗進氏と同じく宗教学者で国際日本文化センター教授のジョン・ブリーン氏が、2016年の月刊誌「世界」6月号で興味深い対談を行なっている;


◆公共圏の再神聖化

【島薗】 2015年のブリーンさんのご著書『神都物語』(歴史文化ライブラリー)は、副題が「伊勢神宮の近現代史」です。この重要なテーマをまとまって論じた学者はこれまでいません。視点が非常に明確で、新しい資料も丁寧に見ておられ、近代日本の宗教史、あるいは政治と宗教の関係史を見直す手がかりを提供する本だと思います。この本をご執筆中、2013年の式年遷宮の遷御の儀に、安倍晋三首相が参列しました。1929年の浜口雄幸首相につぐ史上2度目で、歴史的な出来事です。1929年以後の昭和の歴史を考えれば、2013年の式年遷宮への首相参列には、特に注目すべきと思います。

【ブリーン】 はい、安倍総理の遷御の儀参列は、戦後の日本の歴史の、非常に大きな節目だと思います。終戦直後、伊勢神宮はGHQから宗教法人というステイタスを押しつけられ、このことへの反動として、自民党や神社界が、伊勢神宮の「脱法人化」、遷御儀礼や式年遷宮そのものの「非私事化」に動きました。安倍総理の参列は、その流れの中に位置づけなければなりません。総理が参列し、主体的に儀礼に携わったことにより、神宮にも遷御儀礼にも、それまでにない公共性が付与された。さらに広い視野で見るなら、戦後の公共圈全体の「再神聖化」の表れの一つとして位置づけてもよいかもしれません。

【島薗】 法人とは民間の団体ということですから、「脱法人化」とは、つまり民間団体ではなく国家機関に近づけるということですね。「非私事化」とは、民間で行っていることを、国家的行事とし、神社を国家機関として位置付けていくということになります。神社本庁と自民党は、それを大きな目標に掲げている。この動きは「憲法改正」と一体で、戦後占領期からすでにあって、占領が終わるといよいよこれに乗り出した。いわゆる「神宮の真姿顕現運動」です。神社本庁や神社神道系の論者の戦後史では、「最初に真姿顕現運動に取り組んだ」と述べられていますが、歴史学や社会科学の研究者はこれまであまり注目してこなかったようです。

【ブリーン】 「真姿顕現運動」はいまだに継続中です。神宮の真の姿を世に示すという運動が、安倍総理の参列で大きな画期をむかえたとはいえ、まだその目的地には到達していないからです。真姿顕現運動の目的は、神宮の国有化、神宮祭祀の国事行事化ですから。「真姿顕現運動」という言葉の響きを、僕は非常に面白いと思います。第一次近衛内閣の「国体明徴運動」で登場した言葉ですが、当時は「国体の真姿顕現」と言っていました。戦後の神社界はそのキーワードを伊勢神宮に当てはめていく。実は、2・26事件でも「国体の真姿顕現」はキーワードでした。この概念は、現在の神社界の「戦前への憧れ」の表れと考えてよいと思います。

【島薗】 国体明徴運動が昭和10年(1935年)、2・26事件がその翌年ですから、「国体明徴」と「真姿顕現」は同時期の同様の考え方の表現だということですね。自民党や神社庁がそれを戦後の主要な政治目標としてかかげている、というそれだけでも非常に不吉な感じがします。

【ブリーン】 岸信介政権と、その後の池田勇人政権が、神社界や伊勢神宮にとても好意的で、真姿顕現運動にかなり歩調を合わせていたのは事実です。これは、GHQによる神道指令の否定、神道指令による神宮の法人化の否定です。岸信介が総理として堂々と神宮参拝をしたことも、池田勇人首相が、正式な答弁書の中で伊勢神宮に言及したことも、戦後付与された神宮ステイタスの否定と解釈すべきでしょう。

【島薗】 1960年10月の池田首相の答弁書は、神から授かって歴代の天皇が継承してきた三種の神器で、天照大神のご神体でもある伊勢神宮の神鏡、八咫鏡(やたのかがみ)を国家的な意義があるものとして認め、ゆえに伊勢神宮は国家施設の意義をもつと述べたものでした。

