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2021年10月18日
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テーマ:本日の1冊(3685)
カテゴリ:読書
手塚孝典著「幻の村」(早稲田新書)について、翻訳家の瀬川千秋氏が2日の東京新聞に次のような書評を書いている;


 時がたち風化していく歴史がある一方、歳月を経たからこそ明らかになる歴史もある。本書は1965年生まれの信越放送ディレクターが、長野県内のかつて満州移民だった高齢者を中心に取材を重ね、満蒙開拓の実相に迫ったルポルタージュだ。

 満州国建国後、国策により約27万人が開拓民となって大陸に渡った。長野は中でも最多の移民を送り出した県である。国は農村の困窮層救済を宣伝していたが、実際はソ連国境防衛と植民地支配が目的。だがソ連軍が侵攻するや関東軍は逃亡。置き去りにされた人びとは過酷な逃避行のさなか、侵略者の日本人を恨む中国人に襲撃されたり、絶望の果てに集団自決したり。8万人以上が亡くなった悲劇はよく知られている。



 取材を始めた当時、すでにほとんどの開拓民は他界していたが、だからこそ存命者は人生の最晩年に、封印していた後ろ暗い過去を語り始める。例えば14歳で開拓団に参加した男性は、集団自決の夜、母親たちがわれ先にわが子の首を絞める光景に呆然としていると、大人に叱られた。「何しているんだ、早く手伝ってくれなくちゃ」。どれほどの時間、何人に手をかけたかわからないと語った。

 95人を満州へ送り73人が自決した旧・河野村の村長は、敗戦翌年に42歳で自死した。この話題は一族のタブーだったが、真実を残すべきとの子息の判断で、戦後60年目に日記が公にされた。死の直前まで綴(つづ)られた日記からは、地主の家に生まれ農民を思いやる若き村長が、誤った国策に正義感を鼓舞され、開拓団を送り出すに至った心の軌跡がたどれる。

 国策による被害者が、図らずも人を殺(あや)め、侵略に加担した加害者となったというつらい事実。国家は国民に何をし、何をしなかったか。人はいかにして時代にのまれていくのか。本書は満蒙開拓の不都合な歴史をつまびらかにし、様々(さまざま)な問いを投げかける。

 今年で満州事変から90年。満蒙開拓の歴史は遠い過去ではなく、私たちが生きる現代と地続きなのだ。若い人たちに、ぜひ読んでほしい。
<評・瀬川千秋(翻訳家)>

手塚孝典 1965年生まれ。ドキュメンタリー制作者。広告会社を経て信越放送入社。


2021年10月2日 東京新聞朝刊 11ページ 「読書-悲劇の裏に・・・今語る真実」から引用

 中国を侵略した日本軍が中国東北部に樹立した傀儡国家「満州国」には「開拓」と称して27万人もの日本人が送り込まれたのであったが、日本がポツダム宣言の受諾を決めて中国や東南アジア各国に派遣していた日本軍に戦闘停止と撤退を指示しても、そこのとは現地にいた民間の日本人には知らされず、気がついた時には軍人は一人もいなくなっていたために、民間人だけの逃避行では恨みをもつ中国人に襲撃されることになったわけである。そもそも、日本軍が中国でしていることは何なのか、当時の国民が正確な情報をもっていれば、安易に「開拓団」に入ったりしなかったはずで、最悪の場合はどうなるかということも想定してそれなりの準備をすることもできたはずですが、当時のメディアは軍部に迎合して侵略戦争を煽るような報道をしており、国民の教育も政府の天皇制イデオロギーで洗脳するような教育をしていたせいで、一人一人の国民が客観的な世界情勢などもてる状況ではなかったわけです。そのような教訓に学べば、児童生徒が使用する教科書に政府見解のみを記述するとか、政治家が教科書の内容に介入するというようなこと許してはならないことは明らかであると言えます。





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最終更新日  2021年10月18日 01時00分05秒


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