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2020年02月26日
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テーマ:ニュース(99208)
カテゴリ:ニュース
敗戦直後の日本を占領したGHQの神道指令が皇室の伊勢信仰を容認した結果、戦後の日本にどのような問題を残すことになったか。昨日の欄に引用した月刊誌「世界」の対談記事は、次のように続いている;


◆皇室儀礼の公的側面

【ブリーン】 1973年の式年遷宮の際に、それまでとは大きく変わった点として、天皇が剣璽を持って参拝することに加え、天皇による御内帑金(ごないどきん)の下賜があります。式年遷宮の諸儀礼が始まる8年前から、毎年100万円、天皇が神宮に寄付する。その行為は、非常に象徴的です。つまり、伊勢は一宗教、一神社ではなく、「天皇の神宮」なのである、と。
 その他にも、1953年の遷宮では天皇は勅使を送ったが、73年は第二皇子を派遣し、翌日には皇子が奉幣(ほうべい)も行っている。そして式年遷宮が無事に終わると、今度は大宮司が天皇に拝謁し、お言葉をもらう。伊勢において、天皇は二重にも三重にも儀礼全体に関与するのです。これは60年代に始まった真姿顕現運動の直接的、間接的な結果だと言えます。

【島薗】 GHQの神道指令では、皇室儀礼は政教分離の点からは問題にしないとされ、特に宮中三殿の儀礼は皇室のプライベートな行事としてそのまま存続し、あまり報道もせず、政治的な扱いにしない流れがありました。実際には、宮中三殿の賢所は天照大神として伊勢神宮の八咫鏡がまつられていて、まさに伊勢神宮の写しです。宮中三殿が認められるなら、国家的意義をもつ私事とされる皇室祭祀の延長線上に伊勢がある、ということを市民社会も認めてしまったとも言えます。皇室儀礼の公的な面を神道指令が問題としなかった結果、憲法の信教の自由の規定と、皇室儀礼および伊勢神宮の祭祀が、どういう関係になるかという問題が、十分に意識されずに来てしまった。皇室の「プライベートな儀礼」という考えもあり、報道することで公的な地位を与えてしまうということもあって、メディアも報道は控える。こうして政治的な意味が忘れられてきたわけです。儀礼の政治的な意味に関心をもってこられたブリーンさんがこの問題に注目され、今まで日本の学者が--意図的ではないにしろ、軽視してきた点を、ご著書でとりあげられた。これは大きな意義があります。しかし、これを今後どのように日本の政治のなかでとりあげていくかはとても難しい問題ですね。

【ブリーン】 伊勢神宮は江戸時代でも天皇と無縁ではありませんが、明治になってその関係が密接になります。戦後でも天皇は伊勢神宮の大宮司を任命し、祭主も皇族で、公的・私的領域をまたぐ存在です。伊勢神宮は戦後、宗教法人にはなりましたが、当初から矛盾にみちた宗教法人であったわけで、GHQがその内的な矛盾を許容したのは注目に値します。

【島薗】 皇室や宮内庁は、皇室が政治的な影響力を行使することについては注意深いはずです。しかし、伊勢神宮に関しては皇室行事の延長線上と考えて問題を感じなかったのでしょうか。儀礼的な行事を続けていくことは、日本の伝統を絶やさないための責務だということかもしれません。学者もメディアもその政治的意味については、いわば健忘症のように、気づかない、あるいはそのふりをするという状況が続いたのではないか。ところが安倍政権の、憲法そのものの枠組みを変えていこうとする動きに直面して、ややあわてているのではないでしょうか。

◆信教の自由と「日本の伝統」

【ブリーン】 憲法改正について、メディアが多く取り上げるのは、9条ですよね。しかし安倍総理ははっきりと、天皇に関する第1条については、天皇を元首にすると言っている。加えて、第20条の信教の自由や、第89条(公の財産の宗教組織・団体への使用制限など)のあたりをいじる心づもりが、安倍政権にはっきりとある。そのことをめぐる議論は、十分になされていません。水面下にいろんな動きがあり、知らないうちに事情が変わってしまうということも考えられなくもない。議論は大事だと思います。

【島薗】 天皇の祭祀や宗教にかかわる側面が、国民生活に実際にどう影響を及ぼすかが見えにくい、意識しにくい。しかし歴史教育や、「日本の伝統」「美しい日本」とは何かを考えるとき、実は天皇の儀礼的行為が、大きな政治的意味をもってあらわれてくる。国民の意識を大きく変える動きが、水面下でじわじわと進んでいるということですね。

【ブリーン】 安倍総理は「悠久の歴史を紡いできた伊勢神宮」があるから、伊勢志摩をサミットの開催地にしたと述べましたが、各国の首脳たちが実際に伊勢参拝する、させられることになると思いますか?