◆国家神道-メディアの盲点

【ブリーン】 そうですね。三種の神器の神鏡が法人のものなのか、それとも天皇と不可分なものなのかをはっきりさせることが池田の目的であり、神鏡は法人のものでない、つまり、法人というステイタスに疑問をもつことが出発点だったと思います。僕が注目に値すると思うのは、池田首相が答弁書の中で、『日本書紀』に記されている万世一系神話を、そのまま用いていることです。当時のメディアはその問題をほとんど取り上げなかったし、吟味もしませんでした。

【島薗】 その後「靖国神社国家護持法案」が出て、これは大変な議論になったのに、「伊勢の国家的地位」に関しては、議論は起こらなかった。学術界も、メディアも、弱い。これは、日本の政治と宗教の関係をとらえそこなっている、ということではないでしょうか。

【ブリーン】 2000年には森喜朗首相が「日本は神の国」と発言して大きく報じられ結果として辞任に追いやられました。時代が違うとはいえ、当時のメディアが池田答弁書に気づかなかったことは不思議としか言いようがありません。

【島薗】 池田首相はソフト路線であまり国家主義をかかげない政権でしたから見逃されたのかもしれません。とはいえ、「国家神道」「国体論に基づく国家」というものへの見方は日本の政治の大変重要な争点だということが、あまりよく理解されていないという気がします。

【ブリーン】 池田の答弁書については、神社界以外では知っている人も少なくなってしまったけれども、実際にはそれだけで終わってはいません。池田の発言は1960年ですが、73年の式年遷宮のありかたを射程にいれた発言でした。73年の遷宮、特に遷御の儀を見ると、20年前のそれと大きく変わっていることがわかります。舞台裏でどのような議論がなされたのかはわかりませんが、明らかに60年の池田首相の答弁書を受けて、天皇との関係が密接になっていました。

【島薗】 伊勢神宮にある「神鏡」の扱いもそうですが、三種の神器の他の二つ、皇居の「剣璽(けんじ)の間」にある天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)と八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)、つまり「剣」と「璽」の扱いも変わってきています。次第に公的な地位を持つようになり、天皇とともに旅先まで移動する、つまり「剣璽ご動座」が復活し、代替わりのときの「剣璽等承継の儀」も国事行為として行われました。

【ブリーン】 神社本庁の運動の結果ですね。実は、1973年の式年遷宮の際、遷御の儀の後の伊勢行幸のとき、天皇は戦後初めて剣璽と共に参拝しました。これは神社界の運動の大きな成果でしょう。

【島薗】 これまでも、靖国神社の問題、大喪の礼や即位式、大嘗祭などの代替わり儀礼、紀元節の復活や元号法案といった問題があり、神社本庁や国体論の信奉者が熱心に運動して政治的な争点になってきましたが、伊勢神宮の儀礼に皇室がどう関わるか、三種の神器をどう扱うかの問題は、大きな政治的な争点にはならなかったし、できなかった。しかし、これは政治的な問題です。私は、著書の『国家神道と日本人』(岩波新書)でも述べましたが、国家神道は戦後もなくなっていない、そのことをよく示す事柄だと思います。

【ブリーン】 小泉総理が2006年のインタビューで、首相は新年の伊勢参拝はできるのに、なぜ靖国参拝はできないのかと言っています。逆に言えば、なぜメディアは靖国ばかりに注目し、伊勢に目を向けないのでしょう、このことを我々は考えるべきだと思います。正月の首相の伊勢参拝は佐藤栄作総理の時代から慣例化されていますが、総理が神宮司庁で記者会見するのも、まさに政治の「聖なるもの」との密着です。
(つづく)


しまぞの・すすむ 1948年生上智大学教授、東京大学名誉教授。宗教学、近代日本宗教史。著書に『国家神道と日本人』(岩波新書)、「日本仏教の社会倫理」(岩波書店)他多数。

John Breen 1956年、ロンドン生。国際日本文化研究センター教授。著書に『儀礼と権力 天皇の明治維新』(平凡社選書)、『神都物語』(吉川弘文館)など。


月刊「世界」 2016年6月号 197ページ 「伊勢神宮と国家儀礼」から前半を引用

 岸信介や池田勇人のような著名な政治家が伊勢神宮に好意的であったとは、この記事で初めて知りました。政治家として活躍した頃は、そのような宗教がらみで問題になったことがなかったと記憶してますが、子どもの頃から「日本は天皇中心の神の国」だと吹き込まれて育った人たちですから、ある程度はやむを得ない面があったかも知れませんが、これからの日本は政教分離のルールをしっかり守って思想信条の自由を堂々と主張できる国になってほしいと思います。





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最終更新日  2020年02月25日 01時00分07秒


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