|
テーマ:ニュース(99383)
カテゴリ:ニュース
徳川三百年の鎖国を解いて海外との人の行き来が頻繁になった明治10年は、伝染病のコレラが流行しました。その頃のことについて、文芸評論家の斎藤美奈子氏は3月18日の東京新聞コラムに、次のように書いています;
2020年3月18日 東京新聞朝刊 11版 25ページ 「本音のコラム-五輪と鹿鳴館」から引用 ニュースによると、政府が招集した専門家会議は、日々増えつつある新型コロナの感染者数を憂慮して今のうちに「非常事態宣言」を出して具体的な対策を実施するべきだと答申をまとめたのだが、安倍首相は「日本の法律で出せる『非常事態宣言』は、欧米の法律と違って外出禁止命令に背いたからといって罰金を取れるようなものではないので、運用については慎重に考えたい」と発言したそうで、「それでは具体的な対策はいつから始めるのか」という批判の声もあるとのことです。 それにしても、上の記事では明治維新から10年ほどで伝染病対策として「中央衛生会」という組織を立ち上げて対策を講じるとは、意外に「先進的」だったなあと、私は思います。立川昭二氏は「コレラが流行っていたのに、鹿鳴館とは何事か」と怒ったそうですが、江戸時代が終わって10年くらいで西洋医学の知識を取り入れて、衛生観念を理解したというのは、恐らく江戸時代が終わる10年くらい前から、人々の間にはそういう「そろそろ鎖国も終わりにしなきゃ」というような意識が芽生えていたのではなかっただろうか、などと想像しました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020年04月03日 01時00分06秒
[ニュース] カテゴリの最新記事
|
|