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2020年02月27日
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テーマ:ニュース(99424)
カテゴリ:ニュース
一昨日、昨日と引用した月刊「世界」の対談記事は、国家儀礼の面からみた皇室と英国王室の比較について、次のように論じている;


◆近代国家と儀礼秩序

【島薗】 伊勢神宮も、皇室の関与を明治維新のときに制度化していますが、靖国神社も、今では天皇は参拝しなくなったが勅使は送り続けている。今、安倍首相は公式参拝していないけれども真榊(まさかき)奉納をしているわけですから、靖国神社を天皇崇敬の国家的施設としようという考え方は、明確に押し出していると思います。
 ブリーンさんの『儀礼と権力』では、儀礼がいかに政治的秩序を作っていくかという機能の分析があり、そこから明治維新を見ておられて、その視点が日本の歴史家に足りないと婉曲に述べておられます(笑)。まさにその通りだと感じました。これはブリーンさんが儀礼を重んじるカトリック教会の信徒だということも関係しているかもしれません。儀礼が人間にとっていかに重要かをよく理解されていると思います。
 ただ、近代国家において国民参加の儀礼がいかに大きな統合機能を持つかは予想できなかったものの、国家儀礼こそ重要というのは荻生徂徠から水戸学にいたるような儒学の流れの中で養われた認識なのではないか。儒教思想が介在していることはよく論じられてきています。しかし、文久三年前後の天皇をめぐる儀礼、そして「五箇条の御誓文」をめぐる儀礼の重要性を正面から議論されたのは、ブリーンさんが初めてではないかと思います。

【ブリーン】 五箇条の御誓文の儀礼は、まさに近代天皇を秩序の原理と位置づけるために欠かせない儀礼だったと思います。外交においても、近代文明国家たる日本を成立させ、その存在をアピールするためにも、天皇が自ら行った外交儀礼は欠かせない装置だったと思います。

【島薗】 そこには中国的な朝貢の秩序の意識もあると思いますね。天皇の行幸も、中国・朝鮮的には、近代以前からある重要な儀礼秩序です。西欧諸国との間に新しい関係を作るために、新たな儀礼を作ろうとしたと同時に、日本の封建社会では弱まっていた中国的なモデル、朝貢体制的なモデルを復興させるような意義があったのではないかと思います。

◆英国王室と日本の皇室

【島薗】 グリーンさんが儀礼に興味をもったのは、カトリック的な背景があるとご著書にも書いておられましたね。

【ブリーン】 少しはあると思います。

【島薗】 儀礼に注目したイギリスの文化人類学者には、エヴァンス・プリチャードとか、メアリー・ダグラスとか、カトリックの人が多いですね。また、「伝統の創造」を論じたホブズボウムらのように、近代の儀礼の政治的意義を強調した歴史学の流れもあります。ただ、歴史を省みれば、日本の国家儀礼は絶大な政治的力をもって国を危うくする方向で利用された過去があります。靖国、伊勢を軸に、思想信条の自由を抑圧し、国家目的のためにいのちを軽視するような信仰が広められましたから、政教分離という憲法20条が果たしてきた機能は、今後も堅固に維持されていかなければならないと思うのです。それに対して、「イギリスでは大変平和的に女王陛下が国教会の儀礼に参加しているではないか」という異論もあると思います。ブリーンさんは、「君主制はコストパフォーマンスがよい」、あるいは「必要悪」と書いておられますね。

【ブリーン】「必要悪」と書いたことを、今少し後悔しています(笑)。

【島薗】 しかし私もそれに近い考えを持っています。革命のコストを考えたら、王政のもとで立憲制が広がっていくほうが犠牲は少ないし、国民の間の対立があおられることはない、と。しかし、靖国神社をめぐる論争に類するもの、あるいは国家儀礼をめぐる論争は、イギリスではあまり目立たないようですね。

【ブリーン】 メディアの話になりますが、イギリスには右寄りの新聞と、左寄りの新聞で立場が大きく違います。ガーディアン紙は、王室に対して批判的で、ウィリアム王子とケイト妃の結婚式やその前のチャールズとダイアナの結婚式に莫大なお金を注ぎ込むことについて批判しました。しかし、多くのイギリスの新聞は右寄りで、それを問題にしていないというのは事実です。ところで、イギリスに信教の自由はありますが、カトリックの位置づけが問題にされることがあります。

【島薗】 昔は公務員になれなかったのですね。

【ブリーン】 はい。カトリックが信教の自由を勝ちとったのは1829年で、世界史的にみても遅いです。最近も王位継承法が改正されましたが(2013年)、それまでは王位継承の資格を持つ者がカトリック信者と結婚したら、権利を剥奪されることになっていました。

【島薗】 イギリスの王室と国教会との関係と、日本における皇室と伊勢神宮や神道、宮廷儀礼の関係でどこが違うかというと、日本の場合は、明治維新後の約75年間に、皇室祭祀と、天皇崇敬が、国民の熱烈な信仰の対象になったことです。それは、信教の自由、思想信条の自由に大きく影響し、国民の自由といのちを脅かす性格を持ちました。その背後には、日本の近代国家が天皇崇敬システムの創造及び神道儀礼の再構築とともに作られたという歴史がある。イギリスの場合はむしろ、近代化とともに、宗教の影響をやわらげて、国民生活の自由を脅かすことがないよう進んできたのだと思います。この点は大きな違いではないでしょうか。

