参議院選挙で過半数を割ってしまった自民党では、一部に「責任を取って辞任」を要求する声もあるそうだが、当の石破氏は「辞める気はない」ことについて、毎日新聞専門編集委員の伊藤智永氏は、2日付けの同紙コラムに、次のように書いている;
いろいろな人が夜な夜な石破茂首相に激励の電話をかけている。「負けるな。国政選挙はあと3年ない。自分から辞めると言わない限り、自民党総裁任期の2027年9月までできる」。石破氏の答えは省くが、「意気軒高」という受け取め方は共通している。
ライバルの前例を思い出す。安倍晋三氏が1回目の首相辞任を表明したのは、07年7月末の参院選で自公過半数割れの大敗を喫してから45日後。8月いっぱい粘り、9月10日に臨時国会を召集。所信表明演説も済ませ、12日午後1時から本会議で各党代表質問に臨む1時間前だった。
同日午前、答弁を点検する会議で安倍氏は秘書官の助言に「はい、はい」とうなずくだけ。正午、首相執務室から秘書官室に井上義行政務秘書官(現参院議員)が飛び出し「(与謝野馨)官房長官呼んで。(自民)党三役も呼んで」と言った。駆けつけた麻生太郎幹事長らは執務室から出ても無言。「どうなっているんだ」と騒ぐ秘書官たち。本会議開会14分前、テレビが「首相辞任の意向」を報じ、井上氏は初めて秘書官らを集め「辞意表明する」と告げた。
安倍氏は敗色濃厚な参院選中から、「負けても続投」と決めていた。選挙直後、石破党総務らは辞任を迫ったが、安倍氏が8月中下旬、東南アジアへ外遊し、内閣改造に着手すると「安倍おろし」はうやむやになった。
退陣理由は腹痛とされたが、約2週間で退院したので「臨時代理を置けたはず」との疑問は拭えない。民主党の小沢一郎代表に突っぱねられて国会の見通しが立たず、投げ出したのが真相だ。もうダメだと分かっていても、本会議1時間前まで言い出せなかった。
首相が代わろうと、自民党の苦境は変わらない。だから後任の福田康夫首相は、小沢氏と「自民・民主大連立構想」で合意し、失敗すると野党との対立を深め、やはり1年で政権を放り出した。
次の麻生太郎首相も、なってはみたものの、1年で衆院議員任期満了目前の「追い込まれ解散」で衆院選に大敗。自民党は下野した。2人は、安倍氏の残余任期2年をふさいで終わった。
今の自公衆参過半数割れは、再登板した安倍長期政権のおごりと腐敗が招いた。「岩盤」ともてはやされた移り気な「ムード保守」票を呼び戻してどうなる問題ではない。石破氏が辞めて表紙を替えても、きっと残り任期を埋めるだけ。下野するのが筋である。
旧安倍派の「石破辞めろ」、野党支持者の「石破辞めるな」。どっちもおかしい。
(専門編集委員)
2025年8月2日 毎日新聞朝刊 13版 2ページ 「土記-え、あと2年石破さん?」から引用
この記事の末尾には「石破辞めろ」も「石破辞めるな」もどっちもおかしいと書いているが、最近の報道では「石破辞めるな」の声が益々強くなって、石破首相の支持率は向上しているらしい。私は「石破辞めるな」はまともな人間の「声」だと思います。思い起こせば、安倍政権の腐敗ぶりはひどいもので、森友学園に安倍夫妻が関わっていたことを隠蔽するために東京と大阪の財務局担当者がやり取りした記録が1万数千ページにのぼるというのだから、どれだけ悪質な事件であったかが知れるというものです。そんな人物が銃撃で死んだからといって「国葬」にした岸田首相も、首相としてはかなり問題のある人物だったと思います。そういうろくでもない者ばかりの自民党の中で、珍しくまともな言動をしているのが石破氏で、今月の広島・長崎や武道館での式典で、官僚が書いた作文を棒読みするのではなく、自らの言葉で「平和の尊さ」を語ったのは、多くの国民に好印象を与えたと思います。その調子で、残りの2年を「元安倍派・裏金議員」を党内から一掃する仕事に邁進してほしいと思います。