食料自給率が4割に満たないわが国の食料安保について、毎日新聞専門記者の栗原俊雄氏は、3日付け同氏コラムに次のように書いている;
高市早苗首相は昨年12月23日、東京都内で講演した。防衛力について、長引くロシアのウクライナ侵攻を踏まえてこう述べた。「安全保障環境は相当変わってますんで、日本の主体的判断によって強化していく必要があると思ってます」「継戦能力を高めていかなきゃいけない」
戦争をしないのが一番の安全保障であり、戦争をしないですむ外交をするのが政治家の役目だと、私は思う。
それでも他国からの攻撃などで日本が戦争に関わる可能性はある。その「新しい戦争」に政府が備えるのは当然だ。そして前回のこの欄で書いた通り、ウクライナとロシアの戦争に限らず、始まった戦争を終わらせるのは難しい。戦争を続ける能力の向上を目指すというのも、為政者としては自然な発想ではある。
では「継戦能力」向上のために何ができるのか。同盟国アメリカとの軍事的関係のさらなる強化など、さまざまな選択肢がある。しかし、昔も今も将来も「腹が減っては戦ができぬ」。十分な武器弾薬や人員を確保できても食べ物がなければ戦えない。食料自給率を向上させることも、安全保障上極めて重要なのだ。
◆野菜自給率「4%」
農林水産省によれば、日本の食料自給率はカロリーベースで38%(2024年度)。6割以上を輸入に頼っている。鈴木宣弘・東京大特任教授(農業経済学)は「実際はずっと低い」と指摘する。
鈴木氏は三重県志摩市の「半農半漁」の家で生まれ育った。東大農学部を卒業後、農水省で約15年、貿易問題や国際交渉などを担当し、退職してアカデミズムの道に進んだ。近著に「もうコメは食えなくなるのか」(講談社+α新書)などがある、日本の農政、食料安全保障問題研究の第一人者だ。
鈴木氏によれば、自給率75%とされる野菜も「実質自給率は4%」。種の9割が海外の畑で取られたもので、畑で使う化学肥料の原料もほぼすべて輸入に頼っているからだ。国産率98%の鶏卵はどうか。「ヒナは100%近くが輸入」で「主な餌のトウモロコシも自給率はほぼゼロ」。確かにお寒い「自給率」だ。
一方、日本人の主食であるコメは自給率ほぼ100%が長く続いてきた。稲穂がみずみずしく育つ国を意味する「瑞穂(みずほ)の国」が日本の美称であることから分かる通り、コメは日本文化の象徴と言える。
そのコメを巡って混乱が続いている。24年に入ったころから店頭価格が上昇し、夏には極度の品薄となった。25年、政府が備蓄米を放出するなどして供給量は回復したが、高値のまま推移している。こうした「コメ騒動」の原因は、政府が需要量を見誤ったことによる生産量の不足だった。だが、需要量を正しく推測すれば品不足や高騰がなくなるかと言えば、そうとは限らない。
◆構造が生んだ騒動
鈴木氏は今回の騒動の背景に「生産調整」と「農家の疲弊」を挙げる。生産調整は、国策である「減反政策」のことを指す。コメの価格を維持するため、国が生産量を決めて、生産者にそれを守るよう求めるものだ。需要と生産をぎりぎりまで合わせようとする政策的誘導をしてきた結果、「いざ」という時に増産にかじを切る生産余力が乏しくなっている。
また、コメの価格が右肩下がりで安くなっていく中、農家が疲弊して「コメ離れ」が進んでいる。鈴木氏は「安心して増産できる稲作ビジョンを提示することが急務。このままでは高齢化し、担い手不足で苦しんでいるコメ農家は5年以内に激減する」と警鐘を鳴らす。一時的にコメ不足が解消したとしても、その原因となる構造を改めない限り、この先も「コメ騒動」は起きうる。
「それぞれの国が得意な物を生産して貿易するのが合理的。日本は食料を輸入すればいい。これまでそうしてきたのだから」という向きもありそうだが、楽観はできない。
そもそも、食料に限らず、国民生活や産業に不可欠な物を海外に頼ることは危険をはらむ。相手国との関係が悪化すれば輸出を止められてしまうからだ。太平洋戦争開戦前、アメリカが大日本帝国への石油輸出を禁止したように。
大日本帝国の時代、人口は増え、コメの需要も増えていった。国産だけでは足りず、台湾と朝鮮の「植民地米」の移入やタイなどの「外米」の輸入に頼っていた。しかし、戦時中、戦局悪化で輸送が難しくなったことなどから、食糧難に拍車がかかった。
必要なのは戦争への備えだけではない。世界的な異常気象による凶作や感染症の大流行による物流の停滞は、いつ起こってもおかしくない。どの国も「自国ファースト」になり、食料などの必需品の日本への輸出は後回しになるだろう。新型コロナウイルスがまん延した際、輸入に頼っていたマスクが不足したように。
こうした「有事」になってからでは遅い。平時から手を打っておかなければならない。当面、青天井の感もある防衛費の一部でも食料安保の向上に投入する。それがあるべき国策だと思う。
<くりはら・としお> 専門記者(日本近現代史・戦後補償史)。1996年入社、2003年から学芸部。著書に「戦後補償裁判」他。
2026年1月3日 毎日新聞朝刊 13版 4ページ 「現代をみる-『有事』に備える食料安保を」から引用
この記事ではウクライナの例を挙げて、どんなに注意をしていてもウクライナのようにいきなり他国から軍事侵攻を受ける危険性はあるのだから、有事への備えは必要だと言ってるが、それは少し違うと私は思います。ウクライナが当初から平和外交に神経を使い努力をしていたのに、ある日突然ロシアが攻めてきたというのなら、この記事が言うように、どんな国もいきなり侵略される危険性をもつと言えるかも知れませんが、ウクライナの場合は西側の経済援助ほしさに、国内に米軍基地を置くことを認めるという政策を実施すると表明したから、モスクワの目と鼻の先にそのような敵性軍事基地を置かれては、ロシアとして存立基盤を揺るがす事態であると認識したプーチン大統領がウクライナ侵攻に踏み切ったもので、理由もないのにある日突然、軍隊を差し向けたというものではありません。また、100年前の時代と違って、軍事技術が発達した現代では、日本がどこかの国と戦闘状態になったとき、十分な武器があれば戦闘を継続できるなどという時代ではありません。国内に50基もある原発の4~5基にミサイルが命中すれば、狭い国土は一気に放射能汚染に見舞われて、人が住める環境ではなくなるのですから、それで戦闘は終わりになるのですから、これからの日本は、無駄な戦闘は極力避けて、ひたすら平和外交に徹する、それがこの国の宿命であると認識することが肝心だと思います。