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カテゴリ:ニュース
ある日の東京新聞に、昔なつかしい、次のような投書が掲載された;
2025年8月27日 東京新聞朝刊 11版 5ページ 「ミラー 『瑞穂の国』忘れることなく」から引用 私も、生まれてから高等学校を卒業するまでは農村で暮らしていたので、自分の家は農家ではなかったが隣近所は農家が多かったし、この投書を読んで思い出したが、確かに田植えや稲刈りの頃になると小学校は休みになるのであった。しかし、今どき日本を「瑞穂の国」などと言う人はいない。それは、韓国も中国もその他のどこの国も、食料生産は自国で自然に行われてきた、という「事実」が、世界の常識として知れ渡っているからだ。そして、戦前の日本政府が、わざわざ自国を「瑞穂の国」などと言って持ち上げて見せたのは、「お前たちは、このように立派な国に生まれた幸運な人間なのだから、その立派な国が他国の侵略に脅かされた時には、命を捨ててでも国のために戦わなければならないのだ」という、いわゆる軍国主義教育の「入門編」だったことが知れ渡ったからであり、80年前に天皇がポツダム宣言受諾を国民に告げた後では、政治・軍事・教育等それぞれの分野の責任者が断罪されたはずであるが、それも形ばかりであまり大げさにならないような配慮(?)があったせいで、結局はうやむやで、辛うじて毎年8月15日だけは戦没者を追悼する式典が挙行されているだけだ。 我々が小中学生だったころは、3月~4月に雪が溶け出すと、農家は「苗代」と呼ぶ田んぼに水を入れて、冬の間倉庫に保管した種籾を蒔くのであった。それが発芽して20センチくらいに成長すると、一旦苗床から全部抜き取って束にし、それを今度は3~4本ずつを一株として、しっかり耕した田んぼに等間隔で植えていく、いわゆる「田植え」をするのであった。しかし、それも今では昔の話で、現代では農協が、一定程度成長した「苗」を個々の農家に販売するのだそうで、「苗代に籾を蒔く」などという作業をする農家は、今はないのだということを、このブログに書かれたコメントで教えられた記憶がある。今は、政府の農業政策の結果、農家といえども農業収入だけでは生活が成り立たない時代になっており、そのような状況では親としても子に「農業を継承しろ」とは言えず、家と田んぼを見捨てて都会に出てサラリーマンになることに反対意見も言えない、というのが現状です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2025年09月17日 08時13分24秒
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