ウソとデタラメを寄せ集めて「これが本当の日本の歴史だ」と言いふらして参議院選挙で14議席も獲得した参政党・神谷宗幣代表について、2日付け毎日新聞は栗原俊雄記者の次のような批判記事を掲載した;
7月20日に終わった参院選で、参政党が大きく議席を増やした。
注目されるにつれ、医療や外国人、安全保障に関する立候補者や党員の問題発言が批判を浴びた。
私は日本近現代史を担当する記者として、歴史にまつわる事実誤認の発言が気になっている。
◆実際にあった日本兵の住民殺害
たとえば沖縄戦だ。
太平洋戦争末期、日米両軍の地上戦で20万人以上が亡くなり、日本側の犠牲者およそ18万8000人のうち、半分は住民だった。
参政党の神谷宗幣代表は5月10日の青森市での街頭演説で「日本軍の人たちが沖縄の人たちを殺したわけではない」などと発言した。
日本兵による住民殺害があったことは、生存者の証言や専門家の研究で明らかだ。神谷代表はこれを全否定したことになる。発言に強い批判が寄せられたのは当然だ。
7月8日に同じ青森市内で街頭演説した際には「謝罪と訂正を求められたが、一切しない」と述べた。
その上で「多くの(沖縄)県民が亡くなったのはアメリカの攻撃によってであり、例外的に悲しい事件があった。大筋の本論を曲げないでほしい」と反論した。
ことの重要性からして「例外」と片付けていい問題ではない。住民を守るはずの軍が住民を殺害したことこそ、大日本帝国の戦争を物語る「本論」なのだ。
◆「中国大陸侵略はウソ」の間違い
6月23日、那覇市での街頭演説では、神谷代表は大日本帝国の戦争についてこう述べた。
「(日本は)中国大陸の土地なんか求めてないわけですよ。日本軍が中国大陸に侵略していったというのはウソです。違います。中国側がテロ工作をしてくるから、自衛戦争として、どんどんどんどん行くわけですよ」
日本は日露戦争に勝って旧満州(現中国東北部)での権益を得て以来、中国侵略を進めていった。1931年に関東軍(日本陸軍の組織)の暴走で満州事変が起き、32年に日本のかいらい国家「満州国」が建国された。
その後、37年に日中戦争が始まり、陸軍は中国各地に侵攻した。「土地を求めていなかった」とは、到底言えない。
中国側は、日本軍に抵抗した。もし、日本も外国に侵攻されていたら、当然ながら軍民ともに抵抗したはずだ。それをもって「テロ」と断じるのは無理がある。
◆東条英機は中国との和平を求めた?
神谷代表はこうも述べた。
「大東亜戦争は日本が仕掛けた戦争ではありません。真珠湾攻撃で始まったものではありません。日本が当時、東条英機さんが首相でしたけど、東条英機を中心に何を外交でしようとしていたかというと、アメリカと戦争をしないことです。中国と和平を結ぶ。当時、中国ってないですけどね、支那の軍閥、蒋介石や毛沢東、張学良、ああいった人たちと、いかに戦争を終わらせるか、ということをやるんだけど、とにかく戦争しよう戦争しようとする人たちがいるんですよ。今も昔も」
東条の前の首相、近衛文麿は対米戦争の回避を模索した。41年10月12日、東条陸相、及川古志郎海相、豊田貞次郎外相、鈴木貞一企画院総裁を私邸・荻外荘に集め、対米交渉について協議した。
その席で東条は米国が求めていた中国からの撤兵を拒否した。対米外交の見通しを失った近衛は4日後に内閣総辞職し、昭和天皇の指名を受けた東条が後継の首相に就いた。
東条は、一貫して対中・対米強硬派であった。首相就任後、対米戦争を決断した。神谷代表が主張する「中国との和平」を模索したというのは、史実に反する。
開戦の経緯についても、神谷代表の発言には疑義がある。
「大東亜戦争」とは日中戦争と41年開戦の対米英戦などを含んだものの総称で、41年12月12日、時の東条内閣が閣議決定した。
この戦争を仕掛けたのが日本でなかったとしたら、どこなのか。中国なのか、あるいは別の国や国際的団体なのか。
◆質問への回答なし
私は参院選終了後、参政党に質問を送った。
(1)日中戦争が日本軍の「自衛戦争」だった、東条が中国との和平を結ぼうとしていた、ということの根拠(文献資料や証言など)は何か
(2)「戦争をしようとする人」とは、誰、もしくはどんな団体か――を尋ねたが、期日までに回答はなかった。
大日本帝国の戦争は、東条ら当時の為政者たちが主体的に始めた戦争だった。
国力に見あわない対米戦争をどうやって続けるつもりだったのか。まず東南アジアを押さえて、石油などの戦略物資を確保する。それで長期戦に備えるという構想だった。
他の国や民族の事情などおかまいなし。「欧米の植民地支配からアジアを解放する」が建前だったが、実態は他国や他民族を侵略し、帝国に都合のいいように植民地を再編するための戦争だった。
敗戦が確実になってからも、為政者たちは「国体護持」のためにずるずると戦争を続けた。その結果が沖縄戦であり、広島・長崎への原爆投下だ。
過去につながらない未来はない。
戦争について「信じたい歴史しか信じない」というような「歴史認識」の先には、再びの過ちしかない。史実をきちんと認識してこそ、未来は開ける。
敗戦から80年の8月に、そのことを確認しておきたい。
【専門記者・栗原俊雄】
2025年8月2日 毎日新聞朝刊 13版 6ページ 「現代をみる-『信じたい歴史』の先の闇」から引用
この記事が解き明かしているように、参政党・神谷宗幣氏が発言した「日本の歴史」は、ことごとくウソでありデタラメである。ウソを承知で発言したのであれば悪質であるし、ろくに勉強もしないで「多分、こうであったに違いない」という本人の「希望(?)」を、ついうっかり「こうだったのだ」と演説してしまったのであれば、軽率のそしりを免れません。いずれにしても、私たちはこのようないい加減な発言に惑わされることなく、自国の将来を考えるべきであり、同時に、いい加減な発言をする公人に対しては、相応の責任を追及していくべきだと思います。