衆参両院で少数与党と化した自公政権が崩壊して新たに自維政権が出来た一連の経緯について、東京大学教授の宇野重規氏は、2日付け東京新聞コラムに、次のように書いている;
この稿において「奇妙な夏」と書いたことがある。2025年7月の参院選で与党が敗北して以来、日本政治の中枢において不思議な「思考停止」とでも呼ぶべき時間が生じていたことを指す。昨年の衆院選に続いて敗北した石破茂前首相の政権はレームダックに陥り、かといって次の政権の骨格もなかなか見えてこない。そのような状態も自民党総裁選をへて、ようやく高市早苗首相の新政権発足により終わりを告げた。
結果は、ある意味で思いがけないものであった。自民党総裁選では、一時は優勢を伝えられた小泉進次郎氏ではなく、国会議員レベルでは必ずしも多数の支持を得ていないとされた高市氏が逆転勝利を収めた。とはいえ、与党は衆参両院で過半数を得ておらず、自民党総裁が直ちに首相になるとは限らない。可能な連立の組み合わせが論じられ、あるいは野党主導の政権の可能性も取り沙汰された。
しかしながら、意外にも、1999年以来、09年からの野党時代を挟み、およそ四半世紀にわたって続いた自民党と公明党の連立は終焉を迎えることになった。各選挙区における提携が深まり、相互の存在抜きに選挙は考えられないとも言われた両党はついに袂を分かち、自民党と閣外協力の日本維新の会による新政権を発足させたのである。
当初は高市氏の公明党への対応が問題視されたが、変化の根底にはより深刻な政治の地殻変動があるのかもしれない。
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平成は、ある意味で「連立政権の時代」であった。その組み合わせはしばしば変更したが、中でも自民党と公明党の連携は飛び抜けて安定していた。そのメリットを最大限に生かしたのが安倍晋三元首相である。自民党組織を掌握した安倍元首相は自公連立により安定した選挙戦を繰り広げ、さらに自らの政治姿勢によって右派に支持層を拡大した。低投票率もあり、中道から右派まで広い支持を確立したことが、長期政権の原因であっだ。
これに対し、それ以降の政権、特に岸田、石破政権は右派の支持を固めきれず、自民党の政治資金問題もあって支持率は低迷した。物価が高騰し、生活苦が広まる中、「手取りを増やす」を掲げた国民民主党が躍進したのみならず、参政党のような右派政党も国政における確固たる基盤を築いた。右派の支持層を奪われた自公政権は次第に行き詰まりを深め、少数与党へと転落していった。
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このような流れを確認すれば、今回の高市政権の発足と、連立政権の組み替えはある種の必然であることがわかる。自民党は右派の支持喪失に耐えきれず、中道の公明党との連携を切ってでも、新たな多数派形成に動いた。その結果がどう出るかはわからないが、自民党がついに国民政党を断念し、完全な右派政党へと志向を転換したとも言える。
逆に今後の日本政治のもう一つのポイントは、高市政権に対抗する中道左派連合の形成にかかっている。にわかに立憲民主党、国民民主党、あるいは公明党の連携が深まるようには思えないが、例えば選択的夫婦別姓政策などで共闘する可能性はあるし、それに共感を示す自民党勢力もあるかもしれない。そうだとすれば、多党化の進んだ政治状況に新たな対抗軸が生まれる可能性もある。日本政治の大きな転換点である。
2025年11月2日 東京新聞朝刊 11版 4ページ 「時代を読む-新たな左右政治への転換」から引用
この記事は事実を正確に記述しているので読みやすく分かりやすいが、事実をもっと本質的に見れば、自民党は公明党と組んだ中道政治から維新と組んだ右翼政治に舵を切ったのだということを、私は世間に訴えるべきではないかと思います。そして、そうならざるを得ない切っ掛けを作ったのが安倍政権であったことも指摘して、自民党の来し方行く末を論じるべきではないかと思います。やがてそのような論考が掲載される日が来ると思っております。