今から102年前に起きた関東大震災の直後、日本軍や警察は日頃から朝鮮人や中国人を差別していた負い目から、こんな大地震で世の中が混乱したのを機会に彼ら(朝鮮人、中国人のこと)が暴動を起こしたりするんじゃないかとの恐怖心を抱いて、日本中の各地に「朝鮮人が井戸に毒をいれた」だの「徒党を組んで放火して回っている」というデマを打電したため、各地の住民が自警団を組織して、朝鮮人中国人を見つけ次第殺害するという蛮行に及び、数千人が被害を受けたものと考えられます。しかし、事件から102年も経った今も、日本政府は「確かな資料が存在しない」などと言って、実態を調べようともしません。そのような状況に対し、真相究明を求める市民団体が、東京都千代田区の連合会館で、集会を開いたことを、8月30日の神奈川新聞は、次のように報道している;
関東大震災直後、政府が流したデマと差別が引き起こした朝鮮人虐殺から102年を迎えるのを前に、虐殺の真相究明を求める集会が29日、東京都千代田区の連合会館で開かれた。レイシズムの現場で取材を重ねるノンフィクションライターの安田浩一さんが講演し、「『日本人ファースト』が叫ばれ、あらゆる外国人が差別のターゲットにされている。今こそ過去を認め、差別排外主義を一掃する責任を日本人が果たさねばならない」と訴えた。
(石橋 学)
安田さんは戦時中、山口県宇部市の海底炭鉱「長生炭鉱」の落盤事故で亡くなった朝鮮人の遺骨が放置されている問題も長年追い続けている。海底坑道から人骨が見つかった25,26日も現地で取材。植民地支配と戦争遂行という国策が強いた犠牲に責任を取ろうとしない政府について「虐殺への対応と全く同じ。加害に向き合わず、犠牲者に冷淡な姿勢が歴史否定の波を起こし、レイシストを喜ばせている」と批判を強めた。
東京都の小池百合子知事は虐殺犠牲者への追悼文送付を2017年からやめ、群馬県では24年、朝鮮人労働者の追悼碑を山本一太知事が撤去するに至った。
ヘイトの刃(やいば)はニューカマーにも向かい、埼玉県川口市ではクルド人排斥が深刻化。かつて虐殺に走った民衆をほうふっとさせる「自警団」を名乗るレイシストも現れている。安田さんは「差別と偏見が虐殺を招き、あおったのは政府だった。いまも102年前と同じように治安を乱しているというデマが流され、クルド人を殺せ、たたき出せという憎悪が渦巻く。私たちの社会はヘイトクライムを起こす準備をしている」と警鐘を鳴らした。
集会は「日本と朝鮮を結ぶ全国ネットワーク」や「関東大震災朝鮮人虐殺を検証する有志議員の会」などが主催し、参加者一同でアピールを採択。「戦前戦後を通じて日本社会が払拭しきれずにきた植民地主義が、『日本人ファースト』を疑うことなく受け入れる人たちの認識の根底にある」として、植民地主義を克服して多民族・多文化共生を実現するため、日本政府に虐殺の真相究明と謝罪を求めた。
【解説】関東大震災における朝鮮人虐殺
1923年9月1日の関東大震災直後、朝鮮人が放火や投毒をするなど暴動を起こしているというデマを内務省が各地へ打電。信じた軍警や民衆が組織した自警団などが朝鮮人や中国人を殺害した。内閣府・中央防災会議の2009年の報告書では震災犠牲者10万5千人の1~数%が虐殺されたと推計。背景について「日本が朝鮮を支配し、その植民地支配に対する抵抗運動に直面して恐怖感を抱いていたことがあり、無理解と民族的な差別意識もあったと考えられる」と分析している。虐殺は東京、千葉、埼玉、群馬など関東一円で起き、神奈川では現在の横浜、川崎、茅ケ崎市内で57件発生、145人が殺害されたと、当時の安河内麻吉知事が内務省に報告している。
2025年8月30日 神奈川新聞朝刊 16ページ 「時代の正体・植民地支配責任を問う-過去認め、排外主義一掃を」から引用
「確かな記録が存在しない」という政府の言い分は、事実では無く、実際は国会図書館や防衛省戦史研究所などの書庫には、震災当時の軍の記録や各地の警察署の記録などは保管されており、一部は歴史研究者の手によって出版された例も存在するのであって、政府の言い分は虚構であることは分かっています。震災が起きた頃は、日本は朝鮮や中国に先駆けて国家体制の近代化に成功して、優勢な軍事力を持つことができたのであったが、それから102年も経って、今では中国も朝鮮も日本と対等な立場で外交や貿易を行う時代になったのですから、これからの日本は、朝鮮や中国に対して尊大な態度でやっていくことは、外交のマナーとしても疑問符がつくことは避けられません。かくなる上は、なるべく早く、対等な立場で過去の事実を確認することは、お互いの将来のためにも、必要なことだと思います。