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2020年07月04日
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テーマ:ニュース(99203)
カテゴリ:ニュース
普段は山奥の秘湯や名所・旧跡の紹介記事を掲載する「しんぶん赤旗」日曜版のコラム「たび」は、6月21日の紙面に、珍しく戦争遺跡を紹介している;


 長野県長野市松代(まつしろ)を訪れました。国内最大級の戦争遺跡・松代大本営跡があります。

 アジア太平洋戦争末期、空襲を避け本土決戦を指揮するため、東京の皇居内にあった大本営の移転計画が浮上。松代が選ばれた理由は東京から離れ、近くに飛行場があり、山に囲まれた盆地で岩盤が硬く、「信州」は「神州」に通じるからなどです。象山(ぞうざん)・舞鶴山(まいづるやま)・皆神山(みなかみやま)に、総延長約10キロメートルの地下壕(ごう)を掘り、政府機関や大本営、天皇が居住する御座所などを移設する予定でした。秘密にされた工事は1944年11月に始まり敗戦まで続きました。

 総延長約5・9キロの象山地下壕の一部(約500メートル)が一般公開されています。松代大本営平和祈念館理事・久保田雅文さんのガイドで見学しました。



 壕入り口に「朝鮮人犠牲者追悼平和祈念碑」が立っています。3ヵ所の工事では最盛期に約1万人が働き、強制連行を含む朝鮮人労働者は多い時で約6500人でした。

 久保田さんは語ります。「地下壕掘削作業の主体は朝鮮人です。厳しい監督下、昼夜兼行の重労働です。食料も乏しく栄養失調になったり、発破や落盤で事故死したりした方も多くいました」

 入壕し5番壕(縦坑)を進むと、前方遠くに朝鮮人労働者の飯場があった、清野(きよの)地区から差し込む外光が見えます。さらに進むと横坑Dと交差。岩に突き刺さったままの削岩機のロット(棒)が残っています。横坑Bと11番壕が交差するあたりに、非公開壕の岩に書いた文字の写真を展示しています。韓国の都市「大邱(テグ)」と読めます。ズリ(砕石)を運んだトロッコのレールの枕木跡も鮮明です。灰色で硬いひん岩の荒々しい掘削跡を見ていると、削岩機やツルハシで岩を削り砕く音、工夫たちの汗や息づかいが脳裏に浮かびます。

 大本営の設置を予定していた、舞鶴山地下壕の入り口も見学できます。近くにぶ厚い鉄筋コンクリート造りの平屋が3棟立っています。宮内省と天皇・皇后御座所として建造し、地下壕には玉座やヒノキの風呂を設置。天皇制の象徴「三種の神器」を保管する地下壕も計画中でした。

 久保田さんは戦争加害・被害の視点から強調します。「朝鮮人の強制労働は加害の側面です。軍民20万人を犠牲にした沖縄戦は、突貫工事で進めた松代大本営建設の時間稼ぎでした。これは被害の側面です」
ツルシカズヒコ


【交通】象山地下壕までJR長野駅から車で約20分。長野駅前からバス便もあり
【問い合わせ】松代大本営祈念館  電話:026(228)8415


2020年6月21日 「しんぶん赤旗」日曜版 21ページ 「たび-国内最大級の戦争遺跡、松代大本営」から引用

 いつも温泉の記事を読んでるページに、いきなり戦争遺跡が出てきたのには驚きましたが、それにも増して「松代大本営」が戦後そのまま保存されて、今も見学が出来るとは知りませんでした。考えてみれば、掘ってしまった穴を元に埋め戻すためには掘ったときと同じ労力(もしくは、それ以上?)が必要になるし、中途半端に埋め戻してそこが地下壕だったことを記憶した人がいなくなると予測できない事故を招くことにもなりかねないことを考えれば、これは歴史遺跡としてしっかり管理していくことが最善の方法であることが理解できます。





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最終更新日  2020年07月04日 01時00分07秒


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