◆儀礼祭祀をどうとらえるか

【島薗】 例えば、日本の明治維新を、「世俗国家の設立」と見るのは、大きな間違いだと思います。私は、「神道国家の形成」だと思っています。その後の日本には1945年の大きな変革があったわけですけれども、それも国民自身が選んだものという自覚が弱いので、神道国家体制を弱めたことの正統性が繰り返し問題になるわけです。これは、日本の言論界・学術界にとっても、メディアにとっても非常に重い課題として残されているのではないでしょうか。

【ブリーン】 戦後の話でいうなら、イギリスでも建前としては、女王は国教の信奉者であり、信者でないと国教は成り立たない。つまり信教の自由は我々国民にはあるが、国王である彼ら、彼女らにはない。しかしこれについては、議論も始まっています。例えばチャールズ皇太子が王になったときには、「イングランド教の擁護者」ではなく、「諸宗教の擁護者」とすべきではないか、という声があります。いろいろ議論もあるのですが、王と天皇と、聖なるものとの関係を比較してみたときに、ひとつ大きな違いがあります。それは、天皇は儀礼の執行者であるということです。現天皇は儀礼祭祀に大変関心をもっていて、宮中三殿で執行者、つまり司祭として自ら大祭を行う。お祭りをする。しかしイギリスの女王は執行者ではありません。
 女王はむしろ一番偉い信者、「神様から指名された信者」です。ウェストミンスター寺院での戴冠式を司るのはカンタベリー大司教で、王の額と手のひらに聖油を注ぐ。これはまさに神秘的な、キリスト教的儀礼ですが、ここでは女王はあくまでも信者であり、執行者ではない。そこに大きな違いがあります。女王は司教の任命権は有するが、国教との儀礼的関係は、ほぼ戴冠式だけです。復活祭の日曜やクリスマスなどには、女王も教会に行くけれども私人として行きますし、カメラも入りません。
 それが良い悪いという話をしているわけではないのですが、天皇の場合は、儀礼的行為が、時間を支配していることにも注目したいと思います。たとえば神社は神社本庁のもとで皇室儀礼に合わせて祭祀を行う。そのシステムと、イギリスの国教のシステムは違いますが、君主と聖なるものとの関係においては類似点が確かにあると思います。

【島薗】 天皇は神道の代表者であり祭祀の執行者であるわけですが、その祭祀の執行者自身が、聖なる血筋をひき神につながる存在であるとされることは、非常に大きいですね。一方で、キリスト教の神は、国家の秩序とはレベルが違うところに聖なるものがある。日本の場合は、中国の皇帝のシステムがそうであるように、国家の統治者自身が神聖であるという伝統がある。日本の場合、それが神に由来する「血筋」で正当化されており、しかも国民は天皇の家来、つまり臣民とされましたから、天皇の神聖性が強調されると個々人の自由を脅かす可能性が格段に強いのだと思います。

【ブリーン】 天皇の儀礼祭祀は、基本的には祖先崇拝です。天照大神を、天皇が自らの祖先として拝む、という力学は、明治にそれができたころと今とで全く変わっていない。島薗先生は、天皇がこのような儀礼を執行することによって我々の信教の自由が脅かされると思われますか?

【島薗】 戦前にそういうことがあったのは明らかですが、今でも、例えば「君が代」斉唱について、同様の問題を感じる人が多くいる。それから、代替わり儀礼の際に起きたような自粛の圧力にも、危うさを感じる人が多かった。今後、靖国神社が国家施設になるようなことがあったら――特に戦死者が出た場合などに非常に影響が及ぶようになると思いますが、天皇に敬意をもつ国民も、天皇が抑圧的体制に利用されるのは好まないでしょう。

【ブリーン】 ケネス・ルオフの『国民の天皇』にもありましたが、女王も天皇も、政治から一歩離れた存在ではありながらも、ときに政治的発言をしますね。今の天皇も、国歌斉唱、国旗掲揚に関して「強制にならないことが望ましい」と発言しており(2004年園遊会)、非常に印象深いことです。問題は、天皇を利用する連中がいるということですね。

【島薗】 そもそも近代日本の体制が、「天皇を利用する体制」として始まった。薩長藩閥政権が権力掌握を正当化するために天皇の神聖な権威をことさらに打ち出した、という面が強い。幕末の尊皇攘夷運動では、下級武士たちが権力奪取を正当化するために天皇の権威を神聖化し、後に国軍がそれにならいました。儒教の祭祀観に「国家儀礼は社会秩序を安定させ、下々を従わせるための装置として役立つ」という理解があって、それが政治的な動員に転用され、現在の日本にも引き継がれていると思います。
 今日は近代日本の国家儀礼の歴史について密な意見交換ができ、たいへん勉強になりました。ありがとうございます。
<構成/熊谷伸一郎(本誌編集部)・十時由紀子>


月刊「世界」 2016年6月号 197ページ 「伊勢神宮と国家儀礼」から後半を引用

 この対談の中で、島薗氏は明治維新が「世俗国家」ではなく「神道国家」の形成であったこと、1945年の敗戦で神道国家体制を弱めたことの正統性がその後繰り返し問題になったことなどを指摘しているが、私たちが学校教育で学んだ歴史では、1945年8月以前の「神道国家」体制は同年8月15日の玉音放送で「破綻」が宣言され、その後に公布された「日本国憲法」によって国民主権の国家体制が確認されたわけで、「神道国家体制」は弱められたどころか、完全に消滅したものと理解しておりました。しかし、宗教学者の眼には、消滅したものではなく、単に弱められただけであり、彼の耳には現在のような国家体制になってしまったことの正統性を問題視する議論が聞こえているということのようですから、遠からず、私たちはこの問題と対峙する時がくるのではないかと思いました。





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最終更新日  2020年02月27日 01時00分04秒
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