【島薗】 アメリカがどう出るかが注目点でしょう。2013年にケリー国務長官とヘーゲル国防長官が訪日した際は、あえて靖国神社ではなく千鳥ヶ淵を参拝しました。政教分離に関わる大きな問題があるという理解は、アメリカも持っていると思いますね。

【ブリーン】 1975年にはイギリスのエリザベス女王が伊勢に行っています。当時は参拝でなく「表敬」と位置付けられていましたが。アメリカの歴代大統領は来日の際、明治神宮を参拝していますから、伊勢に行かない、行かせようとしない理由は全くない。僕としては伊勢神宮に行ってほしい。そして、その歴史をきちんと理解してほしいと思いますね。

【島薗】 ぜひブリーンさんの解説付きで行ってもらいましょう(笑)。

【ブリーン】 それにしても「悠久の歴史」と言うけれど、実際には、首相が伝えたいと言う「日本の伝統文化」は近代以降に作られた側面が多くあったりしますね。神宮に関してもそうです。

【島薗】「古代に創設された伊勢神宮は、日本の皇室の歴史と一体である。天皇家は古代から一度も王朝が交代していない万世一系であり、日本の伝統そのものである」ということになっています。伊勢神宮を尊ぶ、ということに「万世一系の国体」を尊ぶということが含まれており、さらにその中には、「日本は他国に比べ優れた国家体制をもつ」ということまで・・・・。

【ブリーン】 明治以前の伊勢に目を向けてみれば、その議論が成立しないことはわかると思います。今ある神宮は、近代国家の産物であるとも言えますが、僕はそう主張しつつも、それ以前の歴史を軽視する立場では決してない。本にも書きましたが、古代から中世を経て、近世までも、常に日本文化の中核に近いところに伊勢神宮はあった。非常に豊かでダイナミックな、大変複雑な歴史、日本人がもっと知るべき歴史です。近代以降の伊勢は、その長い歴史を引き継いでいます。
 僕の伊勢像は、「常に変遷する伊勢」。社会的に構築され、再構築され、常に時代状況に合わせていく伊勢。その史実を伝えることができるならば、大変うれしいことです。

◆靖国神社の二つの儀礼

【島薗】 ブリーンさんは『神都物語』の少し前に、『儀礼と権力 天皇の明治維新』(平凡社選書)という本を書かれていて、これも教えられるところが多い本でした。最後の補論で、靖国神社を取り上げておられ、日本の論者が気づいておくべきことを、的確に指摘されています。靖国神社は儀礼展示の解説文で、いかに靖国神社が国家祭祀の施設であるかを強調していますが、「万世一系の国体」こそが国家の神聖性の由来だと考えていることからわかるように、「国家の神社」イコール「天皇の神社」であるということになります。ブリーンさんは「靖国神社は天皇の神社と考えるべきだ」と指摘されています。私も同じように考えていました。儀礼の中における天皇の役割が非常に大きい。

【ブリーン】 かいつまんでいうと、1938年くらいまでは、靖国神社の儀礼は国民的な規模ではなく、軍部と天皇だけの儀礼でした。その後、全面的な戦争になってから、戦前に靖国神社の宮司を長く務めた賀茂百樹(かもももき)の運動が功を奏して、1938年には春季例大祭前の合祀祭で、靖国は初めて国民的な儀礼をやるんです。天皇と総理大臣と軍が出席し、全国的な一分間の黙祷を行い、学校でも遥拝式を行った。それまで靖国は軍だけの施設という位置づけが非常に強かっただけに、これは非常に大きなことだったと思います。

【島薗】 しかしその前から国民の関心から遠いものだったかというと、それはないと思います。臨時大祭で戦死者を合祀する招魂祭が行われているわけですから。

【ブリーン】 でも、昭和13年(1938年)までは総理は参加していないのです。軍部の施設であって、国民の代表である総理は歓迎されていなかったようで・・・・・・。

【島薗】 逆に当時は軍というものが国民的な存在であったということもできます。

【ブリーン】 2つの儀礼があると私は解釈しています。臨時大祭、つまり戦没者の御霊を祀る、英霊としてお祀りする儀礼と、天皇が参拝をする儀礼です。まず戦没者を合祀し、英霊にする。次に天皇が参列し、天皇が英霊を拝む。一方、その天皇を、死者と生者が集まって拝むという力学もある。これは戦没者追悼というより、天皇崇敬の儀礼となりますね。

【島薗】 靖国の起源というのは招魂祭、楠公祭であり、初期に祀られた人たちは、神聖な天皇を掲げる、テロリズムの側面も濃厚にあった尊皇攘夷運動で死んだ人たちです。天皇にいのちを捧げた人たち、言わば殉教者の霊こそ顕彰すべきであるという思想が、明治維新後の日本の近代国家に潜在しているということですね。なぜ後に特攻ということが起こったか。玉砕が規範とされるとか、俘虜となってはいけないとか、そういうことに全部つながっている。


月刊「世界」 2016年6月号 197ページ 「伊勢神宮と国家儀礼」から中間部分を引用

 昭和天皇が靖国神社参拝をしなくなったのは軍人上がりの厚生省の役人が戦犯として処刑された軍人らの名簿を靖国神社に持ち込んで密かに合祀したことが公になったためであったが、切っ掛けがどうであれ、天皇と靖国神社の距離が遠のいたのは良かったと思います。如何に国家儀礼とは言え、象徴天皇が侵略戦争推進のシンボルだった神社に足を運ぶべきではありません。靖国神社を批判すると「国のために死んだ人々に対する感謝の気持ちはないのか」などと言う人がいますが、私たちは国のために死んだ人たちに感謝をしてはならないと思います。その人たちは「被害者」なのであり、当時の戦争指導者が(昭和天皇を含めて)加害者なのであり、国を守るための戦争というならまだしも、朝鮮と中国を支配下において東南アジアの地下資源を略奪するための侵略戦争であったことを、私たちは認識するべきで、そのような戦争は二度としないという決意こそが、靖国神社に祀られた人々を追悼するのだと思います。





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最終更新日  2020年02月26日 09時43分32秒


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