7月の参議院選挙で参政党と国民民主党が議席を伸ばしたのは既成政党を批判する票がこの2党に集まったからであり、似たような現象は戦前にもあったと、歴史家で学習院大学教授の井上寿一氏が、8月16日の毎日新聞コラムに書いている;
7月20日に実施された参院選の結果の特徴は、既存政党の不振と新興政党の躍進と表現することができる。自民党と公明党は大幅に議席を減らして、参院においても少数与党内閣となった。対する野党の方でも、立憲民主党の増減ゼロ=実質的な敗北であり、100年以上の歴史を持つ共産党はわずか3議席の獲得となっている。その共産党の約5倍、17議席を新たに獲得したのは、5年前に結成されたばかりの国民民主党である。さらに同じ年に結成された参政党の議席数は、前回の1から14へ大きく伸びている。
変動する今の日本の政党政治は、今後どうなるのか。歴史的な類推を試みようとすれば、視線は戦後よりも戦前へ向かう。戦前昭和の政党政治と類似点があるからである。
1932(昭和7)年に起きた5・15事件によって、犬養毅首相の政友会内閣が崩壊する。私たちはここに戦前の政党内閣制が終焉(しゅうえん)を迎えたと知っている。しかし同時代においてはそう思われなかった。政党内閣制は中断されたのであって、復活の可能性があった。テロに倒れた首相の後継は、「憲政の常道」に基づけば、衆院多数派の政友会から選ばれるはずだった。
ところが元老、西園寺公望の選択はちがった。高齢で政治的な魅力に欠ける司法官僚出身の鈴木喜三郎・政友会総裁では国内外の難局を乗り切れそうになかったからである。代わりに海軍「穏健派」の斎藤実、ついで岡田啓介の内閣が成立する。これら二つの内閣は、政党からも閣僚を迎えた「挙国一致内閣」、あるいは政党内閣でも超然内閣でもない「中間内閣」だった。
36(昭和11)年2月20日に総選挙が実施される。政友会は前回より130議席減の171議席で大敗を喫した。対する民政党は、205議席で第1党になったものの、前々回30年総選挙での273議席と比べれば、圧勝と言い切れなかった。両党を「既成政党」と批判した無産政党(社会大衆党)の議席は、前回の5から18へと3倍増以上である。
翌年4月30日の総選挙でも第1党は民政党だったが前回より26議席減った。政友会も4議席増にとどまる。対する社会大衆党は、倍増の37議席だった。
この「既成政党」の不振と社会大衆党の躍進は、今日の政党政治の状況と類似している。さらに以下のように社会大衆党と参政党を比較すれば、類似性はより強くなる。参政党は海外のメディアの一部から「極右政党」と呼ばれ、交流サイト(SNS)上では党の代表の愛読書はアドルフ・ヒトラーの「我が闘争」であると真偽不明な情報が飛び交っている。
対する社会大衆党は、党勢の拡大に伴い党の幹部がドイツに渡り、ナチスの党組織を研究して、「国民の党」を党是とするようになる(渡部亮「昭和新党運動の重層的展開」)。社会大衆党は階級政党から国民政党へと変貌を遂げる。国民をこぞって組織し政治に参加させる。このような政治参加の拡大志向は、参政党の党名の「参」と「政」と歴史的に共振する。
関連して、参政党の国会議員18人の半数が女性であることは、注目に値する。党代表の女性差別的な発言や家父長制的な社会秩序観からすれば、意外な数字である。さらに「子供1人あたり月10万円支給」を掲げる参政党は、政治イデオロギーとは別の観点から支持を広げることにつながったと推測できる。
ここで戦前昭和にもどる。36年の総選挙で比較第1党になった民政党は、連立を模索する。この総選挙の前までの政民(両党の)連携構想は、衆議院で300余議席を得ていた政友会が単独内閣をめざしていたことから破綻した。そこで民政党は社会大衆党に接近したものの、社会大衆党からすれば、「既成政党」民政党の現状維持志向は容認できなかった。いたずらに時間が経過する。政党内閣の復活の代わりに成立したのは、近衛文麿内閣だった。
近衛は政治指導力の強化をめざして新党運動を展開する。倍々ゲームで議席を急増させたが単独では政権を担えない社会大衆党は、解党を辞さず、新党運動に参加していく。しかし新党運動がたどりついたのは、強力な一国一党制にほど遠い大政翼賛会だった。こうして戦前昭和の政党は、新しい枠組みでの政党内閣の復活を求めた国民の期待に応えることなく自滅した。
今日の日本においても国民は、政権交代可能な新しい政党政治システムを求めている。すべての政党はこの期待に応えなくてはならない。石破茂内閣かどうかはともかく、しばらくは少数与党内閣が続きそうである。早急な連立再編による政権の安定よりも、個別の争点を巡って国会で本格的な政策論議が展開されるようになれば、野党の側も責任感覚を強めるだろう。そうなれば新しい政党政治システムが確立するはずだ。
(学習院大教授、第3土曜日掲載)
2025年8月16日 毎日新聞朝刊 13版 4ペー 「井上寿一の近代史の扉-参政党と社会大衆党 『既成政党』批判の共通点」から引用
戦前の社会大衆党と現在の参政党は、どちらも今の価値観から見れば「極右政党」という分類になるが、政党としての「レベル」を考えると、社会大衆党は曲がりなりにも「国民をこぞって組織し政治に参加させる」という志をもっていたようであるが、参政党にはそのような「志」は感じられず、単に流行のSNSを駆使してテキトーなデマを流して、政治に無関心な若者を扇動して「まとまった票」に仕立て上げただけのことで、たまたま今回は成功したが、次回の選挙も同じ手を使ってうまくやれるという「保障」はどこにもない。真面目だった社会大衆党でさえ、うまく行かなかったのに、それよりレベルが下に感じられる参政党に、社会大衆党の上を行くなどということは、まったく望み薄というものではないかと思います。